かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

1.屋代邸

2008-04-20 23:03:42 | 麗夢小説『有翼獣は電脳空域に夢まどろむ』
 外観上、その古ぼけた洋館にはさしたる変化はないように見えた。
 まるで手入れされることなく延び放題になった草むらを踏みしめた跡が二列、その玄関まで延びている。男は、深く刻まれた眉間のしわを一段とそばだてながら、その、大きい方の足跡に自分の足を慎重にあわせ、ゆっくりと歩を進めた。さすがに警察も馬鹿ではあるまいからいずれ気づくだろうが、それでも可能な限りその初動を遅らせておくことは、戦術上有効なはずだと男は考えている。
 玄関に辿り着くと、手袋をはめた手で取っ手を握った。さっきの連中の指紋を誤って拭き消さないように、握る所に注意を払う。一応跡形も残すつもりはないが、万一のことを考えると、少しでも危険性を排除しておく必要があった。がちゃり、とロックがはずれる音が意外に大きく耳を打って、男の顔がさっと緊張の色を閃かせた。そのまましばらくじっと動きを止め、周りの気配に意識を注ぐ。特に、ついさっきまでたむろしていた少女と若い僧侶が戻って来たりはしないか、と、男は振り返って探りを入れた。だが、夕闇迫る背景に、人の気配は絶えてない。男は少し安堵のため息をもらすと、ヘッドバンドに取り付けた懐中電灯のスイッチを押し、小さな明かりを屋敷の中に送り込んだ。
 その薄惚けた明かりの中に、淀んだ時の長さをその身に刻みつけた、幾つかの調度類が浮かび上がる。床を白く覆うほこりには、点々と侵入者の足跡が奥に続いていた。男は慎重に足跡をたどりながら、勝手知ったる中を、一番奥まったコンピュータールームまで進んだ。前に来たときには手荒い歓迎ぶりを示してくれたセキュリティシステムが、今日はすっかり沈黙している。男は更に足を進め、今は動きを止めたスーパーコンピューター、グリフィンのコンソールパネルまで辿り着いた。
(この中だ)
 男はコンソールパネルの前を横切り、向かって左側の隅で膝まづいた。なめらかな白い壁に、かすかに一円玉ほどのボタンが見える。男は手袋の指をすっと伸ばし、そのロックボタンを軽く押した。すると、一枚の壁にしか見えなかったその一角がパカッとはずれ、十センチ四方ほどの口を開けた。男は続けて中にあるつまみを、躊躇うことなく左回りに九〇度回す。と、どこかで空気が抜けるような音が聞こえ、右側に今度は人一人が充分に潜り込めるほどの四角い穴が現れた。本来なら、グリフィンが虹彩と指紋による識別認証を行い、それで許されたものしか触れることのかなわない聖なる神殿が、その奥に鎮座ましましている。かつて、その登録には確かに自分も名を連ねていたのだが、ある時からはじき出されてしまい、グリフィン健在の間は近寄ることさえできなかった場所だ。だが、万一に備えた手動装置は、システムそのものがダウンした今、男の手を拒むことなくあっさりとその禁断の扉を開いて見せた。男はその穴に上半身を突っ込んで、ヘッドライトの明かりを投げかけた。
「あった。やはり無事だったようだな」
 男は、ずっと抱いていた一抹の不安から開放された喜びに、その不敵な口元をほころばせた。実際、あの侵入者達が驚くべき事にグリフィンのセキュリティーシステムを突破し、CPUを破壊することに成功したときには、さすがに全てが水泡に帰したかと戦慄に冷や汗を流したものだった。だが、結局あの見知らぬ妙なカップルは、このスーパーコンピューターグリフィンにおける、真のパワーユニットを知らなかったわけだ。愚かしいにも程があるが、おかげで自分が無理なくここまで侵入できたのだから、その点だけは感謝しないといけない。男は口元のほころびを皮肉溢れた冷笑に変えながら、両手を中に伸ばした。
 奥には、培養液を詰めた直径三〇センチ、高さ五〇センチほどの強化ガラス製容器が収まっている。その容器を抱えた男は、腰にぐっと負担がかかるのに顔をしかめた。普段イスに座り放しで生活しているだけに、こういう力仕事は腕にも腰にも過剰負担になる。だが、ここで諦めてはここまで無理してきた甲斐がない。それに、あの連中が連絡していた「榊警部」なる警察官が出張ってきては面倒だ。そんな連中が現れるまでにここを立ち去らねばならない。男はここが大事だと普段使わない筋肉を堅くこわばらせ、そのガラス容器をソケットからはずすと、ようやくにして穴から引きずり出した。
「や、やったぞ。やっと私の所に戻って来たな、屋代」
 男は息荒くその容器の中に浮かぶほの白い塊に語りかけると、持参したバックパックか1.8リットルのペットボトルを三本取り出し、その空いた所へガラス容器を慎重にしまい込んだ。しっかり口のジッパーを閉じて、更に外から軽く叩く。男はそうして緩衝材がしっかり容器を保持しているのを確かめると、どっこいしょ、と気合いを入れて、そのバックパックを背中にしょった。
「さて、ここからが一苦労だな」
 肩にずしりと食い込む大事な荷物に気を配りつつ、男は一本のボトルを手にとって、薄茶かかった中身を部屋のあちこちに振りまき始めた。たちまち刺激的な臭いが部屋中にたちこめ、男も思わず咳ごんでしまう。そうしてガソリン一・八Lをしっかりまき散らすと、残るボトルの栓をはずし、両手に抱えて、振りまきながら出口に向かった。こうしてさっき入ってきたばかりのドアから一歩外に出た男は、おもむろに屋敷の中に振り返り、ポケットから鷲の上半身とライオンの下半身という伝説の合成獣、グリフィンをあしらったジッポライターを取り出した。
「さらばだ、我が栄光の思い出よ。新たなる第一歩のため、我が未来を照らし上げてくれ」
 男は満面の笑みで屋敷に惜別の一言を残すと、そのライターを放り投げた。たちまちゴウ!と紅蓮の炎が床を走り、家具や壁に襲いかかった。炎は瞬く間に古い調度類を呑み込むと、壁を登り、天井を舐めて屋敷全体を侵食していった。男は猛烈な熱気に煽られながら満足の笑みを改めて唇の端に浮かべると、二度と振り返ることなく、その屋敷を去った。男が去って間もなく、迷妄から醒めた榊真一郎が綾小路麗夢や円光と屋代邸まで駆け付けたときには、その古い屋敷は大量に吹き上げる黒煙をまといながら、ゆっくりと崩れ落ちて行くところであった。


「2.東京武蔵野市  鈴木家 その1」へ続く。

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