電臨露骨声明騒動。
(電力国家管理法・第一次近衛)(臨時資金調整法・輸出入品等臨時措置法)(盧溝橋事件・近衛声明)(国家総動員法)
[point]
1.第1次近衛文麿内閣は、盧溝橋事件後に三次の近衛声明を発表する一方、臨時資金調整法・輸出入品等臨時措置法、国家総動員法、電力国家管理法を制定して戦時体制を整えた。
[解説]
1.第1次近衛文麿内閣(1937.6~1939.1)は、日中戦争勃発(盧溝橋事件、1937.7.7)に不拡大方針をとるものの、大軍を投入を容認し、年末には国民政府の首都南京を占領した(南京大虐殺)。
2.日中戦争泥沼化に対処するためドイツに依頼した和平工作(トラウトマン工作)を放棄して、1938年1月、第一次近衛声明「国民政府を対手(あいて)とせず」を発表(裏でひそかに傀儡政権を樹立せんとする意図があった)し、戦争を拡大。
3.日中戦争に要する巨額の軍事予算をまかなうために、臨時資金調整法・輸出入品等臨時措置法などを制定して、直接的な経済統制にふみ切った。さらに、1938年4月、国家総動員法や電力国家管理法を制定し国民精神総動員運動を推進しつつ戦時体制構築をはかった。
4.戦時体制を整えつつ、1938年11月に、「戦争目的は東亜新秩序の建設」の第二次声明、12月にも、善隣友好・共同防共・経済提携の近衛三原則をうたう第三次声明を出す。
〈2017明大・文
問2.下線部「爾後国民政府を対手とせず」との声明は、この内閣が出した「第1次声明」とも呼ばれるものであるが、同年11月に出された「第2次声明」は一般にどのように呼称され、英・米両国はそれにどのような条約に反しているとの反応を示したか。条約名を記せ。」
(答:東亜新秩序声明、九カ国条約)〉
〈2017学習院大・文
【論述問題】 近衛文麿内閣について、指定された行数(7行)の範囲で述べなさい。」
(〔解答例〕第一次近衛文麿内閣の時に盧溝橋事件を契機に日中戦争が勃発。当初不拡大を表明したが、第一次近衛声明で自ら和平への道を閉ざしてしまった。第二次近衛内閣は大政翼賛会などの戦時体制組織をつくる一方、北部仏印進駐や日独伊三国間盟を締結して米英との対立を深めながら、日米交渉を開始した。第三次近衛内閣は南部仏印進駐を強行して米英関係をさらに悪化させ、日米交渉が進展しないまま内閣は総辞職した。)
〈2016明大・政経
問2 下線部に関して、第1次近衛内閣によって公布された法律ではないものはどれか。A~Eから一つ選べ。
A電力国家管理法
B輸出入品等臨時措置法
C重要産業統制法
D国家総動員法
E臨時資金調整法」
(答:C× ※浜口雄幸内閣のとき)〉
〈2015一橋大・前期
問3 国家総動員法の先駆けとして、1937年に近衛内閣が制定した法律を2つあげなさい。」
(
答:臨時資金調整法・輸出入品等臨時措置法)〉
〈2014立教大・法経済(経済政策)異文化コミュ
下線部1930年代には中国での日本の軍事行動が拡大していったに関する出来事について、もっとも古いものから年代順に並んでいる組み合わせはどれか。次のa~dから1つ選べ。
a.第1次上海事変-塘沽停戦協定の締結-盧溝橋事件-南京大虐殺
b.盧溝橋事件-塘沽停戦協定の締結-南京大虐殺-第1次上海事変
c.塘沽停戦協定の締結-第1次上海事変-盧溝橋事件-両京大虐殺
d.第1次上海事変-南京大虐殺-塘沽停戦協定の締結-盧溝橋事件
(答:a※第1次上海事変(1932.1)、塘沽停戦協定の締結(1933)、盧溝橋事件(1937.7)、南京大虐殺(1937.12))
〈2013法政大・法国際文化キャリアデザイン
下線部(7)日中和平交渉に関係する説明として正しいものをつぎのア~エのなかから一つ選べ。
ア アメリカ合衆国が和平の仲介を行った。
イ 日本政府は東亜新秩序声明を発して交渉を打ち切った。
ウ 和平交渉打ち切り後、国民政府は重慶へ移り長期持久戦に入った。
エ この時政権を担当した内閣は、岡田啓介内閣であった。」
(答:ウ ※ア×仲介はドイツ、イ×近衛首相は「国民政府を対手とせず」(第一次近衛声明)を発して交渉を打ち切る、エ×第一次近衛内閣)〉
〈2012立大・全学部
「日中戦争が始まると、( へ )内閣は経済統制の強化を行い、1938年には、〈 こ 〉を制定した。これにより政府は議会の承認なしに、戦争遂行に必要な物資や労働力を動員する権限をあたえられ、国民生活を全面的統制下においていった。」
(答:へ近衛文麿、こ国家総動員法)〉
〈2012中大・文
問9 下線部⑥政府の統制に服従するについて、1938年、政府は、議会の承認なしに経済と国民生活の全体にわたって統制する権利を得た。その法律の名称を記しなさい。」
(答:国家総動員法)〉
〈2012早大・政経
問7 下線部私(近衛文麿)に関わる事柄で正しくないものはどれか。
イ 1919年、パリ講和会議に随員として参加した。
ロ 1933年、貴族院議長に就任した。
ハ 第一次内閣において、電力国家管理法を公布した。
二 第三次内閣において、北部仏印進駐を実行した。
ホ 太平洋戦争終結直後の東久邇宮内閣に国務相として入閣した」〉
(答:二 ※北部仏印進駐は第二次内閣)