平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

猟奇的な彼女

2010年02月07日 | 洋画
 <前半戦><後半戦><延長戦>という三部構成で描かれる物語。

★<前半戦>では、主人公のトロくさいキョヌ(チャ・テヒョン)が、猟奇的な彼女(チョン・ジヒョン)の被害に遭うエピソードがひたすら描かれる。
・酒に酔った彼女のゲロ。
・酔って意識のない彼女を善意でホテルに運んでいったら痴漢だと勘違いされて留置場に。
・喫茶店では当然おごりで、キョヌがコーラを注文しようとするとコーヒーを飲むように強制される。
・映像作家志望の彼女の書いたシナリオはほめなくては殴られる。
・つき合って百日目には一本のバラを持って祝いに来なければならない。
・電車で通行人が線を右足でまたぐか左足でまたぐかの賭けになり、兵隊がなぜが行進してやってきて、連続して殴られる。
・夜中の遊園地では銃を持った脱走兵の人質になってしまう。など。

 ともかくわがままで乱暴な彼女のせいで、キョヌはひどいめに遭う。
 そして、これだけだと惚れたよしみで<彼女に献身的に尽くすモテない男の物語>になってしまう。

 だが、<後半戦>以降、物語はガラリと雰囲気を変える。
 彼女が「なぜそんなにわがままで暴力を振るうのか」が明らかにされるのだ。(以下、ネタバレ)

 彼女がわがままを言う理由。
 それは彼女がキョヌを死んだ元彼と重ね合わせようとしていたから。
 元彼とキョヌは顔立ちが似ていた。
 そして、元彼は<コーヒーしか飲まず><つき合って百日目にはバラの花を一本持って祝ってくれた>。
 彼女は同じことをさせることで、キョヌに死んだ元彼を見ていたのだ。
 こうした彼女の内面が明らかにされると、観客は単なる<わがままで乱暴な女>から<感情移入できる女>に変わる。
 キョヌを元彼の代用品にしていることに悩み苦しむ彼女の葛藤が伝わってくる。
 これがドラマになる瞬間だ。
 <彼女は元彼を清算して、キョヌと本当の恋人どうしになれるのか>というドラマが浮かび上がってくる。
 彼女が<コーヒーしか飲ませないこと><百日目にバラを持ってくることを強制すること>に別の意味が出て来る。
 これが、この作品の脚本の見事なところ。 

★その他にもこの作品には見事なシーンがたくさんある。
 キョヌが自ら身を退いて、彼女のお見合い相手の男に語る言葉なんかはグッと来る。
 キョヌは、これから共に人生を歩んでいくかもしれないお見合い相手に教訓としてこう言うのだ。
 「彼女に女らしさを期待してはいけません。留置場に行くことを覚悟して下さい。お酒は3杯まで。つき合って百日目にはバラの花を。喫茶店ではコーヒーを。彼女の書いたシナリオはどんなにつまらなくてもほめてあげて下さい」
 彼女の幸せを願うキョヌの思いが伝わってくる。

★韓流作品には、どれもあざとい位の物語性がある。
 この点、「博士の愛した数式」「歩いても歩いても」といった大きなドラマもなく日常を淡々と描く日本映画と大きく違う。
 どちらがいいかは観る者の好み。
 極彩色の絵画を好むか、黒白の水墨画を好むか。フルコースのこってりした西洋料理を食べるか、精進料理を食べるかの違いである。
 そして忘れてならないのが、西洋料理にも精進料理にも一流、二流、三流があるということ。
 こう考えると作品を愉しむというのは実に豊かなことですね。


コメント (2)
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