平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

龍馬伝 第7回「遙かなるヌーヨーカー」

2010年02月15日 | 大河ドラマ・時代劇
★いい話でした。
 父・八平(児玉清)の死。
 「龍馬が大きくなって帰ってきた。それだけで十分」
 「子の成長がわかるのが親の一番の幸せ」
 またラストの土佐の砂浜。
 黒船に乗って一家で世界を見てまわりたいという龍馬の夢を聞いて
 「お前はそんなことを考えているのか」と穏やかな笑顔。
 八平は満足して死んでいったことでしょう。
 
 龍馬は未来を生きる者。これから人生の大海原に乗り出しいろいろな人に出会い、行動していく。
 一方、八平は死にゆく者。
 この対比も見事。
 龍馬が前を見て希望に溢れているのは若者として当たり前ですが、八平も龍馬の未来に想いを馳せ、明るい気持ちになっているのもいい。

 普通、肉親の死のシーンというと重く、涙のシーンになりがちですが、そうなってないのがいい。
 八平が倒れた後でも明るく一家は黒船談義をしているし、普通の作家が入れたがる息を引き取るシーンもなかった。
 それでいて感動的にドラマを作り上げている。
 これぞ作家の力量!!

★さて、龍馬の成長物語としてのこの作品。
 今回龍馬が何を学んだかというと、八平の言葉。
 「おのれを磨き高めるという気持ちを忘れてはならない」
 「おのれの命を使い切れ」
 いい言葉ですね。
 現在、若者の自殺が多いというが、ぜひ心に留めておいてほしい言葉。
 物事がうまくいかなくて自棄になり、極まると死刑になるために犯罪を犯すようなロスト・ジェレーションにも考えてほしい言葉。

★また今回、<自分探し>をしている龍馬は新たな自分を見出した。
 「黒船を造って何をするか」という父の問いに「世界を見てまわりたい」という答えを出した。
 これが新たな自分。
 自分について結論を出したらさらに考えを深めてみる、こうすることでオンリーワンの自分が生まれる。

 考えてみると人間というのは多種多様で面白いですね。
 <黒船>の来襲という同じ事件に遭遇しても、それぞれリアクションが違う。
 半平太(大森南朋)は攘夷という狂信に取り憑かれる。
 以蔵は「考えるのは武市先生じゃ」と言って考えることを放棄する。
 弥太郎(香川照之)は「そんなことどうでもいい。どうしたら金持ちになれるか」と考える。
 河田小龍(リリー・フランキー)は「黒船の波はどんな波か」を聞きたがる。
 そして龍馬は「黒船を造って、家族を乗せて世界を見てまわる」と考える。
 これが人の個性であり、アイデンティティ。
 そして龍馬の個性は、大きくて明るくてさわやかだ。

★アイデンティティのことで言うと、僕は弥太郎のそれも大好きだ。
 「どうしたら金持ちになれるか」
 実に人間の欲望に素直で気持ちいい。
 半平太が「日本国のため」ときれいごとを言っても、「その中の何%かは自分が受け入れられないことへの怒り、吉田東洋への恨みでしょう」と言いたくなる。
 また弥太郎だが、加尾(広末涼子)にフラれても「土佐のおなごなど相手にせぬ」と言い切れる所がいい。(フラれるシーンでは、弥太郎の曲が流れニワトリがあざ笑うように鳴いていたが)。
 このたくましさ!
 大いに見習いたい。

★最後に小龍が「温かみに満ちている」と評した龍馬の家族について。
 やはり、この温かさが龍馬の人格を作ったんでしょうね。
 以前、<愛情の貯金>ということを書いたが、別の言い方をすれば<愛情の肥料>がいっぱいあったから、龍馬は大きく育つことが出来た。
 小龍が言うとおり、龍馬は「大きな花を咲かせる」ことでしょう。

※追記
 余談ですが、僕は「レ・ミゼラブル」のジャン・バルジャンの死のシーンにいつも涙する。
 娘・コゼットの結婚と幸せを祝福し、自らも光に包まれて満足して死んでいく。
 今回の八平さんの死に通じるものがある。


コメント (8)
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