今、「2001年宇宙の旅」ハヤカワSF文庫 を読み返しています。まだディスカバリー号が出てきたばかりのところですが、月のモノリスのくだりで、クラビウスクレーターのアメリカ基地が1994年にできた、というシーンには、少しため息がでました。今日、スペースシャトルエンデバーが宇宙ステーションを離れ、地球への帰路につきましたけど、2008年の現在でもまだ作りかけの宇宙基地が静止衛星軌道にあるだけで、人類は20世紀後半には足跡を残したはずの月へ、いまだ再訪できておりません。やっと「かぐや」がくるくるお月様の周りを回っているばかりです。この調子で、はたして私が生きているうちに、月に恒久的な宇宙基地はできるんでしょうか? お日様の光が届かないところには、どうやら水がありそうだったりして、かつてクラークが小説の中で仮定したよりも、はるかに基地化しやすい条件が整っているように思うのですが、何とか私が寿命を迎えるまでに、単なる弾丸飛行ではない宇宙旅行が実現し、理想を言えば月への旅が実現していたりしていてほしいものです。・・・まあさすがに月旅行は無理っぽいですが。
でも、日本の宇宙開発計画でも、昨今投資に見合う成果を求められる傾向があるようです。日本の計画はどうも芸術的というか、無理があるというか、ロケット一つとっても複雑にやりすぎて結局虻蜂取らずになることがままあるように感じるのですが、それでも宇宙開発に経済性が本当に必要なのか、私には疑問に思えます。空があるから、星々の大海があるから、そこに行きたい! でいいじゃないですか。なぜにそこで金儲けしなくちゃならんのです? 宇宙に行った結果として、未知の合金ができたりするような何かすごい発明があってもそれはよいとは思うのですが、最初からそれを目的に空へ飛び立とうなどというのは、動機が不純で本末転倒である、と私は思うのです。もちろん自分が相当な暴論を述べているのは自覚してはいるのですが、それでも、儲けがみえないならやめてしまえ! 的な発想と受け取れてしまう社説などを読むと、逆に、何でそんなことに拘泥しなくちゃならんのだ? と言い返したくなります。世知辛い世の中だからこそ、そんな途方も無い夢にお金をつぎ込むバカをやってもいいじゃないですか。戦争したり民衆弾圧したりするよりよほど有意義な使い道だ、と私は思います。
民衆弾圧といえば、チベット動乱、どうも混迷の度が増してきているようで、結局どの情報が信じるに値するのか、判らなくなってくる気がします。その上、オリンピック聖火の儀式で五輪史初の妨害行動が発生したりしてますし、それもチベット人によるものではなく、白人の手で。モスクワ五輪を西側諸国がボイコットしたときはどちらかというと上からの政治的判断だったように記憶しているのですが、今回は逆に民衆レベルから各国政府が突き上げを食らうような事態になったりするんでしょうか?
でも、日本の宇宙開発計画でも、昨今投資に見合う成果を求められる傾向があるようです。日本の計画はどうも芸術的というか、無理があるというか、ロケット一つとっても複雑にやりすぎて結局虻蜂取らずになることがままあるように感じるのですが、それでも宇宙開発に経済性が本当に必要なのか、私には疑問に思えます。空があるから、星々の大海があるから、そこに行きたい! でいいじゃないですか。なぜにそこで金儲けしなくちゃならんのです? 宇宙に行った結果として、未知の合金ができたりするような何かすごい発明があってもそれはよいとは思うのですが、最初からそれを目的に空へ飛び立とうなどというのは、動機が不純で本末転倒である、と私は思うのです。もちろん自分が相当な暴論を述べているのは自覚してはいるのですが、それでも、儲けがみえないならやめてしまえ! 的な発想と受け取れてしまう社説などを読むと、逆に、何でそんなことに拘泥しなくちゃならんのだ? と言い返したくなります。世知辛い世の中だからこそ、そんな途方も無い夢にお金をつぎ込むバカをやってもいいじゃないですか。戦争したり民衆弾圧したりするよりよほど有意義な使い道だ、と私は思います。
民衆弾圧といえば、チベット動乱、どうも混迷の度が増してきているようで、結局どの情報が信じるに値するのか、判らなくなってくる気がします。その上、オリンピック聖火の儀式で五輪史初の妨害行動が発生したりしてますし、それもチベット人によるものではなく、白人の手で。モスクワ五輪を西側諸国がボイコットしたときはどちらかというと上からの政治的判断だったように記憶しているのですが、今回は逆に民衆レベルから各国政府が突き上げを食らうような事態になったりするんでしょうか?
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