かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

2.白拍子 その4

2008-03-22 22:32:54 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平安編』
 男は、だらしなく尻餅をついてへたり込んでいた。左頬へ斜めにすっと赤いすじが走り、そこからにじみ出た血が頬を赤く濡らしている。以呂波が叩き折った太刀の切っ先が、ちょうど男の顔辺りをかすめて飛んだのであろう。ついでに男が手にしていた短冊も見事にすっぱりと切り落とされていた。男は、自分がいかにみっともない格好を晒しているかに気付くと、憤怒の形相も凄まじく、公綱にわめき散らした。
「・・・お、おのれよくもこの私に・・・。殺す! 絶対殺してやる!」
 さっきまでの余裕をかなぐり捨て、男は語気荒く言い放つと、役に立たなくなった短冊を地面に叩きつけ、新たな一枚を懐から取り出した。だが、男の憤りもそこまでだった。再び緊張が高まる二人の間を割って、少女が静かに滑り込んだのである。
「もうおやめなさい」
「そこをどかれよ! 麗夢殿!」
 れいむ? 公綱は、ようやくここにきて男が少女を麗夢と呼んでいることに気が付いた。確か智盛様も麗夢と呼んでいたのではなかったか。やはりこの少女は智盛様が探し求めていた娘なのかもしれぬ。公綱が悩める主のことを脳裏に思い浮かべたとき、麗夢と男の押問答は、ようやく決着が付こうとしていた。
「退かぬとあれば、麗夢殿とて・・・」
「私とて? いかがなされるおつもりか?」
 冷え冷えとした小さな声に、あれほど荒れ狂っていた男の殺気が、一瞬で当惑を交えた怯えに変化した。
「れ、麗夢殿、この男を放置して、一体太老様になんと申し開きされる積もりじゃ」
「高雅殿が心配することではありませぬ。さあ、お引取を」
「私は貴女のいいなづけだぞ、それを・・・」
「お引取を」
 高雅と呼ばれた男は、それでもまだ未練がましく麗夢、以呂波、そして公綱を落ち着かない目で見回したが、ようやくあきらめが付いたのか、改めて公綱に視線を固定すると、殺気を込めて男は言った。
「麗夢殿の手前、ここは引いてつかわすが、この次は必ず死んでもらう。左様心得よ!」
 公綱は黙ってにらみ返した。内容はどうあれ、挑戦を受けたとあっては武士として後に引くことは出来ない。男は公綱の不敵な視線を忌ま忌ましげに見つめていたが、やがて急にきびすを返し、白い闇に姿を消した。公綱は殺気が消えたのを確かめると、少女の前に片膝をついた。
「かたじけなくも命をお救い頂き、恐縮に存じます」
「いいえ。礼には及びませぬ。それよりも貴方も早くお立ち去りください。ここは、貴方のような方がいつまでもいて良い所ではございません」
 以呂波が、さっさと行け、というように顎をしゃくってみせた。だが、公綱は、これで引き下がる訳には行かないと、麗夢に話を継いだ。
「いいえ、主智盛のため、ひとつだけお聞かせ願いたい。貴女様は、麗夢様でございますな?」
 数瞬の沈黙が、二人の間を埋めつくした。再び以呂波のうなり声が公綱の鼓膜を震わせたが、軽く手を上げてそれを遮った娘は、やがて、思い切ったように口を開いた。
「確かに。私は智盛様がご存じの白拍子、麗夢にございます」
 公綱は、色めき立って顔を上げた。だが、麗夢はそんな公綱の期待を押さえるように、静かな口調で話し続けた。
「ですが、もう、あの頃の私ではございません。帰って智盛様にお伝えくださいまし。麗夢はもう亡くなった、と」
「そ、それでは、我が主が納得するとは思えません。どうか、今一度主にあって頂く訳には参りませんか?」
 公綱の申し出に、麗夢は力なく首を横に振った。
「それはなりません。これ以上、我らを追わぬよう、築山殿よりも申し添えください」
 ではこれで、ときびすを返そうとする麗夢に、公綱はもう一度追いすがった。
「お待ちくだされ! 貴女は、我が主、智盛をもうお忘れか!」
 振り向いた少女の顔に、公綱ははっと息を呑んだ。美しい白磁の肌に、つと流れるひとすじの涙を認めたからである。だがそれも一瞬のことであった。再びむこうを向いた麗夢は、二度と振り返る事無く霧の中に姿を消した。後を追って以呂波もその巨体を闇に沈めた。茫然と見送る公綱の耳に、玲瓏とした麗夢の声が響いた。
「心にも、袖にも残る移り香も、夢の内にや止めおくべし・・・」
 その声は押し返し押し返しこだまするように繰り返され、公綱は、それが聞こえなくなるまで、その場を動くことが出来なかった。

第3章その1に続く。
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3.有王 その1

2008-03-22 22:31:56 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平安編』
 「随分と遅かったな。智盛」
 揺れる燈の向うで、色白の下膨れな顔がつぶやいた。現在の西八条第の主人、平家総帥、従一位前内大臣平宗盛は、目の前にあぐらをかく若者の目を見据え、その端正な顔がうつむき加減に逸らされるのを待った。
(全く、何故同じ父の血を継いで、こうも顔形が違うのだろう)
 それは、今目の前にいる智盛だけではなく、つい先ほど退出していった維盛(これもり)でもつい浮かんでしまった思いだった。
(どうしてこいつらはこんなにも美しいのか・・・)
 自分も都の花と唄われた平家一門の中で、棟梁としての風格が出てきた、言われるようになってきた。だが、この智盛、それに小松三位中将維盛の、輝きがその内からあふれ出んばかりな美しさはどうであろうか。自分の、こぶを付けているのではと思えるようなたるんだ頬に比べ、二人ともすっきりと通った鼻筋に、引き締まった顎の輪郭が絵に描いたように美しい。光源氏の再来の名をほしいままにするだけのことはある輝かしさだ。それに引換え自分の顔立ちは、お世辞に言ってもみずぼらしさは拭えない。
 これも母の血の違いだ、ということは宗盛にも良く判っていた。平家の根拠地六波羅の奥、小松谷に居を構えた、兄、重盛に始まる小松一門は、亡き父がまだ昇殿も許されない下級貴族だった時分に愛していた女の血が色濃く伝わっている。また、智盛の方は、父が参議からようやく権大納言に上がり、権勢を著しく伸張させた頃に寵愛した、器量だけは古今第一級の、下賎の側女の顔そっくりだ。それに対して三男宗盛、四男知盛、など、今の平家の屋台骨を支える面々の母、平時子は、先の二人に比べればはるかに高位のやんごとなき身分の出ではあるが、美しさだけは残念ながら見劣りしてしまう。
 たが、単に美しいというだけなら、弟知盛が言うように、気にするな、の一言ですんだ。清盛の異母弟、経盛の息子、経正のように、評判の美しさを誇るものは他にも多かったからである。だが智盛と維盛の二人は、亡き父、平相国清盛公の寵愛を一身に受けたというところまで良く似ている。その点が宗盛にこの屈折したこだわりを覚えさせるのだ。
 孫の維盛は幼少の頃から、
「この子こそ将来の平家をしょって立つ男になるに違いない」
と言われ続け、末っ子の智盛も、
「平家に幸運をもたらす厳島神社の使いよ」
と溺愛されてきた。
 厳島神社は、瀬戸内海安芸の国に鎮座する、清盛の信奉篤い平家の守り神である。そして、確かに智盛が生まれた途端、参議から権大納言まで五年もかかった父がたちまちの内に昇進し、たった二年で従一位太政大臣という人臣を極めた。また、智盛元服と同時に、平家の将来を約束する現天皇、安徳帝が、清盛の娘、権礼門院徳子の腹より誕生した。このように、智盛の節目節目がそのまま平氏が一段と興隆する時にあたっているのだから、亡き父が縁起を担ぐのも無理はない。それでも、と宗盛は思う。今、平家の屋台骨を支えているのは、四年前に死んだ兄重盛でも、維盛でも、ましてや智盛でさえない。この自分、前内大臣平宗盛なのだ、と。
 智盛は、そんな宗盛の思いにまるで気付く事無く、真っすぐ視線を据えて宗盛を見返した。
「諸国駆り集めの兵がまた都大路で喧嘩沙汰に及び、それを取り締まるのに少々手間取りました」
「全く、そんなことは検非違使の連中にでも任せておけば良いものを」
「そうは申しましても、行き会ったとあれば放置する訳にも参らず・・・」
「何にせよ、遅参したのは事実だ」
 宗盛は、それ以上の言い訳は無用だ、と、智盛の言葉を遮った。
「・・・申し訳ありませぬ」
 宗盛は、消沈した智盛が頭を下げたことにとりあえず満足した。このように、いつも素直なら、宗盛とていらざる余念に感情を刺激されずにすむのである。宗盛は研の強く浮き出た視線を少し和らげ、用件を切り出すことにした。
「まあ良い。それよりも、今日出向いてもらった訳を話そう。智盛、そなた、夢の木、というものを存じておるか?」
「何です、急に。それより今日御呼び頂いたのは、北国下向の件ではないのですか?」
「木曾討伐なら、今し方、維盛に命じた」
「維盛殿に?!」
「正しくは、通盛と維盛を大将軍に任命することにした。それよりどうなのだ、知っているのか、おらぬのか?」
 宗盛は、こちらの質問に速答しない智盛に、一旦引っ込めかけた苛立ちをあらためて掻き立てた。智盛が気にしている木曾討伐の件は、宗盛にとってはとうの昔にかたの付いた話なのだ。だが、智盛にとってはそんな簡単に引き下がってよい内容ではなかった。これでは、何のために麗夢の行方を公綱に頼んだのか判らないではないか。
 智盛は、無礼を承知で食い下がった。

