「やった・・・。やったぞ!」
榊にこみ上げた感情は、円光にも伝染して手を取り合っての歓喜となった。その手は鬼童にも伸ばされたが、鬼童を取り込もうとした歓喜の波は、そこで演じられつつあった突然の悲劇に、悄然としてその勢いを失った。鬼童は、砕けたルミノタイトの被片が切った頬に埃と血をへばりつかせ、最期の時を迎えた相手に必死の形相で呼びかけていた。
「ルミ子、おい、しっかりしろ! ルミ子!」
桜乃宮ルミ子は、今、ゆっくりと足下から透明になり、消えて行こうとしていた。辺り一面が廃虚と化した瓦礫の中で、その姿は塵一つ受け付けないほどに清らかに保たれていたが、鬼童の声に答えようとするその顔つきは、既に帰れぬ道に踏み出してしまった者のやすらぎともの悲しさに包まれていた。
「無事だったのね。海丸・・・」
「何故あんなまねをしたんだ! ルミ子!」
「勿論・・・、あなたを助ける為、じゃない・・・」
口元にほころんだ笑みにかつての高慢は陰も潜まない。ルミ子は、既に物理的な質感を失いつつある手を上げて鬼童の頬の血を拭い取り、亀裂が入って輝きを失った自分のルミノタイトを取り出した。
「あなたにあげた方より、・・・私の方が質が良かったのね。でもこんなになったら・・・もう駄目だわ」
ルミ子は、鬼童が設置したルミノタイトが将門の圧力に砕ける直前、自分のルミノタイトを使って二重の結界を生じさせたのだった。その力は遂に将門の勢いを凌駕し、見事相手をはじき返したのである。しかし、ルミノタイトの方も無事では済まなかった。鬼童の所持していた方はガラスのきらめきだけを残して散りはて、ルミ子をこの世につなぎ止めていたものも、その能力を著しく損なったのである。
「しっかりしろ! すぐに、今すぐに僕が新しいルミノタイトを作ってやる! だからまだ消えるんじゃない!」
鬼童はこの時、一点の曇りもなく本気でルミ子をかき口説いた。だが、ルミ子は寂しく笑って鬼童に言った。
「だめよ、海丸。作れっこないわ」
「何故だ! 僕は君も認める天才だ! 出来ないわけがない!」
「それが駄目なのよ、海丸」
ルミ子は消し飛んだ不死化装置の方を指さした。
「人の精神を定着できる能力を持ったルミノタイトはこの世にたった三つ。あなたが持っていたルミノタイト・アルファ、私のベータ、そして死夢羅博士に壊されたガンマ。その後は幾ら作っても、そんな性質を示す事はなかった・・・」
「偶然・・・。あれが出来たのは偶然だったというのか!」
「偶然で気に入らなければ幸運でもいいわ。私は、あなたがいてくれたから出来たと思っているのだけれど・・・」
ルミ子の姿は既に足が消え、胸から下も透明度を増して顔の輪郭もぼやけつつあった。もはや手の施しようもない、と鬼童の理性は理解したが、沸騰する感情は、それを認める事を是としなかった。
「たとえフロックだったとしてもやり続ければいつかきっと必ず出来る! それまで消えるんじゃない!」
「無茶な事を言うのね」
ルミ子は透明感の増した唇で微笑んだ。
「でもこれで良かったのかも・・・。か、海丸がルミノタイトに定着していたら、こうして抱いてもらうことも出来なくなっていたでしょうから・・・」
精神エネルギーを永久的に保ち続けるルミノタイト。だが同じ能力のルミノタイトが並んだとき、互いの精神エネルギーにマイスナー効果を発揮する。すなわち、鬼童がもし永遠の命を手に入れたとしたら、鬼童とルミ子は二度と抱き合うことが出来なくなるのだ。その事に気づいた鬼童がかける言葉を失って、消えゆくルミ子を凝視していると、透明度を増したルミ子の唇が最期のつぶやきを漏らした。
「か、海丸・・・最後のお願い、聞いて」
「何だ、ルミ子」
「最期にもう一度だけ・・・」
