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『鬼平江戸処』 @羽生PA

「那珂川清流鉄道保存会」の帰り道。休憩に入った羽生PAで突然江戸時代にワープ!?

時代劇のセットみたいな意匠は、NEXCO東日本が展開する「テーマ型エリア」の一つ『鬼平江戸処(おにへい えどどころ)』
"温故知新"のコンセプトで「現代日本人が忘れかけている「心のふるさと」というべき江戸の世界観を、時代考証に基づいた街並みや建物の意匠などのハード面、飲食やサービスなどのソフト面の両面で表現…」しているそうですが、総じて販売単価が高いのと、共用できる休憩スペースが狭いのはチョッと考えて欲しいところです
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那珂川清流鉄道保存会のお昼は、、、

「那珂川清流鉄道保存会」の帰り道。事前の調べもなしで、R293で「手打ちそば」ののぼりに気づいて入った「そば処 萩の越路」でいただいたのは「天ぷらそば(冷)」

特に蕎麦の産地などは書かれていませんが、やや太めのエッジの立ったお蕎麦はコシが強く 噛んで味わうタイプです。
つゆも中くらいの濃さで出汁の香りもいいですが、蕎麦猪口に注がれて出てくるので、蕎麦湯をいただくときに最初が濃いのがチョッと残念…



天ぷら(精進揚げ)には抹茶塩が添えられていますが揚げたて熱々

昼時を少々過ぎていたせいか、ゆったりした小上がりで、刺身こんにゃくも美味しくいただきました

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那珂川清流鉄道保存会 番外 「千葉都市モノレール」

何両か留置されているキハ40の前に無造作に置かれた「鉄の塊」



見ようによっては4個の「手榴弾」(と言っても直径30cmくらい)のようにも見えますが、到底人が擲げられるようなシロモノではありませんし、真ん中に刺さった“ピニオンギア”のついた棒状のモノとの間には夥しい量の真っ黒になったグリース…

ベースプレートに開けられた“穴”の形はロータリーエンジンみたいな形状ですが、ガスケットか何かを挟んで締め付けていたようにも見えます。「一体 何の部品かなぁ??」と色々想像してみたのですが見当がつかず、「保存会」のお姉さんに聞いたら「千葉都市モノレール(懸垂式モノレール)の車体屋根部と台車をつなぐセンターピン?」とのことでした

でも懸垂式モノレールの「台車」の構造ってどうなっているのかしら?? 謎が増えてしまいました
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那珂川清流鉄道保存会 その3 「はしれクラウス」

「那珂川清流鉄道保存会」のもう一つの目玉は「国鉄10形蒸気機関車」、というより「クラウス」と言った方が知られていると思います。

ここで動態保存されている「17号機」は明治22年(1889年)当時のプロイセン王国で製造・製番:2213。門司に本社のあった九州鉄道で活躍したのち、1925年に建設工事用に東急東横線の前身の「東京横浜電鉄」に譲渡された。東横線工事完成後の1931年(昭和6年)に留萠鉄道に譲渡され、北海道沼田町の明治鉱業昭和鉱業所専用鉄道で、1969年(昭和44年)の閉山まで石炭輸送に使用された。留萠鉄道の廃線後は大井川鐡道で構内運転されたりした後、1970年の大阪万博や「遠野・万世の里」などを経て今の「那珂川清流鉄道」に至る130余年にわたる歴史があります。(この項Wikipediaから)
建屋が狭かったのでチョッと窮屈さは否めませんが、走り装置もよく手入れされ、火さえ入れれば今にも走り出しそうな雰囲気でした




Wikiで知った絵本の「はしれクラウス」は図書館で借りました。

「はしれクラウス」
ふじさわともいち・え
かんべじゅんきち・ぶん
1971年10月/金の星社刊
ほぼ史実のとおりに、丁寧な筆致で描かれていました
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那珂川清流鉄道保存会 その2 「幻のライブスチーム」

「那珂川清流鉄道保存会」には、実際に使用されていた車輛の他に“ミニSL”などと呼ばれる模型鉄道のレールも敷かれ、子どもたちを乗せたミニ列車を走らせるなど、車両の保存にとどまらず将来の鉄道ファンを増やす活動も行って、それに使われる5インチの“ミニSL”は、“ミニ”とは言っても実際に石炭を焚いて蒸気で走る実際のSLをスケールダウンした精密模型

何両かあるミニSLも見せていただきましたが、その内の1輌(9600形 蒸気機関車)の説明書きに「東京工業大学付属高校の生徒が作成、毎年1両作成され、地方自治体などに無償で寄付されている」



高校時代、当時の「同好会」機械科の仲間たちが中心になってC58形ライブスチームを作ったことはありましたが、実際に作ったのはその1輌のみだったはずですが、まして「毎年自治体に寄付」なんて、後輩たちがそんなことをやっていたなんて聞いたこともありません???
でも「凄いなぁ!」と思いながら調べてみたら「東京工業大学附属」ではなく「日本工業大学付属」だったことが後に判明
他校とはいえ、今後も頑張って続けていただきたいと思います
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那珂川清流鉄道保存会 その1 「名鉄キハ8500」

高校時代のサークル仲間と訪問した「那珂川清流鉄道保存会」は、「馬頭運送」という民間企業が栃木県北東部の眼下に清流那珂川が流れる高台の同社敷地内に、JRなどと同じ軌間1067mmの軌道(約800m)や、610mm(ナローゲージ)、同5inchなど4つの軌道上に動態保存車両やミニ列車を走らせるなど、車両の保存にとどまらず広く鉄道に関する啓発活動も行っています。

広い駐車場に車を停めた先には支柱に支えられた「千葉都市モノレール」が空中に浮かんでいます!