第3章その2に続く。
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3.有王 その2

2008-03-22 22:30:59 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平安編』
「兄上! 私は、私は木曾討伐に参加できないのですか?!」
「お前には別に頼むことがあるのだ。それより早く答えろ。知っているのか、おらぬのか?」
「別にって、それがその夢の木とやらの事なのですか?」
 智盛には、今の自分に木曾討伐以上の重大事があるとは信じられなかった。先鋒はまあ無理としても、号して十万という史上空前の大軍隊を催すこの一大決戦には、必ずなにがしかの役割を与えられるもの、と期待していたのである。宗盛もそんな智盛の気持ちを満更知らないわけではない。だが、いかに公家ずれしたとはいえ、本質的に武士である平家一門は、誰しも智盛と同じ気持ちを抱いている。そんな一門全員の期待をいちいち忖度していては、宗盛の方が身が持たない。宗盛は、そんな棟梁としての苦労も知らずにただ自分の希望をわめく若造に苦り切った。
「そうだ。答えろ智盛」
 熱くなっていた智盛は、その口調の低温度に初めて気が付いた。しくじったか、と言葉を失った智盛は、しばし押し黙って宗盛の言葉を吟味し、やがて、あきらめたように答えた。
「・・・存じません」
「本当か? 良く思い出してみろ。夢の木について、亡き父上が何か言ってなかったか」
「父上が?」
 宗盛の意外なしつこさに、智盛も思わず考え込んだ。だが、結局何も思い浮かばない。
「やはり、そのようなものは存じません」
「そうか、お前も知らぬのか・・・」
 宗盛は、ふうっとため息を一つついた。
「念のために聞くが、重盛殿からも、何も聞いてないな? お前は、亡き兄上ともうまがあったようだが」
「いいえ」
 智盛は訝しげに宗盛を見つめた。確かに、生前重盛公は何かにつけ自分を暖かく遇してくれた記憶があるが、元々27も年が違い、気のいい伯父のような感覚で接してきた積もりだった。まだ重盛の息子達、維盛や資盛の方が、歳が近いだけにうまがあうといえばいえるだろう。智盛は、木曾征伐の栄誉を担うことになる年長の甥の顔を思い出し、少し拗ねたように宗盛に言った。
「大兄様の事でしたら、小松家御長男の維盛殿にお聞きになられたほうがよろしいでしょう」
「維盛にはもう聞いた。だが、あれも知らなかったので木曾討伐にやることにした」
「そんな! では私も知らないのですから、行く資格があるはずです」
 あくまで軍旅にこだわる智盛に、宗盛は舌打ちして言った。
「遅参したお前が悪いのだ」
 遅れたのが悪い、と言われれば、智盛には返す言葉が無い。宗盛はとにかく智盛の反論を封じ込めると、軽くため息を吐いた。
「だが、父上の覚えめでたかったお前なら、何か聞いていたかも知れぬ、と思ったのだがな」
 宗盛は、一旦外した視線をもう一度智盛に据えた。
「実は夢の木が何であるか、わしも知らぬ。ただ判っていることは、夢の木は文字通りあらゆる夢が叶う木で、晩年、兄上や父上が相当入れ込んで探していた、ということだ」
 そして、志し半ばにして、謎の死を遂げた、という言葉を、宗盛は飲み込んだ。
「父上が?」
「智盛、お前も覚えているだろう。三年前の福原遷都を」
「もちろんですとも」
 智盛は、万感の思いを込めて宗盛の言葉を肯った。麗夢と別れる羽目になったのも、元はと言えばあの遷都の大混乱のせいだと智盛は思っている。
「あの遷都も色々と口実を設けてはいたが、実は都のどこかに隠されている、といわれた夢の木を捜すために、父上が無理矢理人々を都から追いだしたというのが真相だ、と言う説がある」
「そんな無茶な」
 智盛はあの混乱を思い出して唸った。あの時、自分たちの邸宅や法王、上皇、天皇の住まい、その外の大名、小名達の館を打ちこぼち、賀茂川に浮かべて福原まで運びだしたのである。あれがどれほど金と労力を費やしたか、想像するだけで気が遠くなるほどの苦労があった。しかも、六月にやっとのことで移った新都も、一二月にはこの旧都に帰ってくるという慌ただしさで、結局全て無駄になってしまったのだ。だが、父上が夢の木というものを捜したいがためにやったということなら、半年もたたずに元に帰ったのもなるほどと合点が行かないでもない。
「それだけではないぞ。この年末に、重衡が南都を焼き討ちしただろう?」
「ええ。でもあれが・・・、まさかあれも?!」
 宗盛は、智盛が期待どおりに驚いたことに満足の笑みをこぼした。
「そうだ。何でも東大寺にその秘密がある、という密告があったらしい。そこで南都の行状改めがたし、と理由を付け、兵を出して邪魔な坊主どもを一掃したのだ」

第3章その3に続く。
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3.有王 その3

2008-03-22 22:30:04 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平安編』
 東大寺を始めとするいわゆる南都の僧侶たちは、平城京以来の歴史を誇り、結束の堅さや気位の高さが並みのものではなかった。その上荘園や僧兵などを多く貯え、経済力や兵力の上でも侮りがたい一大勢力だったのである。元々平安京遷都も、そんな寺の権力増大を桓武天皇が嫌ったのが理由の一つになるくらい、当時の権力者にとっては扱いにくい存在だった。そしてつい四年前の治承四年(1180年)の夏にも、安徳帝即位でわく都のど真ん中で、以仁王(もちひとおう)と源三位入道頼政による反乱があった時、南都はこの朝敵に味方してその身柄を保護しようとしたこともあった。あの時は何とか事前に事が露見し、宇治川で反乱軍一行を取り押さえることができたから良かったが、もし万一奈良まで奔られ、諸国に檄を飛ばされでもしたら、あんなに簡単にけりを付けられたかどうか判らない。そんなこともあって同年12月に平通盛、重衡を大将に大軍を差し向け、一挙にその組織的軍事力を壊滅させたのだ。だが今の宗盛の言葉どおりなら、これも夢の木を手にいれんと欲する父清盛の望みで行なわれたということになる。一体夢の木とはそこまでする価値があるものなのか、智盛は初めて知る亡き父の心の深淵をのぞき見たような気がして、軽く怖気をふるった。
「だが、結局都にも、東大寺にもそれらしいものは何も発見できなかったようだ」
「あれだけのことをして何もでてこないとは・・・」
「そこでだ智盛」
 宗盛は、少し身体を乗り出すように傾けて、智盛に言った。
「お前が、夢の木を捜すんだ」
「わ、私が?」
 突然のことに言葉がでない智盛に、宗盛は畳み掛けた。
「そうだ。亡き父上が、平氏の存亡はこれに在りと最後の情熱をかけられた代物だ。それを父上の寵愛深いお前が探しだせば、父上への良き供養になるばかりか、我が平氏一門にとっても計り知れない利益となろう。頼んだぞ、智盛」
「お、お待ちください、兄上!」
 智盛は、予想もしなかったなりゆきに慌てて言った。
「父上が、あれほどの費えをかけてお探しになって見つからなかったものなのですよ。それを、急に探せといわれても、見つかるはずがないではありませんか!」
 智盛の、至極当然と思われる抗議に、宗盛はまるで動ぜず、自信たっぷりで答えた。
「心配ない。実はわしも見つかるはずはあるまい、と半ば観念しておったのだが、夢見の僧どもが、このところ続けて同じ夢を見ている。それを夢解きに占わせたところ、お前に探させれば夢の木は見つかる、と判じたのだ。だから、安心して探索に専念するがいい」
 平安時代、夢は神仏がお告げをする神聖なものとして認識されており、わざわざそんな夢告を得るために、寺や社に参篭、つまり夜にお堂などに篭もり、神仏を祈念しつつ睡眠をとる、ということが流行った。長谷寺の観音堂で夢を見るところから始まる藁しべ長者の話や、かの親鸞上人が六角堂で聖徳太子の夢を見、法然門下に入ることを決意したというのもよく知られている。また、こういった夢を見るのは、当の本人でなくてもかまわないとされた。宗盛のように日常忙しく、とても何日も潔斎してお堂に篭もり切りになることのできない者の換わりに夢を見る、という職業もあった。それが夢見僧である。現代の感覚からすれば到底理解に苦しむ話だが、「宇治拾遺物語」巻第十三の五に、奈良時代の大政治家、吉備真備が、播磨国で人から夢を買い求め、それが元で出世する話があるように、たとえ他人の夢といえども、その気になれば幾らでも自分の物に出来るという認識が、当時の貴人達にはあった。夢見僧は、そういった背景を元に、吉夢を見る専門家として重宝がられていたのである。
さらに、夢解きという夢を解釈する専門家までいた。
「しかし・・・」
 それでも智盛は容易にうんと言わなかった。いくら宗盛お抱えの夢見僧が吉夢を得たからといって、そんな雲を掴むような話に、容易に首を縦に振る訳にはいかない。だが、宗盛は一度決めたことを撤回する意志は毛頭無かった。智盛が渋っているのを気付かぬ素振りで、宗盛は言った。
「紹介しておこう。儂の気に入りの夢解きじゃ」

