今日は朝4時に目が覚めてしまい、特に午後から眠気が増して弱りました。時折こういう眠りの浅くなるときがあって、神経が興奮しているのか、目覚めた直後や大体午前中いっぱいは眠気も無く、どちらかというと普段より感覚的には元気なくらいです。それが昼食直後くらいから怪しくなり、3時、4時ごろには強烈な眠気となって仕事を妨害します。そこで今日はいわゆる栄養ドリンクを飲んでみたのですが、焼け石に水、よりはましみたいで、何とか一日乗り切ることができました。ただ、その効果も夜まで。風呂の湯船で20分ほどすっかり眠り込んでしまいました。毎日規則正しく7時間睡眠、とできればいいのですが、今日みたいに4時間だったり休みの日みたいに10時間以上だったり、このところ乱れることが多いような気がします。
さて、岡山駅での突き落とし殺人、犯人の18歳の男は、初めは果物ナイフを持って人を刺してやろうとして周辺をうろつき、決心がつかずに、今度は駅に入って突き落としたと新聞にはありました。動機などはまだこれからなのでしょうが、どうも新聞にはすでに一定のバイアスがかかっているようです。識者のコメント欄に掲載された一人は、JR荒川沖駅の連続殺傷事件の影響を指摘する、としながら、「」書きのコメントには、「猟奇的なゲームやネット情報などから、若者は命を軽視する意識が刷り込まれている」とか、「インターネットやゲーム、DVDといった外的な要因から、殺人の衝動に捕らえられてしまったのか」などと書いてありました。この識者の方々のコメントはこんな一言だけではなかったはずで、いろいろな話の中から、記事を書いた者が適当にはしょってそれらしく仕立て上げたのでしょう。「猟奇的なゲームやネット情報」のどういう点がどういう作用で影響を及ぼし、それが破壊的な行動を惹起するにいたるのか、誰か科学的に研究し、証明した人がいるんでしょうか。私は、自分の過去を省みて、殺人衝動など珍しいものではないと思いますし、特に情緒不安定な若い時分は、周りの人間を皆殺しにしてみたくなったり、路上で無差別に銃を乱射してみたくなったりしても不思議ではないと思います。でも、自分自身を含め、ほぼすべての人はそんなことを実際にやるわけではなく、想像の中だけにとどめたり、ゲームなどで発散したりして日々正常なる生活を営んでいるはずです。その違いについて、この種の事件を起こしてしまう人は、30億塩基対あるDNAのごくごく一部に人とは違う変異を持っていたり、大脳組織のどこかに正常な行動を妨げる因子が隠れているのではないか、と前々から思っています。そして、なぜそういう視点から研究が進められないのか、不思議で仕方がありません。私は、仮にそういうイレギュラー因子が見つかったとしても、それを優生学的発想で摘み取ってしまうべき、とは思いません。そんなイレギュラー因子は現代社会では受け入れがたいのでしょうが、芸術等の分野では重要な因子かもしれませんし、早期にそういう因子の強弱が読み取れれば未発で終わらせることも不可能ではないでしょう。また、何らかの原因で環境が変わった時には、かえってそういう因子が種の生き残りのために必須になる可能性もあるわけで、単純に淘汰すればよいわけではない、と思うのです。それでも、事件にならぬよう手をつけようと思えば、まずそんな因子の存在の有無をはっきりさせねばなりません。原因の根本を押さえない限り、解決の方法もまたありえないはずなのです。別に私の勝手な思い込みが正しいのだと主張するつもりはありませんが、どんな視点からのものであれ、根拠の無いメディア原因論とは違う、本質的な問題の認識に迫る研究があってしかるべきではないでしょうか。たとえそれが「パンドラの箱」を開けるような行為になろうとも、無知なまま右往左往するよりよほどマシな状況にできるはずだと私は信じます。
さて、岡山駅での突き落とし殺人、犯人の18歳の男は、初めは果物ナイフを持って人を刺してやろうとして周辺をうろつき、決心がつかずに、今度は駅に入って突き落としたと新聞にはありました。動機などはまだこれからなのでしょうが、どうも新聞にはすでに一定のバイアスがかかっているようです。識者のコメント欄に掲載された一人は、JR荒川沖駅の連続殺傷事件の影響を指摘する、としながら、「」書きのコメントには、「猟奇的なゲームやネット情報などから、若者は命を軽視する意識が刷り込まれている」とか、「インターネットやゲーム、DVDといった外的な要因から、殺人の衝動に捕らえられてしまったのか」などと書いてありました。この識者の方々のコメントはこんな一言だけではなかったはずで、いろいろな話の中から、記事を書いた者が適当にはしょってそれらしく仕立て上げたのでしょう。「猟奇的なゲームやネット情報」のどういう点がどういう作用で影響を及ぼし、それが破壊的な行動を惹起するにいたるのか、誰か科学的に研究し、証明した人がいるんでしょうか。私は、自分の過去を省みて、殺人衝動など珍しいものではないと思いますし、特に情緒不安定な若い時分は、周りの人間を皆殺しにしてみたくなったり、路上で無差別に銃を乱射してみたくなったりしても不思議ではないと思います。でも、自分自身を含め、ほぼすべての人はそんなことを実際にやるわけではなく、想像の中だけにとどめたり、ゲームなどで発散したりして日々正常なる生活を営んでいるはずです。その違いについて、この種の事件を起こしてしまう人は、30億塩基対あるDNAのごくごく一部に人とは違う変異を持っていたり、大脳組織のどこかに正常な行動を妨げる因子が隠れているのではないか、と前々から思っています。そして、なぜそういう視点から研究が進められないのか、不思議で仕方がありません。私は、仮にそういうイレギュラー因子が見つかったとしても、それを優生学的発想で摘み取ってしまうべき、とは思いません。そんなイレギュラー因子は現代社会では受け入れがたいのでしょうが、芸術等の分野では重要な因子かもしれませんし、早期にそういう因子の強弱が読み取れれば未発で終わらせることも不可能ではないでしょう。また、何らかの原因で環境が変わった時には、かえってそういう因子が種の生き残りのために必須になる可能性もあるわけで、単純に淘汰すればよいわけではない、と思うのです。それでも、事件にならぬよう手をつけようと思えば、まずそんな因子の存在の有無をはっきりさせねばなりません。原因の根本を押さえない限り、解決の方法もまたありえないはずなのです。別に私の勝手な思い込みが正しいのだと主張するつもりはありませんが、どんな視点からのものであれ、根拠の無いメディア原因論とは違う、本質的な問題の認識に迫る研究があってしかるべきではないでしょうか。たとえそれが「パンドラの箱」を開けるような行為になろうとも、無知なまま右往左往するよりよほどマシな状況にできるはずだと私は信じます。