少し奥に入るとあちこちの工場の構内などで使われていた小型ディーゼル機関車やJRから払い下げられたキハ40…等々






あまりに多くの車輌が保存されていて、とても全部は紹介できないのですが、今回の目玉の一つは名鉄・新名古屋からJR高山本線へ直通する特急「北アルプス」に使用されていた「名鉄キハ8500」
「飛騨の大自然」というイメージを反映させるため、淡いベージュとブラウンで全体のイメージを統一した1991年登場の豪華列車でしたが、道路網の整備やJRとの乗り入れのためとはいえ電鉄会社が気動車を保有するという非効率さもあって2001年に「北アルプス」の運行は廃止。その後、JR只見線への乗り入れもある会津鉄道への譲渡が決まり、2002年から「AIZUマウントエクスプレス」として運行を開始したのちも外部塗装については、特急「北アルプス」に愛着を感じるファンを意識して名鉄時代のままとなったそうです。
この3月にはエンジン始動の一般公開もされたキハ8500ですが、さすがに引退から10年以上の時を経て外部塗装など経年劣化はありましたが、「保存会」スタッフのご厚意で見せていただいた車内は往時そのままの美しさ! ここで保存されている2輌の他にその高性能を買われ、マレーシアで「Kelas Pertama」(マレー語でファーストクラスの意味)という急行列車で活躍している仲間もいるそうです




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台湾総督府時代の蒸気機関車(LDK57)

今回の旅の目的地「那珂川清流鉄道保存会」へ行く途中に立ち寄った「レストラン蒸氣汽関車」

注文を受けるとSLが席まで運んでくる…というお子様向けのレストランですが、鉄道関係のコレクションが沢山あると聞いて寄ってみました。最初は昼食でも…と思っていたのですが、朝ご飯が美味しくてみんな食べ過ぎだったのと時間も早かったので、飲み物だけお願いしたら律儀にD51が客車を牽いて届けてくれました


※実機のD51327は73年に長万部で廃車になっているはずですが、同年7月このナンバープレートを付けた別機(D51942)を個人の方が国鉄から購入(国鉄の帳簿上は327を譲渡したと処理されているそうです)。その後長いこと森町の民宿で「保存」されていましたが、2006年6月に「解体」された…と「機関車データベース(デゴイチよく走る!)」にありました。

建物の外にはEF58の先頭部や「0系新幹線のだまし絵」などもありましたが、損傷が著しく可哀想で写真は撮りませんでしたが、こちらの写真は敷地の入口近くに展示されていた「機関車トーマス」みたいな色に塗られた「LDK57」のD型タンク(0-8-0)

調べてみたら日本統治時代の台湾総督府鉄道が1915年(大正4年)から762mm軌間の台東線で使用するために導入した、車軸配置0-8-0(D)、運転整備重量20トン、2気筒単式のサイドタンク機である。主に貨物列車の牽引と入換用に使用された…とWikipedia(台湾鉄路管理局LDK50型蒸気機関車)にありました。
現地には何の説明もなかったので、運転台の左右に配された「空気取入口」みたいな穴が何なのか分かりませんでしたが、その来歴を知れば、台湾の気候を考えて国内の蒸気機関車には見られない運転台冷却用の「空気取入口」が設けられたのも納得です。
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「塩原八幡宮」の「逆杉」

源氏の末裔が隠れ棲んだと言われる「源三窟」の300mほど先の「塩原八幡宮」境内の「逆杉」。樹齢1500年と言われ、国の特別天然記念物に指定されています。






およそ1000年前の康平5年(1062)、八幡太郎義家が奥州征討に際し、この地に泊まり、戦勝祈願のために丘の上に祭壇を作り、しめ竹の代わりにスギ2本を植えたのが、この逆杉になったと言い伝えられています。また、源頼義・義家親子が、奥州の安部貞任(あべのさだとう)征伐に向かう途中、ここに立ち寄り食事をとったが、箸(はし)の代わりに用いた杉の小枝を地面に逆さにさしたものが大きくなったという言い伝えもあるそうです。
(この項;那須塩原市の「文化財」のページから)
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「源三窟(げんざんくつ)」

高校のサークル仲間との旅の2日目、朝ご飯のあと「源泉かけ流し貸切温泉と創作料理の宿 本陣」のすぐ近くの「源三窟(げんざんくつ)」に寄ってみました。

平安時代末期の武将で清和源氏としては初めて従三位に叙せられた源 頼政(みなもと の よりまさ)の孫=有綱は、壇ノ浦の戦いの後、源頼朝軍に義経一族として追われ、塩原地内をさまよっていたところを地元の城主であった塩原八郎家忠に捕えられましたが義経一族とわかり、 命だけは助けられこの洞窟内で落人の生活をしていましたが、洞窟内に流れる滝水で米をとぎ、そのとぎ汁が洞窟の外へ流れ出たことにより 頼朝軍に発見され無念の最期を遂げたと伝えられ、頼政が「源三位(げんざんみ)」の通称で呼ばれていたことから、その末裔=有綱が隠れ棲んだ洞窟もいつしか「源三窟」と呼ばれる用意なったとか…



こちらのネコは2011年の東日本大震災のあとに迷い込んできたそうで、今では居ついて看板猫に
「茶々」という名前は信長の妹「お市の方」の長女の名を頂いたとか
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高校のサークル仲間と、、、

高校の時のサークル仲間と塩原温泉。
昨夜は美味しい食事と昔話に花が咲きました




朝風呂のあとは近所を散歩
土手の土筆や猿の散歩に遭遇










軽くお腹を空かせて朝ごはんです
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