第3章その4に続く
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3.有王 その4

2008-03-22 22:29:01 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平安編』
「有王、と申します。以後御見知りおきを」
 突然背後から挨拶されて、智盛はぎょっとして振り返った。見れば一見目の前の兄と同じくらいの年か? と錯覚するような、生気のない若者がうずくまっている。智盛は、何故今までこの男が後に居ることに気付かなかったのか戸惑い、その慇懃な態度に警戒の念を抱いた。だが、宗盛は智盛ほどこの男に危険を覚えていないのか、自慢の宝を披露しているかのように、笑みをこぼしながら紹介を続けた。
「三年ほど前から我が家に仕えておるのだが、年に似ず、中々に良く夢を判じる男じゃ。今度の夢解きも、この有王が判じた。有王、こたびの仕事、少し説明してやれ」
 されば、と有王は膝を少し前ににじり寄せた。智盛は思わずのけぞりかけたが、何とかこらえて有王と膝突き合わせた。
「智盛様は夢の木、というものをご存じですか?」
 一度宗盛にも答えていたが、律儀にも智盛は知らない、と首を横に振った。対する有王はそうでしょう、と満足気に頷くと、おもむろに夢の木について講釈を始めた。
「夢の木、と申しますのは、遠く唐、天竺よりもはるかに西より伝わって参ったといわれる、伝説の木でございます。その形は一枚の葉も一本の枝もなく、ただ襞の多い柱に無数の刺をまとい、時折牡丹も色褪せるほどの美しい花を咲かせるそうでございます。ですが、その真の力は、花を咲かせる時、人の想いを具現させ、夢をかなえるという験を現わすことにございます。これが、その夢の木の種です」
 有王はおもむろに懐へ手を入れると、錦の小袋を取り出し、口を縛る紐を解いて、中身をさらさらと手の平にあけてみせた。胡麻というには形がいびつな、小さな黒い粒が有王の手の平に小さな山を築いた。
「私が、はるか西方より苦労の末手に入れた、一品にございます」
「しかし種があるなら何も探すことはあるまい」
 智盛の疑問に、有王はほんの一瞬小馬鹿にしたような笑みを顔面にひらめかせた。
「この種を芽生えさせるには、どうしても手に入れねばならぬものがあります」
「何だ、それは?」
 有王は、困惑する智盛にすぐには答えず、ゆっくりと夢の木の種を袋に戻してから、改めて智盛に言った。
「智盛様は、夢守、というものをご存じでございますか?」
「夢守? いいや、知らない」
「夢守というのは、はるか昔から人の夢に入り込み、夢の中身を左右できる特別な力を持った一族のことでございます。夢の木を芽生えさせるには、この夢守の力がいるとの伝承がございます」
「その夢守はどこに居る」
「都の、恐らくは綾小路のどこかに居るはずでございます」
 京の都は、史上有名なように、唐の長安をモデルとして、東西南北に碁盤目状の大路小路を規則正しく走らせた形をしている。綾小路というのはその道の一つで、四条大路の一つ南にあり、都を東西に走る小さな通りの事である。
「そこまで判っているのなら、何の苦労があるのだ?」
 有王は。ふふん、と意味ありげな笑みを浮かべ、智盛に言った。
「夢守は普段目くらましの術をもって人目に付かぬ様姿を隠しております。ただ綾小路を歩きまわっても、見つかるものではございませぬ」
「ではどうやって探すのだ?」
「私の夢占では、それはそう遠くない将来、智盛様ご自身により見つけられる、と出ております。どうか我が言葉を夢々お疑い無き様に願います」
 まだ難しい顔を崩さない智盛に、今まで黙っていた宗盛が口を挟んだ。
「話はもう良いな、有王」
「私からの話はこれで終わりでございます」
 深々と頭を下げた有王を下がらせると、宗盛は智盛に顔を向け、厳かに言い渡した。
「この件はお前に一任する。首尾良く夢の木を手に入れたときは、恩賞も大いに期待するがいいぞ。永らく四位に留まっていたが、この功の暁には三位中将の席を帝に願い出てやる。お前もようやく公卿の仲間入りというわけだ」
 同じ貴族でも、四位と三位では意味合いが全然違ってくる。四位五位というのは貴族のうちでも下級に属し、国司として地方に配属されたり、朝廷で雑用に使われるような低い身分でしかない。それが三位以上になると公卿と呼ばれ、朝議に参画して枢機の仕事を扱うようになり、うまくいけば、更に参議、左右の大臣、太政大臣への道も開けてくるのである。
 これ位餌をちらつかせれば食い付いてくるか、と宗盛は思ったが、智盛の釈然としない表情に、隠しているところを悟られてはまずい、とあわててきつく言い直した。
「念のため言っておくが、これは平氏棟梁としての命令じゃ。ここまで聞いたからには今更手を引くことは許さんぞ。更に話を聞きたくば、後で有王をお前の館に向かわせる故、その時に聞くがいい。では、帰っていいぞ」
 宗盛は、犬でも逐うように手を振って智盛に退出を促した。智盛は、まだ納得がいかず浮かぬ顔を隠そうともしなかったが、結局命令とあれば仕方がない、とでも思ったのか、そっぽを向く宗盛に一礼してその場を去った。宗盛は、ふうっと一息ついて一人ごちた。
「全く、兄上や父上の二の舞を踏むのは御免だからな・・・」
 こんな危ない仕事は、みそっかすどもにやらせておけば良いのだ、と宗盛は思った。兄重盛や父清盛が平家のためを思って夢の木を捜した末、いかに不慮の死を遂げたか。智盛にはあえて言わなかった事実を思い浮べながら、寒気を覚えた宗盛は、急いで奥の待つ寝所へと立ち上がった。

第4章その1に続く。
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4.暗黒の夢 その1

2008-03-22 22:27:14 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平安編』
 暗い、およそ光の所在を感じさせない場所であった。夢だと意識していなければ、底知れぬ洞窟の奥なのか、はたまた目が潰れてしまったのかも判らなくなるほどの闇の深さである。夜目には自信のある綾小路高雅も、眼球全てに染み渡るような漆黒に取り巻かれては、なす術が無かった。夢守の長、大老が見ている夢の中。そこは、側近の内でも特に許された者しか出入りできない禁断の場所である。高雅は、三年前に初めて入ることを許されて以来、何度かここを訪れているが、光も音もない夢が果たして夢といえるのかどうか、時々疑問に思うこともあった。
 五感を封じられた高雅は、あえぐように闇を掻き分け、おぼつかない足取りを奥へと進めていった。及び腰で手探りする姿は、他人には見せたくないこっけいで惨めな格好であるが、さしもの高雅もこれだけはどうしようもない。だが、高雅は知っていた。あの麗夢も、大老と同じくなんの不自由もなく、まるで真昼の都大路を闊歩するかのように自在にこの中で動くことが出来ることを。宗家と分家の違いといってしまえばそれまでだが、自分が麗夢に遠く及ばない事実は、高雅の自尊心を痛く傷つけていた。
(だが、そんな屈辱も今しばらくの辛抱だ。夢守の姫を娶り、自分もあの高貴なる血の連なりに並ぶことがかなえば、もう二度とこんな思いはしなくて済む)
 高雅は、あの陶器人形のように美しい娘を自分のものに出来るという想像に言い知れない快感を覚えた。そうなれば、もう自分を押さえ付け、我慢を強いるような連中も一掃できる。新しい夢守の長として、君臨出来るはずなのだ。
(あの男はそう俺に約束した)
 高雅は、三年前に会った一人の男の姿を脳裏に浮かべた。それ自体意志を持つかのように、相手の目の前に突出した大きな鷲鼻が鮮明に蘇ってくる。その男が高雅の未来を約束し、それを裏付けるかのように、眠っていた高雅の力を開眼させたのである。おかげで、こうして余人では敷居をまたぐことさえ許されぬ大老の奥の院まで自由に出入りする資格を得たのだ。
(だが! あの下賎の者は、事もあろうにこの俺の顔へ傷を付けた!)
 ほんの一刻前の醜態が思い出され、高雅の頬へ憤怒の炎が燃え上がったかのように赤みが差した。途端に左頬の傷がずきずきと痛みだし、高雅の怒りに油を注いだ。
(絶対に、絶対に許すことは出来ぬ。かならずこの俺の手で、あの男を殺してやる!)
 高雅は、公綱の人を小馬鹿にするかのような姿形を思い浮べた。大体あの背格好がいけないのだ。どう見ても達磨のそれを連想させる、鞠をそのまま大きくしたような肥大漢が、あんなに素早く動くとは。いかに考えてみたところであれは詐欺としか思えない、許しがたい強さであった。そんなものに騙され、侮ってしまった自分の迂闊さは高雅には見えない。ひとえに悪いのはあの築山公綱であらねばならなかった。
(それに麗夢だ! 夢守宗家だからといって増長しおって。小娘め。もうすぐ二度とあんな出過ぎた真似は出来ない様にしてくれる!)
 そのためにも、まだしばらくこの闇にも似た衣裳を身にまとう、鼻の高い老翁の事を、他の者に知られないよう注意しなければならなかった。晴れて自分が夢守の長に納まるその時まで、男の事を秘め通すことが、高雅に課せられた約束なのだ。
(大老に対しても、決して知られてはならない)
 男は、そのための結界を高雅に作ってくれたはずだった。たとえ大老の力が底知れぬとしても、この結界があれば高雅の本心を隠し通すことが出来るはずなのである。
 高雅は少しだけ自信を取り戻すと、更に闇を分け入って奥へ進んだ。
 無限にも思える闇の中をひたすら歩み続け、まさか踏み惑ったか、と軽い怖気をふるったところで、高雅の手が一枚の襖に突き当たった。方角も判らないこの夢は、いつも高雅に見当違いの方へ歩いてしまっているのではないかという不安をもたらしてくれる。いい加減そろそろ慣れても然るべきだとも思い、歩数を取ったことさえあったが、次に来た時にはまるで歩く距離が変わっていることもしばしばだ。結局高雅は、毎度大老の夢の中で遭難する危険に怯えつつ、この襖まで辿り着いて息をつく事を繰り返しているのである。が、ともかくここまで辿り着けば一安心である。この向こう側に、目指す大老がいる。高雅はほっとして端を探り当てると、膝をついて襖に手を掛けた。いつもならここで、誰か、と誰何する大老の声が聞こえてくる。だが、この日ばかりは少し勝手が違うようだった。はっきりした大老の呼び掛けの代わりに、くぐもった小さな声が二つ、聞こえてくる。珍しいことに先客が中に居るようだ。高雅は、ともすれば遠くで蚊がうなりを上げているかのようにしか聞こえない小さな声を、拾い上げようと懸命に耳を澄ました。
「・・・どうじゃ。今度こそ想いを断ち切れたか?」
「はい・・・」
 麗夢! 高雅は、小さく消え入るように大老に返事を返した声を聞いて愕然となった。自分はあの屈辱の戦いの後、すぐにこの大老の所を目指して疾駆してきたつもりである。それなのに、どうして麗夢の方が先にこの夢の中にいるのだ? 高雅は更に聞耳を立てて中の様子を窺った。
「もう三年になる」
 大老が、年古りた老婆の声で、ため息混じりに麗夢に言った。
「そなたがあの平家の小せがれに身を汚され、それを清めるために諸国の霊場を経巡る旅に出てから。だが、ようやく時は来た。高雅のおかげで種が手に入り、夢の木が再び甦る時が。そして、そなたの身もすっかり美しく清められた。後は、夢の木が花開くのを待つばかりじゃ。そうなれば、綾小路家に伝わる陽の気と我が宗家に伝わる陰の気を夢の木に託し、必ずや我が願いは成就するじゃろう。それも後少し。半年もせぬ内に時が満ちる。麗夢、今度こそ、儂を失望させるでないぞ」
「はい」

