ようやく週末、明日は何か久しぶりの感じがする休みですが、これも久しぶりに実家に顔を出さねばならない用事があるので、なかなか完全に自由行動、というわけには参りません。まあその分明後日日曜日には完全確実にフリーな一日が取れそうな気配なので、休息はそのとき存分にとるといたしましょう・・・あ、小説の更新はがんばらないとなりませんね(苦笑)。
さて、東大医科学研究所の教授が、虚偽の内容が記載された論文を発表し、ニュースになっています。といっても、よくあった実験結果の改ざんとかではなく、学内の倫理審査委員会に承認を受けた、とか、実験のための検体を提供した患者の同意があったとか論文に記載していたのが、実は承認も受けていなければ同意もとっていなかった、ということなのだそうです。
ヒトを対象にした研究では、世界医師会の「ヘルシンキ宣言」により、倫理委員会による審査や研究に協力する人に十分説明して納得してもらった上で同意してもらうインフォームド・コンセントの取得を求めており、厚生労働省の臨床研究に関する倫理指針でも、文書でのインフォームド・コンセント取得を義務づけていますから、この論文の記述は、明らかにそういう点で違反行為だった、ということになります。まあそういう意味では処分されるのは仕方ないところでしょう。ただ、倫理的に問題があったとしても、得られたデータはしっかりした実験がなされたものならば倫理とは関係なく有効な数字のはずですし、それが失われてしまうのは惜しい気もいたします。当該の教授が処断されるのは致し方ないとして、そのデータは何らかの方法で生かす算段が取れないものか。と思います。
倫理というと最近でも時折国の出す科学研究費の一部を商社等にプールしていたのが発覚し、ニュースになっておりましたが、その研究費というのが制度的に研究者にとって使いにくいお金である点はあまり報道されず、そういうことをする研究者はけしからん、というような論調な報道であるのが少々気にかかります。芸術にせよ科学研究にせよ、お金を出すものはいちいちその使い道に口出しすべきではないと思うのです。ようは最大限その成果が挙げられればよいはずで、そのためには、最大限の自由を研究者や芸術家には与えられるべきだと私は思うのです。というとそれをいいことに自堕落に好き勝手する輩が出てくる、という点が問題になるのですが、研究能力に関係なく、使うお金にがんじがらめに規制の網をかけ、色々な書類の山を延々作成させられる労力の無駄を思えば、それを省くだけで、不心得者の無駄遣いを十分に上回る成果が上がるのではないでしょうか。大体が商社等にプールしていたのは、つまらない規制をかけてお金を使いにくくしていたからであって、自分の財布に収めるための行為ではなかったのでしょう。その点を峻別して真の不心得者を処罰するとともに、そうでないものに対しては十分な規制緩和をして、そもそもそんな「不正」行為に頼らなくてもよいように環境を整えるのが、パトロンの役割というものだと私は思います。現代のパトロンたる官僚連中は、創造者達が自分たちと同レベルの倫理感しかもっていない、と勘違いしているから、いろんな規制をかけてくるんじゃないでしょうか?
さて、東大医科学研究所の教授が、虚偽の内容が記載された論文を発表し、ニュースになっています。といっても、よくあった実験結果の改ざんとかではなく、学内の倫理審査委員会に承認を受けた、とか、実験のための検体を提供した患者の同意があったとか論文に記載していたのが、実は承認も受けていなければ同意もとっていなかった、ということなのだそうです。
ヒトを対象にした研究では、世界医師会の「ヘルシンキ宣言」により、倫理委員会による審査や研究に協力する人に十分説明して納得してもらった上で同意してもらうインフォームド・コンセントの取得を求めており、厚生労働省の臨床研究に関する倫理指針でも、文書でのインフォームド・コンセント取得を義務づけていますから、この論文の記述は、明らかにそういう点で違反行為だった、ということになります。まあそういう意味では処分されるのは仕方ないところでしょう。ただ、倫理的に問題があったとしても、得られたデータはしっかりした実験がなされたものならば倫理とは関係なく有効な数字のはずですし、それが失われてしまうのは惜しい気もいたします。当該の教授が処断されるのは致し方ないとして、そのデータは何らかの方法で生かす算段が取れないものか。と思います。
倫理というと最近でも時折国の出す科学研究費の一部を商社等にプールしていたのが発覚し、ニュースになっておりましたが、その研究費というのが制度的に研究者にとって使いにくいお金である点はあまり報道されず、そういうことをする研究者はけしからん、というような論調な報道であるのが少々気にかかります。芸術にせよ科学研究にせよ、お金を出すものはいちいちその使い道に口出しすべきではないと思うのです。ようは最大限その成果が挙げられればよいはずで、そのためには、最大限の自由を研究者や芸術家には与えられるべきだと私は思うのです。というとそれをいいことに自堕落に好き勝手する輩が出てくる、という点が問題になるのですが、研究能力に関係なく、使うお金にがんじがらめに規制の網をかけ、色々な書類の山を延々作成させられる労力の無駄を思えば、それを省くだけで、不心得者の無駄遣いを十分に上回る成果が上がるのではないでしょうか。大体が商社等にプールしていたのは、つまらない規制をかけてお金を使いにくくしていたからであって、自分の財布に収めるための行為ではなかったのでしょう。その点を峻別して真の不心得者を処罰するとともに、そうでないものに対しては十分な規制緩和をして、そもそもそんな「不正」行為に頼らなくてもよいように環境を整えるのが、パトロンの役割というものだと私は思います。現代のパトロンたる官僚連中は、創造者達が自分たちと同レベルの倫理感しかもっていない、と勘違いしているから、いろんな規制をかけてくるんじゃないでしょうか?
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