唇は動いたが、鬼童に声は届かなかった。だが、鬼童はルミ子の希望が何であるかをすぐに理解した。軽く目をつぶるルミ子の眼鏡を外した鬼童は、ゆっくりと自分の唇を相手のそれに触れさせた。一瞬だけ、かつての柔らかく暖かな触感が、鬼童の唇に甦った。だが、それも次の瞬間には淡雪のようにあっさりと消えさった。
「ありがとう、さようなら」
鬼童は確かにそう聞こえたと思ったが、その瞬間にルミ子の姿は鬼童の腕の中から消えた。そして、ルミ子の精神を支えていたルミノタイトも、同時に細かな破片へと砕け散ったのだった。
「ふん、やっと消えおったか」
背後の声にはっと振り返った鬼童らの前に、漆黒の闇に溶け込んだマントが翻った。
「死夢羅! 貴様生きていたのか!」
円光は咄嗟に破邪の呪を口にしたが、にわかに盛り上がった戦意をそぐように死夢羅は空高く舞い上がった。
「無理するな、破壊坊主! わしはその忌々しい女がどうなったか確かめに来ただけよ。それよりも破戒坊主、わしの遊び相手を早く助けてやったらどうだ」
「何だと!」
「麗夢を早く助けてやれ、と言っておるのだ。馬鹿め」
そうだ! と円光はさっき死夢羅とやり合おうとしたことも忘れ、もつれる足を叱咤して、サイクロトロンに走り出した。
「麗夢殿! 今お救い申し上げる!」
榊もまた麗夢を救出しに駆け出しつつも、油断なく死夢羅に意識を向けるのを忘れなかった。だが、榊はすぐに悟った。自分同様死夢羅もまた戦う余力を残していない事を。よく見れば黒一色で揃えたタキシードやマントは散々に破れ、スラックスも、ほとんどすだれのようで左足が露出している。そんな姿をさらしてまであえて様子を窺いに来るとは。榊は、ルミ子がいかに厄介な存在だったか、改めて思い知ったのだった。
その死夢羅が消えるのを待っていたかのように、一筋の曙光がかすかに残った瘴気をきれいにぬぐい去った。長い夜は遂に明け、新暦四月一日の朝が、円光が抱き抱えた麗夢、アルファ、ベータも加えた四人と二匹を、暖かに包み込んだのだった。
榊にこみ上げた感情は、円光にも伝染して手を取り合っての歓喜となった。その手は鬼童にも伸ばされたが、鬼童を取り込もうとした歓喜の波は、そこで演じられつつあった突然の悲劇に、悄然としてその勢いを失った。鬼童は、砕けたルミノタイトの被片が切った頬に埃と血をへばりつかせ、最期の時を迎えた相手に必死の形相で呼びかけていた。
「ルミ子、おい、しっかりしろ! ルミ子!」
桜乃宮ルミ子は、今、ゆっくりと足下から透明になり、消えて行こうとしていた。辺り一面が廃虚と化した瓦礫の中で、その姿は塵一つ受け付けないほどに清らかに保たれていたが、鬼童の声に答えようとするその顔つきは、既に帰れぬ道に踏み出してしまった者のやすらぎともの悲しさに包まれていた。
「無事だったのね。海丸・・・」
「何故あんなまねをしたんだ! ルミ子!」
「勿論・・・、あなたを助ける為、じゃない・・・」
口元にほころんだ笑みにかつての高慢は陰も潜まない。ルミ子は、既に物理的な質感を失いつつある手を上げて鬼童の頬の血を拭い取り、亀裂が入って輝きを失った自分のルミノタイトを取り出した。
「あなたにあげた方より、・・・私の方が質が良かったのね。でもこんなになったら・・・もう駄目だわ」
ルミ子は、鬼童が設置したルミノタイトが将門の圧力に砕ける直前、自分のルミノタイトを使って二重の結界を生じさせたのだった。その力は遂に将門の勢いを凌駕し、見事相手をはじき返したのである。しかし、ルミノタイトの方も無事では済まなかった。鬼童の所持していた方はガラスのきらめきだけを残して散りはて、ルミ子をこの世につなぎ止めていたものも、その能力を著しく損なったのである。
「しっかりしろ! すぐに、今すぐに僕が新しいルミノタイトを作ってやる! だからまだ消えるんじゃない!」
鬼童はこの時、一点の曇りもなく本気でルミ子をかき口説いた。だが、ルミ子は寂しく笑って鬼童に言った。
「だめよ、海丸。作れっこないわ」