第4章その2に続く。
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4.暗黒の夢 その2

2008-03-22 22:26:14 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平安編』
 夢の木は、夢守宗家が代々その種を伝承していた。そして、時が満ち、夢守の儀式を執り行うときだけ、種を播いて木を育てることになっていた。ところが、大切に保存されてきた夢の木の種が、ほんのちょっとした気の弛みから失われてしまったのである。それを再び捜しだしてきたのが高雅だった。にわかに力を付け、しかも儀式には欠かせない夢の木の種を献上した高雅は、たちまち大老の覚えめでたく、麗夢の配偶者に決められたのである。もっとも、その種の出所については高雅は秘していた。口では綾小路家の倉の奥より捜し出したなどと言ったものたが、本当は違う。その種は、高雅に力を授けた男から譲り受けたものなのだ。そのことを高雅は黙っていた。あくまで秘密にすることが、その男との約束だったのである。
 しばし、その事情に思いを馳せた高雅は、続けて麗夢が切り出した話に、一瞬で現実に引き戻された。
「一つお願いがございます」
「なんじゃ、申してみよ」
「もはや平氏と我らには何の縁もゆかりもありませぬ。なにとぞ大老様におかれましては、そのような些事にはお気を取られる事有りませぬ様、伏してお願い申し上げます」
「平氏の小せがれ共に手を出すな、というのじゃな?」
 麗夢の沈黙は、百万言に匹敵する雄弁な返答であった。高雅は、先を越されたとの思いで大老がどう返事するか、必死になって耳をそばだたせた。
「まあ良かろう。正直な所そなたには一抹の不安を覚えたが故に、敢えてあの平家の小せがれに会うよう仕向けたが、どうやら儂の杞憂で済んだ。そなたが儀式の時までここに留まれば、二度と邪魔立てされる心配はない。さあ、下がるが良い。次の客がそこに控えておるのでな」
 俺が来ていることがやはりばれている! 高雅はどきりとして額に脂汗を浮かべつつ、いかにも今来たかのように装って名乗り上げた。
「参れ、高雅。主にも言うておかねばならぬ事がある」
 高雅は盗み聞きしていたことなどおくびにも出さず、そっと襖を開けて中ににじり入ると、やはり暗黒の中でこの辺りかと見切りをつけ、平伏して言上を述べた。
「大老様におかれましてはご機嫌麗しゅう、恐悦至極に存じます」
「良い良い、取って付けたような口上は止めい、高雅」
 よほど機嫌がいいのか、大老の声が心なしか弾んでいるように聞こえる。はっと改めてひれ伏した高雅の背後で、軽やかな衣擦れの音が幽かに鳴り、そっと襖が動く気配が感じられた。
「それよりも、儂に言いたいことがあって参ったのであろう。まずはそれを聞いてつかわそう。何なりと申してみよ」
「はっ。有り難き幸せ・・・」
 高雅は、滅多にない機会と自分を励まし、大急ぎで用意してきた言葉を吐いた。
「また、あの平智盛が我らの邪魔立てをしようとしております」
 高雅は、つい先程東京極綾小路であった、智盛の配下、築山公綱と以呂波のごく短時間ながら熾烈な戦闘の模様を語った後、始末を付けようとした自分の好意を邪険にした麗夢の不当な処置を訴えた。
「智盛はあきらめておりません。このまま放置してはいずれ必ず邪魔をして参ることでしょう。それには先手を打って排除するに如かず。是非その役目、この高雅にお命じ下さい」
「儂が先ほど、麗夢に約した事は聞いておったであろう。一度約した以上、そのことはもう口にするな、高雅」
「しかし!」
「儂が捨て置けと言うておるのが、気に食わぬと言うのか?」
 大老の機嫌良い声が、一瞬雪に手を突っ込んだように冷えた。高雅はあわてて釈明した。
「め、滅相もございません! この高雅、大老様に逆らうなど、露ほども考えたことはございません」
「ならば良い。だが、お前が心配するのも無理はないのう」
 大老の声に柔らかさが戻った。ほっとした高雅に、大老は続けた。
「三年前、我が大願が成就する寸での所で、あの下賎の者に邪魔された。あの時はお前にも済まぬ事をしたわい」
「いいえ、私なぞお気遣いは無用に存じます」
 そう言いつつも、高雅は三年前を思い出し、無念の思いにほぞを咬んだ。あの時も、期待と不安がない交ざった思いで、こうして大老の前に這いつくばっていた。それが、一方的に儀式の無期限延期を大老より告げられ、花嫁になるはずの麗夢は、高雅には一言もないまま諸国行脚の旅に出てしまったのである。大老はその理由を決して高雅には語らなかったが、ほのかに伝え聞いた所では、麗夢が禁を侵して汚れを呼び込んだため、それを清める禊の旅に出されたとのことであった。永らくその事の真偽を高雅は確かめることが出来なかったが、図らずも今日、高雅は伝え聞いた噂が事実だったことを知ったのである。
「が、約束は約束じゃ。いずれ儂も何らかのけじめを付けねばならぬとは思うておる。又平氏の連中が夢の木の事を探り始めているようだしのう。全く、頭領を二人もそれで失のうておるのに、懲りぬ連中だて。だが今は捨ておけ。智盛だけではない。その一族郎党もじゃ。時が来たれば、お前の望みもかなうこともあろうて」
 公綱のことで先手を取られ、意気消沈した高雅は、大老の最後の言葉に一縷の望みを託した。
「では、その時が参りました折りは、必ずこの私にその任をお与えいただけますよう、お願い申し上げます」
「良かろう、考えておこう。それよりも高雅、例の件はどうなっておる」
 高雅は内心、来た! と全身鎧をまとったように身構えたが、口の方は用意してきた答えをなめらかに吐き出していた。
「は、真に申し訳ない事ではございますが、敵もさる者にてなかなか尻尾を出しませぬ」
「そうか、じゃが儂には判る。三年前から一向に動こうとせず、この都に居座る奴の気配がな」
 大老は、やや早すぎる高雅の答え方に何の疑念も浮かばなかったのか、続けて高雅に改めて言った。
「とにかく平家の小せがれよりも奴の方が危険なのじゃ。何としてもその居所を押さえ、儀式の邪魔だてをされぬ様にせぬとな。高雅、探すのじゃ、奴の居所を」
 高雅は、改めてひれ伏しながら、額の汗を抑えようと必死だった。何故なら奴こそ、高雅に力と種を与えた張本人だったからである。

第5章 その1に続く。
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5.色葉 その1

2008-03-22 22:24:28 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平安編』
 かつん、という音を立てて、公綱の足元の小石が、左の後から飛んできた同じくらいの石に弾き飛ばされた。反射的にきっと振り向いて睨みつけた視線の先で、破れ築地の影に一瞬だけひらめいた、子供のものらしい小さな手が消えた。わあーっと言う喚声が、人気の絶えた大路の向こうから上がる。また違ったか、と公綱はほっと息をついた。ここ二月余りというもの、常に何者かの視線が付きまとうような気がして、夜も落ち落ち寝ていられない有様だった。相手は大体見当が付いている。あの、桜散り舞う春の夜、公綱を屠らんとして逆に手傷を負った、高雅という名の陰陽師である。あの時の捨て台詞、「必ず殺してやる」の機会を捉えるために、公綱を見張っているに違いないのだ。命のやり取りをすることはそれほど恐ろしいとも厄介とも思わない。だがこのような陰湿な監視を受け続けるのは公綱も初めての経験で、それだけに神経をすり減らす思いを強要された。多分そうやってこちらの疲労が極に達し、付け入る隙が生じるまで、公綱の逆鱗をなぶり続ける積もりなのであろう。
 軽い安堵で和らいだ公綱の視線の先で、数日前に行き倒れたと見える女の虚ろな目が、恨めしげに自分を見上げているのに気づいた。公綱は、自分を翻弄するもう一つの大事件の責任を暗に問われたような気がして、後ろめたい気分に襲われた。
 実際、この僅かな衣裳もはぎ取られ、まとわり付く蝿を服代わりした死体だけでなく、京中のほとんどが、自分達を恨み、怒りを募らせているはずだった。それというのも、四日前の寿永三年(1183年)4月13日、いよいよ木曾追討軍四万の兵が、京の都から動きだしたからである。
 小松三位中将平維盛、越前三位平通盛など、主だった大将軍6人、それを補佐する名のある侍340余り、その統率下で直接干戈を交える戦闘員一万二千、輜重、工兵、その他諸々の役に就くもの三万弱という大軍である。平氏隆盛の糸口となった二十年前の平治の乱が五百騎。平氏劣勢を印象付けた二年前の富士川合戦の時でも、動員兵力は総勢四千足らずでしかない。それからすれば、号して一〇万と喧伝された今回の動員は、これまでの兵力を大きく凌駕する本邦始まって以来の空前の規模であり、それだけに朝廷や平氏一門の、今度こそ木曾義仲、源頼朝を討滅せんという意気込みたるや、都を覆い尽くす勢いであった。
 だが、この天下無敵を誇る史上最大の軍勢には、致命的といえる欠陥があった。
 食料である。
 四年前の治承三年(1179年)に端を発した米の不作は、続く四年五年の大旱魃で、更に輪をかけた飢饉となった。この時、京の都は人口推定20万人。世界有数かつ日本唯一の大都市は、依存していた外部の食のほとんどを失い、未曾有の飢餓地獄に落ち込んだのである。そのすさまじさを、鴨長明が著書「方丈記」に生々と書き記しているが、この時の飢えと流行り病が、わずか三年の間に京の人口の三分の一を死滅させるという、酸鼻極まる有り様を生んだのだった。
 その影響未だ覚めやらぬ中での軍の召集と出師は、辛うじて生き残った都の人々に苛烈な生地獄を経験させることになった。諸国から集められた大軍は、都の人口の二割に匹敵する。対する朝廷の米倉には、この腹を空かせた四万人にあてがうものはほとんどない。
 そこで時の政治責任者、すなわち平氏の棟梁前内大臣平宗盛は、およそ為政者としては考えられない方法で、この事態の打開を志した。これら軍隊に、都でも比較的食に恵まれる富裕層への略奪を認めたのである。
 当時の観察者の一人、公卿の九条兼実は、その日記「玉葉」四月一三日の条にこう書いている。
「武者等の狼藉、・・・、人馬雑物、眼路に懸るに随って横さまに奪取す。前内大臣(宗盛)に訴うといえども、成敗するあたわず・・・」
 宗盛に訴えても埒が明かないのは当然だろう。宗盛にとっては、都の貴顕がどのような乱暴狼藉で辱めを受け、食を奪われようと、怠ってはならない神聖なる義務があった。偉大なる父、清盛がその死に際して残した遺言、
「頼朝の首こそ我に対する最大の供養なり」
を万難を排して実行することこそ、唯一尊重するに足る政策だったのである。そして、禽獣とさして変わらない田舎者どもに蹂躙された都人達は、深い憤りと恨みを募らせて、本来なら歓呼で送り出すべき官軍に唾を吐き、これを取り締まることなく黙認した平氏の者たちに、石を投げるのであった。

