散歩の途中でのスナップ。携帯替えてから普段の写真はiPhoneXs。 CanonEOS6D FUJI X70はサブに
散歩の途中で… お腹がすいたよ~♪
平城宮跡~東大寺
今日の東京は薄曇り。
秋雨前線の影響か、明日もハッキリしない空模様のようです。
さて、日記は8月18日、前日の飛鳥路灼熱サイクリングの疲れも取れ、JR奈良駅に近いホテルの朝食から再スタートします♪
普段はご飯党なんですが、珍しく洋風!
ホテルのレンタサイクルを借りて、まずは平城宮跡を目指します。
流石古都だけあって、近鉄奈良から一駅隣の新大宮近くのスーパーの入口には、かつてこの地に長屋王の屋敷があったとの説明プレートがありました。
長屋王とは高市皇子(たけちのみこ)の長男で、養老4年(720)に藤原不比等が亡くなって後、正二位左大臣にまでなりながら、神亀6年(729)年2月「長屋王の変」で密告により追及され、妻子とともに自殺に追いやられた人物。
この事件を契機に、皇族の手から藤原氏へと権力が移ったとされています。
さらにペダルを漕いで行くと広い草っ原に燦然と光り輝くのは、平城宮跡に復原された朱雀門。
西大寺から奈良に向かう近鉄からもよく見えます♪
線路を挟んだ北側に広がる平城宮跡の北側の仮囲いは、文化庁が行っている「大極殿正殿復原整備事業」
2010年には朱雀門の数倍の規模の天平時代の建築物が復原されるそうです。
でも、周りの野原はほとんど整備されないまま、近所の高校生の通学路になっていました!
(転害門にまっすぐ伸びる自転車の轍 )
若草山に向かって真っ直ぐに伸びる道を行くと、正面に見えるのが 奈良時代の遺構である転害門(てがいもん)。
三間一戸八脚門の形式をもつ堂々とした門ですが、あまり細かい説明書きがありません。
東大寺最古の建築物にしてはチョッピリ残念。。。
国宝の建築物を保護するためと思われますが、通り抜け禁止の柵がチョッピリ無粋ではありますが、門を通して眺める東大寺の緑が綺麗♪
四方を睨む鬼瓦もなかなか立派なものが上がっていました。
転害門から少し南東=大仏殿に近い方に行ったところにある「戒壇院」。
土門 拳や入江泰吉の写真でも有名な四天王像があります。
幸いなことに(?) 他に誰も見学者のいない堂宇で 天平の美をジックリと眺めることができました♪
正倉院の横を抜け 二月堂に抜ける途中 鹿の一家と遭遇。
お母さんと思しき一頭から警戒の視線を送られてしまいました!
秋雨前線の影響か、明日もハッキリしない空模様のようです。
さて、日記は8月18日、前日の飛鳥路灼熱サイクリングの疲れも取れ、JR奈良駅に近いホテルの朝食から再スタートします♪
普段はご飯党なんですが、珍しく洋風!
ホテルのレンタサイクルを借りて、まずは平城宮跡を目指します。
流石古都だけあって、近鉄奈良から一駅隣の新大宮近くのスーパーの入口には、かつてこの地に長屋王の屋敷があったとの説明プレートがありました。
長屋王とは高市皇子(たけちのみこ)の長男で、養老4年(720)に藤原不比等が亡くなって後、正二位左大臣にまでなりながら、神亀6年(729)年2月「長屋王の変」で密告により追及され、妻子とともに自殺に追いやられた人物。
この事件を契機に、皇族の手から藤原氏へと権力が移ったとされています。
さらにペダルを漕いで行くと広い草っ原に燦然と光り輝くのは、平城宮跡に復原された朱雀門。
西大寺から奈良に向かう近鉄からもよく見えます♪
線路を挟んだ北側に広がる平城宮跡の北側の仮囲いは、文化庁が行っている「大極殿正殿復原整備事業」
2010年には朱雀門の数倍の規模の天平時代の建築物が復原されるそうです。
でも、周りの野原はほとんど整備されないまま、近所の高校生の通学路になっていました!
(転害門にまっすぐ伸びる自転車の轍 )
若草山に向かって真っ直ぐに伸びる道を行くと、正面に見えるのが 奈良時代の遺構である転害門(てがいもん)。
三間一戸八脚門の形式をもつ堂々とした門ですが、あまり細かい説明書きがありません。
東大寺最古の建築物にしてはチョッピリ残念。。。
国宝の建築物を保護するためと思われますが、通り抜け禁止の柵がチョッピリ無粋ではありますが、門を通して眺める東大寺の緑が綺麗♪
四方を睨む鬼瓦もなかなか立派なものが上がっていました。
転害門から少し南東=大仏殿に近い方に行ったところにある「戒壇院」。
土門 拳や入江泰吉の写真でも有名な四天王像があります。
幸いなことに(?) 他に誰も見学者のいない堂宇で 天平の美をジックリと眺めることができました♪
正倉院の横を抜け 二月堂に抜ける途中 鹿の一家と遭遇。
お母さんと思しき一頭から警戒の視線を送られてしまいました!
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