「何故だ! 僕は君も認める天才だ! 出来ないわけがない!」
「それが駄目なのよ、海丸」
ルミ子は消し飛んだ不死化装置の方を指さした。
「人の精神を定着できる能力を持ったルミノタイトはこの世にたった三つ。あなたが持っていたルミノタイト・アルファ、私のベータ、そして死夢羅博士に壊されたガンマ。その後は幾ら作っても、そんな性質を示す事はなかった・・・」
「偶然・・・。あれが出来たのは偶然だったというのか!」
「偶然で気に入らなければ幸運でもいいわ。私は、あなたがいてくれたから出来たと思っているのだけれど・・・」
ルミ子の姿は既に足が消え、胸から下も透明度を増して顔の輪郭もぼやけつつあった。もはや手の施しようもない、と鬼童の理性は理解したが、沸騰する感情は、それを認める事を是としなかった。
「たとえフロックだったとしてもやり続ければいつかきっと必ず出来る! それまで消えるんじゃない!」
「無茶な事を言うのね」
ルミ子は透明感の増した唇で微笑んだ。
「でもこれで良かったのかも・・・。か、海丸がルミノタイトに定着していたら、こうして抱いてもらうことも出来なくなっていたでしょうから・・・」
精神エネルギーを永久的に保ち続けるルミノタイト。だが同じ能力のルミノタイトが並んだとき、互いの精神エネルギーにマイスナー効果を発揮する。すなわち、鬼童がもし永遠の命を手に入れたとしたら、鬼童とルミ子は二度と抱き合うことが出来なくなるのだ。その事に気づいた鬼童がかける言葉を失って、消えゆくルミ子を凝視していると、透明度を増したルミ子の唇が最期のつぶやきを漏らした。
「か、海丸・・・最後のお願い、聞いて」
「何だ、ルミ子」
「最期にもう一度だけ・・・」
唇は動いたが、鬼童に声は届かなかった。だが、鬼童はルミ子の希望が何であるかをすぐに理解した。軽く目をつぶるルミ子の眼鏡を外した鬼童は、ゆっくりと自分の唇を相手のそれに触れさせた。一瞬だけ、かつての柔らかく暖かな触感が、鬼童の唇に甦った。だが、それも次の瞬間には淡雪のようにあっさりと消えさった。
「ありがとう、さようなら」
鬼童は確かにそう聞こえたと思ったが、その瞬間にルミ子の姿は鬼童の腕の中から消えた。そして、ルミ子の精神を支えていたルミノタイトも、同時に細かな破片へと砕け散ったのだった。
「ふん、やっと消えおったか」
背後の声にはっと振り返った鬼童らの前に、漆黒の闇に溶け込んだマントが翻った。
「死夢羅! 貴様生きていたのか!」
円光は咄嗟に破邪の呪を口にしたが、にわかに盛り上がった戦意をそぐように死夢羅は空高く舞い上がった。
「無理するな、破壊坊主! わしはその忌々しい女がどうなったか確かめに来ただけよ。それよりも破戒坊主、わしの遊び相手を早く助けてやったらどうだ」
「何だと!」
「麗夢を早く助けてやれ、と言っておるのだ。馬鹿め」
そうだ! と円光はさっき死夢羅とやり合おうとしたことも忘れ、もつれる足を叱咤して、サイクロトロンに走り出した。
「麗夢殿! 今お救い申し上げる!」
榊もまた麗夢を救出しに駆け出しつつも、油断なく死夢羅に意識を向けるのを忘れなかった。だが、榊はすぐに悟った。自分同様死夢羅もまた戦う余力を残していない事を。よく見れば黒一色で揃えたタキシードやマントは散々に破れ、スラックスも、ほとんどすだれのようで左足が露出している。そんな姿をさらしてまであえて様子を窺いに来るとは。榊は、ルミ子がいかに厄介な存在だったか、改めて思い知ったのだった。
その死夢羅が消えるのを待っていたかのように、一筋の曙光がかすかに残った瘴気をきれいにぬぐい去った。長い夜は遂に明け、新暦四月一日の朝が、円光が抱き抱えた麗夢、アルファ、ベータも加えた四人と二匹を、暖かに包み込んだのだった。
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