第5章その2に続く。
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5.色葉 その2

2008-03-22 22:23:02 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平安編』
「是非もない・・・」
 公綱は女から目をそむけると、妙に人気の無くなった都大路を肩を落として歩き出した。その足元にまた石が飛んできたが、振り返るのも億劫になった公綱は、とにかく今はそれどころではない、と言い訳を作り、そのまま前に歩きだした。
 確かに公綱は多忙を極めた。智盛の家事を裁量する傍ら、宗盛から、今回の動員に漏れた平氏直属の侍としていいようにこき使われている。その一方で当の智盛はと言うと、宗盛邸から移り住んだ有王につきっきりになり、夢守、とやらの探索に、没頭している様子だった。公綱は内々に智盛より命じられ、この有王の監視も背負い込んでいるから、文字どおり不眠不休の毎日である。
 だが、公綱にとってはそんな日々など心中の心配事に比べれば全くの些事に過ぎない。公綱の一番の心配事、それは智盛の様子である。公綱自身多忙を極めることもあってなかなか以前のように親しく口をきく機会もないが、あんな訳の分からない仕事を大殿から押し付けられてきたかと思ったら、海の者とも山の者とも区別の付かぬ怪しい若造の言うことを、いちいち唯々諾々と承って、神の託宣の如く扱っているのが何とも不気味に思えるのだ。その託宣ももう二月になるというのに一向に進展を見せる気配がない。普通なら、とうに疑問の一つも湧いておかしくない。
 やはりあの春の夜の後遺症だろうか・・・。
 公綱の悩みはそこに尽きる。麗夢の拒絶の言葉を公綱から聞いた智盛は、以後一言も麗夢のことを言い出さなくなってしまった。表面上は麻疹が治るようにすっかり忘れ果てているかの如く装っているが、果たしてその胸の内がどうなのか、は、さすがに公綱にも判らない。そこを思い切って問いただそうと機会を伺ううちに、北陸遠征が本格的に動き出し、その後始末に公綱の日常は埋め尽くされてしまったのだった。
 その主だった仕事は都の治安維持である。ただ、集まってきた兵自体が春の時分の数倍にもなり、かつ一番上の頭領が掠奪を黙認したものだからたまらなかった。このわずかな期間に、公綱が直接間接に関わった喧嘩や強盗、女への狼藉など、もういちいち数える気にもならない。それも、公綱らに咎められて素直に謝罪したり逃げ散ったりすることがほとんどないのだ。大抵平氏の威光を傘にきており、中には公綱を見知っていて一瞬怯む者もたまにいるが、ほぼ全員が次の瞬間、
「栄えある遠征軍の○○様直属の兵たる我らに、居残り組が何を偉そうに言うか!」
と逆に突っ掛かってくる始末である。もっともそうやって公綱の逆鱗に触れた者はきっちりその報いを取り立てられたが、痛め付けても叩き伏せても、都中に充満する不埒者の数は一向に減る気配を見せず、公綱の徒労感はうなぎ登りに募るばかりであった。そのときの公綱の希望は、一日でも早くこの連中が木曾討伐に出発してくれということだけだったと言っても過言ではない。
 その望みがやっとかない、三日前からゆるゆると軍勢が出発している。平家物語には四月一七日、辰の時刻に全軍発動したような記事が載っているが、先の兼実の日記にも有るように、実際にはおよそ一〇日余りかけて少しずつ軍勢は都を出発している。実際、当時の道路事情などを考えれば、四万もの大人数が一斉に行動出来る道は都大路をのぞいて無い。だがそれ以上に彼等の足を鈍らせているのは、少しでもここで余計に食料その他を徴発しようと、これまでにも増して都での掠奪に精を出している者がいるからでもあった。
(まただ)
 公綱は、前方で上がった女の悲鳴に、ここ数日で深くなった眉間のしわを、一段と刻んで駆け出した。宗盛が許している手前、さしもの公綱も食料徴発だけだった場合は、断腸の思いで黙認することにしている。だが、大抵そんなものでは納まらないのが、暴走する軍隊の悪弊である。何か食べていれば口に手を突っ込んでも奪い去ろうとし、着ている着物もおかまいなしにはぎ取るような連中である。そのついでに女へいかなる狼藉を働こうとするかは、想像するまでもない。
 公綱が義務感と、何よりも愛する平氏の名をこれ以上貶めることの無いようにという願いを胸に騒動の現場に駆け付けた時、公綱の怒りは自重を呼び掛ける理性のたがを、いともあっさりと吹き飛ばした。
「貴様等! 白昼の往来で何をしている!」

第5章その3に続く。
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5.色葉 その3

2008-03-22 22:21:07 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平安編』
 それは、既にありふれた掠奪の現場の一つに過ぎなかった。被害者がまだ下げ髪の、十二、三位の少女であったこと以外は。既に気を失っているのか、ほとんど裸同然で仰向けに倒れている少女の上から、数人の雑兵がこれ以上ないいやらしい目付きでのしかかろうとしているのだ。普段ならここで驚いた男達が公綱を誰何し、その答えにあざけりもあらわに邪魔するな! と怒声が飛んでから、是非なし、と公綱が暴れだす手順を踏むのだが、この光景を目のあたりにした公綱は、その一切をはしょった。脱兎のごとく男達の群れに飛び込んだ公綱は、ほとんど瞬きする間もなく数人の、具足や胴丸で固めた完全武装の男達をのしてしまった。男達は、実際自分達に何が起こったのかも実感できないまま意識を闇に叩き込まれたことだろう。公綱は、収まらぬ怒りで荒い息を繰り返しながら倒れた男達をにらみつけていたが、少女のあられもない姿に気付くと、あわてて自分の狩衣を脱いで少女に掛けた。再び自分を覆った布の感触が促したのか、少女はぱっちりした目を開けて、心配そうにのぞき込む公綱を見上げた。
「大丈夫か?」
 公綱は、恐る恐る身構えながら少女に聞いた。これまでにも、助けた公綱を暴漢者と間違えて、悲鳴を張り上げる女に当たった事は一度や二度ではない。そのたびに公綱は女を宥めようとして失敗し、まるで自分が悪いことをしたみたいにほうほうの体でその場を逃げ出していたのだ。だが、この少女は賢明にも公綱の事を認めてくれたらしい。その目がにっこりと輝きを増したのを見て、公綱は心の底から、ほっと安堵のため息を吐いた。
「お侍さんが助けてくれたんだね?」
 少し甲高いが、張りのある元気な声に、公綱は頷いた。
「ああ。だがこの非常時に娘が一人で往来を歩くなど、正気の沙汰ではないぞ。家はどこだ? 儂が送って行ってやる」
「家なんてもう無いよ。すっかり持っていかれた時に、ついでに壊されちまった」
「親か兄弟はおらぬのか?」
「誰も」
 少女の首が力なく横に振れた。流行り病か飢えで身内が全滅してしまったのだろう。公綱は、悪いことを聞いてしまった、と後悔しつつ、どうしたものかと思案に暮れた。そうか、では達者でな、とここで別れられれば楽で良いのだが、この少女が行く宛てを失ってしまったのも元はといえば自分たち身内の不始末である。それがあるだけに、公綱は無碍に少女を放置する気にはなれなかった。公綱はしばらく考えた末、思い切ってこう言った。
「儂の所にくるか? 飯も着物も、大したことはしてやれぬが」
 公綱の言葉に、娘の表情がぱっと明るくなった。
「いいのかい?」
 口には遠慮を言いながら、顔中に期待の喜びをたたえた少女に、公綱は自分も笑顔になって大きく頷いた。
「構わぬよ。気にすることはない」
 公綱は、立ち上がろうとする少女に手を貸した。
「お前、名は何と言う?」
 いろ・・・と言いかけてあわてて口をつぐんだ少女は、半瞬のためらいの後、色葉、と名乗った。
「美しく色付いた紅葉、という意味の名前」
 何か聞いたことのある響きだなと思いながら、公綱も名乗ろうとした。
「そうか、儂の名は」
「築山公綱様、でしょ?」
 公綱は、見知らぬ少女にあっさりと自分の名を言い当てられて、目を丸くして驚いた。
「そうだ。だが何故知っている?」
「そんな一向に強そうに無い達磨さんみたいな男で、あんなに強い人っていったら、都には築山様以外にいないじゃない」
 ぱっと破顔して笑った顔が、公綱の心を鷲掴みにした。つられて笑った公綱は、ここ数日覚えたことのない明るい気持ちになった自分に驚きながら、色葉と名乗る少女を連れて、ひとまず自分の館に帰ることにした。

