かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

節分の夜は自家製の巻きずしで恵方巻行事をして今年一年の無事息災を祈念しました。

2011-02-03 21:20:19 | Weblog
 今日は節分、うちでは豆まきはしませんが、恵方巻をかじる行事はやりました。かじりついた巻きずしは自家製で、ちゃんと簀を使って一本しっかりと巻きしめたものです。まあ買っても良いのですが、家人達が皆好みが違い、市販の巻きずしでは満足しないばかりか、嫌いな物が入っていると一口も食べないこともあるので、恵方巻の催しそのものが成り立ちません。そこで、各自食べられるもの、好きなものを巻いて食べるようにしているのです。
 それにしてもこの恵方巻、一応大阪下町生まれの私には、幼少の頃からやっていた記憶があります。ただ、今のように大々的な宣伝が成されていたようには感じませんし、物心ついた頃にはまだ無く、小学生になって初めてやったように覚えています。ただ、小さい頃に巻きずし一本食べるのは大変ですし、食べられるようになってからようやく始めた、という事なのかもしれません。ちょっと調べてみると起源は江戸時代や明治時代という説もあるそうですし、大阪では戦前から習わしとしてあったようですし、きっと私の幼少期にも、行事としてはちゃんとあったのでしょう。まあ、バナナの叩き売り同様遥か昔のセピア色に沈殿している記憶の彼方の出来事ではあります。
 それはさておき、この恵方巻、今回つくばに行って、関東でも盛んに宣伝しているのを見てちょっと驚きました。そもそも関西の風習と思い込んでいたので、ホテルの近所のスーパーマーケットの店内あちこちに恵方の方角と巻きずしのポスターが張ってあったのが、なんとも不思議なものを見たような気がしてなりませんでした。今はすっかり文化の発信源は首都東京から、というかんがありますが、もし恵方巻が大阪発祥で正しいのだとしたら、文化は西で生まれ、東に伝搬していく、というはるか昔同様の流れが未だ変わらず存在するということなのかもしれません。まあバレンタインのチョコレート同様、お寿司屋さんの宣伝と言ってしまえばそれまでではありますが、子供の頃は一人でまるまる一本の巻きずしが食べられるのはうれしいものでしたし、宣伝のなんのと斜に構えるのはやめて、素直に楽しんでみるのも一法ではなかろうか、と私などは思います。

 
コメント
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