かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

千数百年前の骨が綺麗に発掘されたのは考古学的快挙ですが、不敬な気もしないでもないです。

2016-06-14 20:29:54 | Weblog
 一昨夜、朝3時に目が覚めて寝られなくなって弱ったので、昨日は22時過ぎには布団に横になり、そのまま速やかに意識を失いましたが、起きてみたら今度は今朝の4時で、2度寝が出来ないまま布団の上でゴロゴロし、結局これは無理、と思い定めて、5時に起床しました。一昨日あれだけ睡眠時間が削られているのにこんどもまた6時間足らずとは、いくら年を取ってきて睡眠時間は短くて済むとはいえ、さすがにこれでは睡眠不足もいいところだろうと思います。今朝も相当眠気が強かったですし。別に寝付きが悪いわけではなく、なるだけ薬に頼らなくても済むように行きたいのでしばらくは早期覚醒とも付き合っていこうと思いますが、最近関西で夏風邪が流行ってきているというニュースもありましたし、あんまり手をこまねいていると、睡眠不足で衰弱して風邪を引いてしまいかねないのが困ったところです。せめて目覚めるのが5時過ぎとか、逆に1時頃だったら、気合を入れて起きるなり少々薬を使ってでも二度寝するなり決断も出来るのですが、中途半端に3時や4時に目が覚めたのでは、手のうちようがありません。さてこれがいつまで続くことやら。できれば今夜にも解消されれば嬉しいのですが、多分なかなかそうは行かないでしょうね。

 さて、神奈川県鎌倉市由比が浜の遺跡から、古墳時代のものと見られる人骨二人分が、ほぼ完全な形で出土したそうです。鎌倉市の公共工事に先立って行われた発掘調査で発見されたもので、一人は5世紀から7世紀頃とみられる石棺の墓から、もう一人はそこから8m離れた土葬状態で埋まっていたとのこと。多湿で酸性土壌な我が国では、古い骨は中々残りにくいとされますが、写真で見たものはまるで理科室用の骨格模型も各屋と言わんばかりな状態だったのには驚きました。
 石棺墓の方は身長は156.2センチの15歳位の男性の骨だそうですが、ちゃんと石で棺を拵えて埋葬されているところを見ると、それなりの地位にあった人物ということなんでしょうか? それが若くして亡くなったのは戦や狩猟などの外傷か、はたまた病に倒れたのか、これだけ綺麗に骨が残っていると結構死因も確度高く推定できるやも知れないと思うと、名前も知れぬこの御仁が一際大事に思えてきます。
 それにしても、このような「ご遺体」に対して、いつまでだったら「遺跡・遺物」として躊躇なく思えるようになるでしょうね。少なくともこの古墳時代のものならほぼ「遺物」として見られると思うのですが、ここまで綺麗に残っていると「遺体」という気もしてきますし、そうなるとあまり無体な事をするのははばかられる感じも致します。
 でも翌々考えてみると、身体のごく一部しか残ってなければ、ごく最近の骨でも案外「遺物」として認識できるようにも思えますから、してみると「遺体」か「遺物」かの境目は、時代の古さではなくてどれだけ完全な状態で残っているか、という身体感覚によるのかもしれません。
 とりあえず南無阿弥陀仏、ですね。古墳時代では仏教はまだ入ってきてなかったでしょうけれど。


 
コメント
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