 公綱が女を連れてきた! という話は、驚きをともなって智盛家中を駆け抜けた。あの身持ちの堅い築山殿が、自ら女を館に招き入れるとはどういう風の吹き回しだ、と驚き呆れたのである。だが、真相を知るに及んで、そうかそれなら有り得る、と皆納得の顔を見せた。公綱の見栄えが、どう好意に解釈しても女を引き付ける要素を持つとは到底信じがたい一方で、公綱の心底に流れるやさしさを皆が知っていたからである。公綱はそんな部下達の目を気にとめることはなかったが、唯一、智盛にだけは、どう言い訳したものかと多いに気を揉んだ。公綱は、相手の言葉を伝えただけとはいえ、智盛に対し、愛する女を諦めるように言っている。それに対して自分がたとえ子供でしかも緊急のこととはいえ、こうして一応女を連れ込んでいるのだから、きまじめな公綱が悩むのも無理はなかった。第一、色葉の世話好きは並のものではなく、公綱の身辺が見る間に見違えるほど清潔に整えられていくにしたがって、こんなうわささえ立ち始めた。

第5章その4に続く。
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5.色葉 その4

2008-03-22 22:19:51 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平安編』
「築山殿は、今からあの娘を仕込んで、将来自分の家内に据える積もりらしい」
 さすがにこれにはむっとしたが、事情を知った智盛までが公綱をからかうに及んで、公綱はやっと安堵の溜息を漏らした。
(どうやら智盛様は本当に吹っ切られたらしい)
 顔を真っ赤に染めて智盛に抗議しつつ、公綱はようやく殺伐とした毎日が華やかに変じるのを、心から楽しめるようになったのである。
 そんな中で、一人面白くなさそうに仏頂面を下げていたのが、匂丸である。その機会を中々捉えられず、いらだちを深めていた匂丸は、ようやくある日、家中出払って人気が絶えた時を捕まえて、色葉を奥に連込んだ。辺りに人気が無いことを何度も念押しするかのように確かめた匂丸は、開口一番、非難の口調を隠そうともせず、目の前の少女に叫んだ。
「以呂波! こんな所まで何しにきた!」
「何しにきたとはご挨拶じゃない」
 色葉、いや、本名以呂波はほおを膨らませて匂丸をにらみつけた。
「あんたがしっかりやっているか、見にきてやったのよ」
「余計なお世話だ。智盛様の身辺はしっかり守ってるし、奴の居所だってちゃんと探っているんだ」
「あらそう」
 以呂波の気の無い返事に、匂丸はいきり立った。
「お前こそ、姫様の警護はどうしたんだよ!」
「麗夢様なら、大老様が館に閉じこめておいでよ。儀式のための禊を完成させるんだってさ」
 以呂波の口調に少しばかり刺があるのは、大老のやり様に納得行かないものを感じているからに他ならない。特にこの間の智盛との対面など、やらずもがなの事ではないかと以呂波はずっと批判的だった。以呂波には、どうしてこの大事なときに敢えてそんな事をして姫様の気を乱すのかが理解できないのだ。もっとも、そのおかげで興味ある人間に出会えたのだが、それをもって差し引きするには姫様にかかる負債の方が、少しばかり多すぎる様に、以呂波には思える。
 一方麗夢と智盛の対面に対しては、匂丸には違う見解もある。三年前の姫様が初めて見せた心からの喜びの表情、そして落胆と哀しみの表情。これほど喜怒哀楽をはっきりと姫様が見せることが出来たのは、この世にただ一人、智盛だけなのである。ひたすら姫の平穏を祈る以呂波と幸せを願う匂丸では少し見ている角度が違うのだが、姫様大事の一念だけは、互いに譲れぬことも、二人は理解していた。
「それより、奴の居所はつかめたの?」
「いや、まだだ」
「何のんびりしてるのよ!」
「手がかりはつかんだんだ! でも・・・」
「でも、何よ」
「それが、ちょっとおかしいんだ」
 匂丸は、何故自分が以呂波を連込んだのかも忘れて、これまでに気の付いたことを以呂波に語りだした。
「怪しいのは、有王って言う夢解きの奴なんだ」
「有王? 誰なのそれ。聞いたことないわね」
「だろう? 夢解きのくせにおれたちが知らないなんて、どう考えてもおかしいじゃないか?」
 以呂波と匂丸の仲間、夢守は、夢に関係する全ての者たちの元締めであり、夢見僧や夢解きも、一人の例外無く何らかの形で夢守の大老と繋がりを持っている。逆に言えば、夢守の大老と何の繋がりもなくこれらの呼称を使い、仕事することは出来ないのである。その点、一応賀茂氏と安倍氏によって国が統制しているにもかかわらず、どちらにも属さない私設民間業者が大手を振って歩いている陰陽師とは、その結束が随分と違う。もっともこれは、政治を私する大物貴族連中が何かと重宝ぶってこの民間業者へ表に出せない仕事を請け負わせたりするせいでもある。だが、そんな彼等でさえ、こと夢に関する事だけは、夢守に話を通しておかないとならない。それすら知らないもぐりの業者は、どれほど力があろうともいずれ人知れず消される運命にある。それほど夢守の力は大きく、決して表に出ることはないものの、この国に確固とした隠然たる勢力を誇るのである。
 そんな背景から有王を疑った匂丸は、既に有王にほのかに付いた匂いにも気付いており、疑いを決定的なものにしていた。 
「それに、あの男から奴の匂いがするんだ」
「本当に?」
「ああ、間違いない。時々確かにぷんぷん匂う時があるんだ」
「あんたがそう言うなら間違いないわね」
 こと嗅覚に関しては匂丸に遠く及ばない以呂波は、ふんと鼻を鳴らして匂丸の言葉を肯った。
「じゃあ、その有王って奴を締め上げれば済むじゃない」
「そんな簡単にいくか」
 匂丸は仲間の浅慮にため息をついた。
「締め上げたって白を切られるのがおちだろうし、第一操られているだけなのかもしれないから、本人は何も気付いていない可能性もある。それに、感付かれた、と気付けば、奴だってすぐ居場所を変えるだろう」
「じゃあどうするのよ」
「しばらく様子を見る。とにかく見張りを厳重にして、動かぬ証拠を握るんだ」
「しょうがないわね」
 短気な以呂波にとって待つというのは基本的に難しいことであるが、それは今のところ大きな問題にはならなかった。わざわざひ弱な少女を装う芝居までして近づいた興味深い存在。本来の自分と真っ向から勝負できる男の身近にいる限り、以呂波はいつまででも待てるに違いなかった。

第6章その1に続く。
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6.密会 その1

2008-03-22 22:18:43 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平安編』
 昼間はあれほどざわついていた都も、さすがに日が落ちると表面上は落ち着きを取り戻しているかのように見える。梅雨も明け、人々を圧倒するような満天の星が空を埋め尽くし、長大な天の川がきらきらと輝きながら天を大きく横切っている。昼間の余熱がまだ冷め切らないのか、少し動いただけで汗が吹き出るような蒸し暑い夜ではあるが、今夜の寝苦しさは都人にとって又格別のものがあるだろう。
 5月16日の深夜。
 有王は綾小路を歩きながら、今日都を席巻した北陸戦線の噂について、思い起こしていた。
 官軍敗滅の飛報である。
 それまで都には、遠征軍の華々しい活躍だけが伝えられてきた。
 4月26日越前国に進出。
 4月27日、火打城攻略。
 5月3日、加賀国越境。
 5月8日、加賀国篠原で勢揃い、といった具合である。
 それらを含め、大小の情報が数日を経て京の都まで伝えられ、そのたびに朝廷や平氏の重臣達は、今度こそ木曾義仲を討ち取れるもの、と期待を膨らませてその戦果を喜びあっていたものである。また、5月11日には、九州で平氏の権益を代表する肥後守貞能(ひごのかみさだよし)が、それまで何かと反抗的で中央の意向に従わなかった菊地一族を帰順させた旨、使者を遣わせて奏上してきた。まさに、宗盛とそれに従う平氏の一族にとって、この日は頭領清盛を喪って以来、久々に訪れた幸福な日であったに違いない。だが、現実はこの日、既に破局の場を平氏の為に用意していた。
 その場所を、倶利伽羅峠という。
 ここまで破竹の勢いで連勝を重ねてきた官軍は、木曾義仲の巧妙な策に引っ掛かり、地理不案内の山中に誘い込まれた末、突如の奇襲になす術もなく打ち破られた。わざと開けられた退路は倶利伽羅峠の断崖絶壁に繋がっており、そうとは知らない追討軍は、その兵力の大半を崖下に吸い込まれ、全軍壊滅の惨を呈してしまったのだ。 この敗報がどれほどの驚愕を以て速攻で都まで駈け上ったか、当時の記録を見るとよく判る。たとえば追討軍が加賀国に入ったという報は、およそ9日間かけて北陸路を上り、5月12日になってようやく都に伝わっている。ところが倶利伽羅峠の戦いはわずか5日間、およそ半分の時間でより長い距離を走り抜け、都を仰天させたのである。
 もちろんまだ第一報で、大敗の二文字が一人歩きしているきらいがある。中には大将軍維盛の戦死や、追討軍消滅といった出所不明の怪情報も少なくない。それでも、敗北が実は誤報だった、という話は、ただの一つも上ってくることはなかった。程度の差こそあれ、壊滅的な打撃をこうむったという話だけは、どの報告でも一貫していたのである。その後の詳報を得て、追討軍の大半が潰え去った事実を知った宗盛以下が、一時呆然自失したのも無理はない。
 もちろん都は、今にも義仲が攻めてくる、とばかりに上を下への大騒ぎとなった。早くも家財一式を牛車に積み込み、逃げ出しにかかる富豪が居れば、留守居を命じられた少数の武士が、今度こそ出番だ、とばかりに一旦仕舞い込んだ武具一式を取出しにかかる。智盛邸でも郎党の築山公綱が戦の準備に取り掛かるよう指示を出し、大わらわになっていた。
 そんな混乱を、有王は冷ややかに眺めている。特に、宗盛以下の平家の公達が驚き慌てる様は、久しぶりに爽快な見物となった。だが、その一方で、この所、急速に鎌首をもたげてきたある思いがある。それは、冷えきった有王の心の隅で、ちりちりと良心を揺さぶるかのように燃え始めているのである。
(何故あの男が仇の片割れなのか)
 有王は、その涼やかで理性的な眼差しを思い浮べ、眉間にしわを寄せた。
 平智盛。
 四位少将の高位にありながら、下々の者にもきめ細かい配慮を自然に行なえる男。初めの頃、有王はこれを人気取りの姑息な演技だ、と思い込んだ。だから、努めて冷たくあしらい、その浅はかな考えを嗤って、馬脚を現わす時を待ち続けた。そうすれば、安心して憎き清盛の寵愛を一身に受けた男を、地獄に叩き落とすことが出来ると思っていたのだ。だが、夢守探索に協力するふりをして、その実まるで見当違いの予言を与え、智盛を振り回し続けた有王に、そんな時はいつまでたっても訪れなかった。それどころか、当の智盛は、有王が予言をわざと外しても愚痴一つこぼすでなく、笑顔を絶やさず従っている。それは智盛一人に限らない。智盛邸では、当主智盛はもちろん、家内一切を取り仕切る築山公綱以下渦中の者が皆、有王に敬意を持って接し、智盛同様笑顔で受け容れてくれている。智盛邸の暖かさが単なる演技ではないこと位、平家憎しで凝り固まった有王でもすぐに判った。当主智盛の人柄が、この屋敷の中に満ちあふれているのだ。ひきかえ宗盛邸では、当主だけではなく、その配下の郎党達にさえ余所者扱いでまともに扱われたことなど一度もなかった。「平家にあらずば人にあらず」。その言葉をそのまま体現した宗盛の元では、有王は所詮便利な道具以上の存在ではなかったのである。

第6章その2に続く。
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6.密会 その2

2008-03-22 22:17:22 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平安編』
 大体平家を含め、この時代の貴族は、人といえるのは自分達だけだと思い込んでいた。人数からすれば圧倒的に多い一般庶民のことなど、全く眼中に無い。そんな彼等からすれば、有王のように下賎のくせに人の夢を解釈する力を有する輩など、気味の悪い化け物の親戚くらいにしか思われなくて当然である。そこで、せいぜいその力だけ利用して、あとはなるべく関わりあいを持たないようにする、というのが、一般的な貴族の常識であった。しかも、自分達がそう考えていることを、たとえ表面的にさえ隠そうともしない。人でないものに気を使う必要など認めていないし、そういう態度に接した相手がどう思うかなど、彼等は根本から想像することさえ出来ないのである。
 だが、ここでは違う。皆が自分の力に対して素直に敬意を表し、何くれとなく気を使ってくれている。そんな生活が一月、二月と続くうち、有王の復讐の念に凝り固まった心が、わずかずつではあるが、確実に変化していった。初めのうちは、主人の仇の片割れ、と気を高ぶらせ、なかなか始末する許可を出してくれない新しい主人に苛立ちを募らせていたのだが、今は逆に、その指令が出ないことの方に安堵する様になっている。そんな変化に気付くたび、有王の心は揺れ動き、ともすれば智盛だけは見逃してやっても構わないのではないか、と思うこともしばしばなのである。
 これが相手が宗盛達なら、今でも有王は、躊躇なく断罪の斧を振り降ろすことが出来るだろう。もちろん有王の方も、主人の仇、という先入観で凝り固まっているが、この場合はその曇りもほとんど無視して良い位、彼等の態度は明白であった。だから、たとえ復讐を完遂するためとはいえ、そんな下衆どもの下風に立ち、こき使われた三年間は、有王にとって一生分の忍耐を使い果したと思えるほどに、屈辱と憤懣の日々が続いていたのである。
 そんな荒んだ気持ちが癒されている。智盛という、一向に貴族らしからぬ一人の個性によって、俊寛と暮らしていた時と同じくらいの安らぎが実感できる。もし宗盛が有王のことをいまだに覚えているとして、その顔を今見たとしたら、その表情が激変したことに驚くかもしれない。研のある目元はすっかり柔らかにほぐされ、冷笑しか浮かべなかった口元が、暖かなほほ笑みをたたえさえするまでに落ち着いている。だが、一方でその安らぎの源泉を、自分は騙し続けている。有王が時折人知れず示す不快な表情は、そんな自分に対して無意識が叫ぶ叱責の結果であった。そのはけ口を、有王はとりあえず今から会う男に向けることで、精神の平衡を辛うじて釣り合わせようとした。
 綾小路は、朱雀大路や七条大路に比べればはるかに狭い。幅四〇尺(約12メートル)の公称値は、建都以来400年に渡って両側から侵食してきた軒々の連なりによって、息苦しくなるほどの狭さに変わり果てている。しかも、まともな家はごく少ない。都の中央を貫く朱雀大路を挟んだ西側の右京は、元々湿地帯で開発が遅れたせいもあり、荒廃の程度は東側の左京の比ではない。もし、軒を連ねるあばら屋の、虚ろに空いた入り口から奥の闇をのぞけば、十中八九、かつての住人のなれのはてが光を失った眼孔を開け、ほとんど骨と化した姿で迎えてくれることだろう。また、空き地となった場所には、誰とも知れぬ死体が山と積まれ、黄泉の国の悪臭とはこういうものだと教えを垂れるように、ウジをわかせ、蝿をたからせている。治承三年の冷害、四年五年の大干ばつによる飢饉と、蔓延した疫病、そして平氏の北陸征討軍が生み出した地獄である。有王はそんな死の町に入りながら、この酸鼻の巷に自分を呼び付けた男、綾小路高雅へ、膨れ上がる不満と怒りをかき立てつつあった。
「遅いではないか! 何をしていた!」
 あたりの風景が、到底都とは思えない田園に変わりつつある所に、一軒の廃屋が建っていた。そこが今回の密会の場所であったが、相手は待ち切れ無かったのか、わざわざ通りまで出てきて、有王を怒鳴り付けた。
「すまぬ。近ごろ監視の目が気になってな」
 一応は遅参を謝りながら、有王はむっとした気分を押さえ切れずにいた。辺りが暗やみで幸いだったかもしれない。有王の表情は、とても謝罪している者の顔には見えなかったからである。
「言い訳はいい。それよりも、主がお待ちだ。遅れるなど以ての外だぞ!」
(うるさい!)
 と有王は怒鳴り付けたくなった。監視の目が厳しくなったのは嘘ではない。つい一月前に築山公綱が拾ってきた色葉という少女、それに智盛の従者、匂丸という少年が、何かに感付いたのか、有王の行動を逐一探っている様子が目立ってきた。初めの内こそ、餓鬼になど何が出来るものか、と高を括っていた有王だったが、色葉は公綱にべったりくっついて女房気取りに世話を焼き、匂丸も智盛に近侍して何かと話をする機会も多い。つまり、彼等の口から一言有王に疑いあり、とでも吹き込まれれば、たちまち自分の立場が不安定になってしまうのである。
「早く中に入れ!」
 高雅は苛立ちを生のまま有王にぶつけて、さっさと自分だけ小屋の中に入っていった。
(儂の気も知らないで主の権を傘にきて言いたいこと抜かしやがって!)
 有王は、高雅の居丈高な態度に怒りをあおられた。
(大体、初めて会った時から、気に食わない奴だった)
 傲岸不遜。
 自分を何様と思っているのか知らぬが、あからさまに自分の優越感を見せ付けているとしか思えない態度に終始している。とても友人付き合いの出来る相手ではなく、仕事上必要不可欠な相手でなければ、とうの昔に愛想を尽かせていたことだろう。
(いつかこいつも、これまでの非礼を全部まとめて詫びさせてやる!)
 有王は一先ず怒りを飲み込むと、昼間ならいつ崩れるかと危ぶむような小屋に入っていった。

第6章その3に続く。
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6.密会 その3

2008-03-22 22:16:21 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平安編』
 小屋の中は、夜の帳が降りた外よりも、更に深い闇が満ちていた。恐らく、奥に陣取る首魁のまとう雰囲気が、この闇に一段と深みを与えているのだろう。有王は闇を透かしてその姿を確かめると、膝をついて遅参の詫びを入れた。
「遅くなりまして申し訳ございませぬ。何分、この所妙な監視の目が厳しく、外出もままなりませぬ有様。何卒我が心中をお察しくださりたく存じます」
「余り遅いので、さては寝返ったのではないか、と心配しておったぞ」
「そんな! 滅相もございません!」
 有王は、指の代わりに突き付けられたようなその鷲鼻を意識して、背中を冷たい汗で濡らしていた。その傍らで、軽蔑の眼もあらわにして、ふんと冷笑を投げ付けてくる男が居る。有王は瞬間的に殺意を刺激されつつも、主の手前をはばかって神妙に頭を下げ続けた。そんな様子に一応満足したらしい。少し口調を和らげて、黒衣の老人は有王に言った。
「戯言だ。気にするな。それより今宵わざわざ集ってもらったのは他でもない。そろそろ我らの宿願を果たす時が近付いてきたゆえ、その準備に取り掛かろうと思うてな」 
「ではいよいよ夢の木が花開くのですね!」
 有王に冷笑を浴びせたその同じ口で、高雅は追従の喜びを乗せて声を上げた。有王は、苦々しげな顔を下げたまま、黙って俊寛の次に仕えることにした新しい主の声を聞く。
「いや、それにはもう少し、そうだな、後二月はかかろう。だが、夢の木の花はわずか一晩でその力を喪ってしまう。その機会を絶対に逃すことの無いよう、余念なく準備は万端整えておかねばならぬ」
「して、我らは何を?」
「うむ。まず高雅、主は大老の夢に通じる隠蔽された入り口を探るのじゃ。御主等が通常出入りしている所は、厳重に結界が施されておって儂でも抜けるのが容易ではない。大老の意表を突いて事を首尾よく運ぶためにも、夢の中までは隠密裏に侵入しておきたいのじゃ。それが判ったらすぐ儂に報せよ。良いな」
「御意!」
 高雅は派手に床に頭を打ちつけ、恭順の意を示した。同時に有王も心中舌打ちを我慢できずにいる。有王には、高雅の一挙手一投足が大げさで虚飾に満ちているとしか見えない。恐らくこの男は、大老と呼ばれる老媼の前でも、同じ格好で床に頭を打ち付けているのであろう。そんな虚飾が通用するような相手なら、存外、その大老とやらも大した人物とは言えない。では、この翁はどうであろうか・・・。有王がそんな想いを弄んでいるのを知ってか知らずか、漆黒の烏帽子から溢れ出る銀髪を揺らせて、老人は言った。
「有王、主はその時、色葉、匂丸と名乗っている餓鬼共を牽制し、大老の夢に向わせないようにするのじゃ。奴らが主を監視しているというのなら、それを逆用して殊更思わせ振りに動けば、奴らの目はお前に集中しよう。幾ら儂でも、大老と奴らを同時に相手取るのはいささかくたびれるでな」
 有王は、一応はっと頭を下げて返事をしたが、今提示された命令の意味が理解できずに戸惑った。
「しかしながら、その子供らに一体何ができるというのでしょうか? 確かにあの者共は殊更に我へ目を付けているようですが・・・」
 有王の疑問に、高雅が、また小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「今まで身近にいて気づかなかったとは、まったく愚鈍よの」
 有王は、今度はきっと隣の男を睨み据えることを止められなかった。が、有王が激発する前に、老人は言った。
「高雅、止めよ。有王が判らずとも無理はないのだからな。有王、今まで主には黙っておったが、奴らは只の餓鬼ではない。色葉、匂丸も仮の名に過ぎん。奴らの正体は、夢守最強の霊獣、以呂波と仁保平じゃ」
 夢守、それは人々の夢を司り、夢の世界では神もかくやと言わぬばかりな力を発揮する。だが、現実の世界においてはせいぜい護身術をやや上手に使える程度の、弱い存在でしかない。それを助け、現実世界において夢守を守護するもの、それが霊獣である。力のある夢守ほど強力な霊獣を従えており、以呂波、仁保平は中でも最強と歌われ、人に姿を変じるだけの異能を持った、夢の世界でも群を抜いた霊獣達であった。
 有王はその説明を聞くうちに、これはとてもかなわない、と、思った。どう考えても、自分にそんな連中と対峙する力があるとは思えない。有王は、考え違いをしていたことに冷汗をかいた。彼等が有王をどうにかしたければ、智盛や公綱の手を借りる必要などなかったのだ。いつでもその気になれば、圧倒的な破壊力を発揮して、軽く撫でるだけで有王を殴殺出来たのである。見る間に震えだした有王は、必死の思いで訴えた。
「しかし、そのような危険な者どもを私一人ではいかんともできません。それに、その二人だけではないのですぞ。智盛や公綱、それに配下の手勢も、皆一騎当千の強者ばかり。それらを皆、たった一人では支え切れません」
 公綱と聞いて、高雅の目が異様に輝いた。左頬の傷はついに消えず、時折痺れるように引きつるそれが、高雅の恨みを深く大きく育てている。そのせいもあるだろう。弱音を吐いた有王に、高雅は大声で難癖を付けた。
「何を怯えておる! 高が侍風情が集まったところで何が出来るというのだ」
 とうとう有王も我慢の限界がきた。相手の実力を正当に評価できないものなど、只の阿呆である。その阿呆に臆病者呼ばわりされては、有王も黙っている訳には行かなかった。

第6章その4に続く。
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6.密会 その4

2008-03-22 22:15:13 | 麗夢小説『夢都妖木譚 平安編』
「確かに侍など大したことはないかも知れぬな。御主程度の者に怪我をさせることしか出来ぬのだからな」
「な、何だと!」
 高雅の目が釣り上がった。顔面に血が上り、頬の傷も、今にも再び血を吹き出しかねないように真っ赤に染まる。
「も、もう一辺言ってみろ! 事と次第によっては貴様の素首、この場で叩き落としてくれるぞ!」
「出来もせぬ事を大声で喚かぬ事だ。侍一人、満足に殺せなかったくせに」
「あ、あれは夢の姫が邪魔したせいだ!」
「女に頭も上がらぬのだから、しょうがないな」
「き、貴様、殺してやる!」
「よさぬか!」
 思わず立ち上がった高雅に、落雷が直撃したかのような戦慄が走った。有王も思わず身を震わせて這いつくばった。腰を抜かしたようにして高雅が床に落ちるのを待って、老人は口を開いた。
「この大事な時に仲間割れして何とする! 高雅、主は夢守の長になりたくはないのか? 有王、主は平家への復讐の誓いをどうする積もりじゃ! もう忘れたというなら二人ともここから出ていくがいい! そして二度と我が前に顔を見せるな!」
「も、申し訳ございません!」
 高雅が、顔面蒼白になって詫びを入れた。今この老人に見捨てられたら、ほとんど手に入るも同然だった至高の地位と絶世の女を、二つながらに喪う羽目に陥ってしまう。有王も、殊勝げに頭を下げた。だが、こちらは半ば、その言葉に従って外に出るのも悪くないかもしれない、と思いつつの詫びである。
「有王、よもや主は、復讐を諦めたのではあるまいな?」
「そ、そんなことは有りませぬ! ですが、やはり先程のご命令、何かお知恵を拝借せぬかぎり、私には難しゅうございます」
 まだそんなことを言うのか! とかっとなった高雅をにらみつけて黙らせると、老人は少し考え込んだ。確かに有王の言うことは一理ある。有王一人では、やはり荷が勝ちすぎるか、と思い直した老人は、しょげかえった高雅に目を向け、次いで有王に振り向いて言った。
「よかろう。主の言うことももっともじゃ。その時が来たら、高雅にも援護させる。それなら出来るな?」
 高雅に? 有王はいよいよ実行困難ではないか、と思った。これほど反りの会わぬ二人が集ったところで、まともな計略を実行できる訳がない。そう思った有王は、ここは一本筋を通しておくにしくはない、と考えた。
「つきましてはお願いがございます」
「なんじゃ?」
「綾小路殿は、あくまでも私の指示に従って動いてもらう様にしていただきたく存じます。二人が得手勝手に動いて足を引っ張られるようなことになれば、出来ることも出来なくなる恐れがあります」
「成る程な」
 おこなることを言うな! とわめき立てる高雅を制し、老人は言った。
「高雅、良いな? 有王の言う通りにせよ」
 有王ごときの指示を仰がねばならないとは! 高雅の不満は大きかったが、主人の言うことに逆らうことは出来ない。高雅はふっきるように一段と高い音を立てて額を床に打ち付けた。
「はっ。御意のままに」
「有王も良いな?」
「はい。必ずや仰せの通りに致しましょう」
 神妙に答えた二人に満足気に頷くと、老人は言った。
「決行は追って報せる。それまで、ぬかるなよ者共」
 再び頭を床に付けた二人に対し、老人は結界のことで話しておきたいことがあると、高雅だけ残るように告げて有王を帰らせた。有王が廃屋を出て確かに去ったことを見定めた老人は、目の前に残った綾小路高雅に言った。
「どう見る? 有王を」
「どう見るも何も、己れの立場もわきまえられない増長者です!」
「そうではない!」
(こいつも余り使える奴ではないな)
 老人は、この三年余りの付き合いの中で認めていた高雅の愚鈍振りに改めて苛立った。
「あやつの顔を見たであろう」
「顔?」
 それがどうかしたのだろうか? と首を傾げる高雅に、老人は苛立ちを募らせながらも辛抱強く話を続けた。
「あの表情、初めて会うたときよりも角が取れ、柔和になっているではないか。主には見えんのか?」
 そう言えば確かに、とようやく合点がいった高雅に、老人は続けた。
「何があやつをそう変えたのかは判らぬが、もう奴は平家への恨みを無くしてしまったのかもしれん。我らを裏切るやもしれぬ」
「ならば手早く片付けたほうがよいではありませんか」
「まだ早い。あやつもまだそこまで思い切ってはおるまい。だが、土壇場ではどう転ぶか、判らぬ」
「では、その時はその始末をこの私めにお任せいただけますでしょうか?」
 うむと頷いた老人に、高雅はようやく欝屈とした気持ちが晴れた。だが、老人は高雅の軽躁さに釘を刺すのも忘れなかった。
「儂を失望させるなよ、高雅」
 その、念押しにしては低すぎる音色に、さすがの高雅も主人の苛立ちが理解できたようだった。はっと平伏した高雅に不満と不安の一瞥をくれると、老人は忽然とその姿を消した。

第7章その1に続く。
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