吉田東洋(田中泯)の所に談判にいく龍馬(福山雅治)と弥太郎(香川照之)。
しかし東洋の反応は冷たく、不正は糺されない。
弥太郎が唯一出来ることは、奉行所への落書き。
そして投獄されてしまう。
★今回の展開をみると<物語に安易な解決はいらない>ということがわかりますね。
たとえばこの作品が「水戸黄門」「遠山の金さん」のようなドラマなら、東洋が庄屋と奉行を見事に裁いて一件落着になる。
昨年の「天地人」のような作品なら、龍馬の人柄に東洋が動かされて不正を糺すという展開になる。
ところが、この作品はあくまでリアリズム。安易な解決はしない。
物語としての痛快さは薄いが、逆にしっかりとしたドラマになったと思う。
まずは東洋という人物を描くことが出来た。
「わしは天才だ。天才は何をしてもいい」という高すぎるプライド(裏を返すと不遜、傲慢)。
次に弥太郎。
「何も力がない者は黙っちょるしかないがじゃ」
ますますハングリーになる。
龍馬も学ぶ。
お坊っちゃんで、人を無限に信じる資質を持っている龍馬だが、今回改めて現実というものを知った。
人は必ずしも良心や正義で動くものではないこと。
自分の置かれた立場で行動すること。
厳しい現実に立ち向かうには心の崇高さだけではダメで、力が必要であること。
そして龍馬と弥太郎。
今回の件でふたたび絆を強くした。
「なぜ自分に関わるのか」と弥太郎に聞かれて、江戸から傷だらけになりながら走ってきた弥太郎に「震えがきたからじゃ」と答える龍馬。
弥太郎は「何ちゅう、つまらん理由じゃ」と言いながら満更でもなさそう。
この様に「水戸黄門」のような<安易な解決>をしないことで、様々なことが描けた。
龍馬たちの成長も描けた。(黄門様は成長しませんからね。いつも高潔な人物として上から見ている)
そしてこれがドラマ。
安易な予定調和はいらない。
★その他のことでは、今回も龍馬らしさが出ましたね。
弥太郎は奉行所に訴え出る。訴えが通らないと刀で庄屋の屋敷に向かう。
一方、龍馬は刀を使わず、事件の背景を調べ吉田東洋を動かそうとする。
同じ解決方法でも龍馬の方がスマートだ。
結果は東洋を動かせず、龍馬の育ちの良さ、詰めの甘さが出てしまったが。
そして半平太(大森南朋)。
半平太は弥太郎への反発もあったが「そんなこんまいことに関わっちょる暇はないぜよ」と無視。
大義のためなら、細かいことなどどうでもいいという姿勢がある。
日々の生活を生きる庶民にはそういう細かいことが大事なのにそれがわからない。
ここに主義主張やイデオロギー・思想というものの本質がある。
イデオロギーにとらわれ過ぎると、大切なことが見えなくなる。
弥太郎が信じるものは<金>。
半平太が信じるものは<イデオロギー>(攘夷思想)。
では龍馬は……。
ここに龍馬のオリジナリティがある。
※追記
加尾(広末涼子)と龍馬の関係も進展。
「わしは何者にもなっちょらん。ちっくと待ってろ。いずれ迎えに行くき」と半ばプロポーズ。
となると、このふたりの関係は悲劇になるんですかね。
武市派の兄・収二郎(宮迫博之)は龍馬のことを良く思ってないようですし。
「ロミオとジュリエット」のようなことになるのかもしれない。
それにしても<イデオロギー>というのは人の目を曇らせる。
妹の幸せを考えれば、龍馬と結婚させることが一番なのにそれを出来なくさせる。
狂信の弊害である。
今のイスラム原理主義も。
しかし東洋の反応は冷たく、不正は糺されない。
弥太郎が唯一出来ることは、奉行所への落書き。
そして投獄されてしまう。
★今回の展開をみると<物語に安易な解決はいらない>ということがわかりますね。
たとえばこの作品が「水戸黄門」「遠山の金さん」のようなドラマなら、東洋が庄屋と奉行を見事に裁いて一件落着になる。
昨年の「天地人」のような作品なら、龍馬の人柄に東洋が動かされて不正を糺すという展開になる。
ところが、この作品はあくまでリアリズム。安易な解決はしない。
物語としての痛快さは薄いが、逆にしっかりとしたドラマになったと思う。
まずは東洋という人物を描くことが出来た。
「わしは天才だ。天才は何をしてもいい」という高すぎるプライド(裏を返すと不遜、傲慢)。
次に弥太郎。
「何も力がない者は黙っちょるしかないがじゃ」
ますますハングリーになる。
龍馬も学ぶ。
お坊っちゃんで、人を無限に信じる資質を持っている龍馬だが、今回改めて現実というものを知った。
人は必ずしも良心や正義で動くものではないこと。
自分の置かれた立場で行動すること。
厳しい現実に立ち向かうには心の崇高さだけではダメで、力が必要であること。
そして龍馬と弥太郎。
今回の件でふたたび絆を強くした。
「なぜ自分に関わるのか」と弥太郎に聞かれて、江戸から傷だらけになりながら走ってきた弥太郎に「震えがきたからじゃ」と答える龍馬。
弥太郎は「何ちゅう、つまらん理由じゃ」と言いながら満更でもなさそう。
この様に「水戸黄門」のような<安易な解決>をしないことで、様々なことが描けた。
龍馬たちの成長も描けた。(黄門様は成長しませんからね。いつも高潔な人物として上から見ている)
そしてこれがドラマ。
安易な予定調和はいらない。
★その他のことでは、今回も龍馬らしさが出ましたね。
弥太郎は奉行所に訴え出る。訴えが通らないと刀で庄屋の屋敷に向かう。
一方、龍馬は刀を使わず、事件の背景を調べ吉田東洋を動かそうとする。
同じ解決方法でも龍馬の方がスマートだ。
結果は東洋を動かせず、龍馬の育ちの良さ、詰めの甘さが出てしまったが。
そして半平太(大森南朋)。
半平太は弥太郎への反発もあったが「そんなこんまいことに関わっちょる暇はないぜよ」と無視。
大義のためなら、細かいことなどどうでもいいという姿勢がある。
日々の生活を生きる庶民にはそういう細かいことが大事なのにそれがわからない。
ここに主義主張やイデオロギー・思想というものの本質がある。
イデオロギーにとらわれ過ぎると、大切なことが見えなくなる。
弥太郎が信じるものは<金>。
半平太が信じるものは<イデオロギー>(攘夷思想)。
では龍馬は……。
ここに龍馬のオリジナリティがある。
※追記
加尾(広末涼子)と龍馬の関係も進展。
「わしは何者にもなっちょらん。ちっくと待ってろ。いずれ迎えに行くき」と半ばプロポーズ。
となると、このふたりの関係は悲劇になるんですかね。
武市派の兄・収二郎(宮迫博之)は龍馬のことを良く思ってないようですし。
「ロミオとジュリエット」のようなことになるのかもしれない。
それにしても<イデオロギー>というのは人の目を曇らせる。
妹の幸せを考えれば、龍馬と結婚させることが一番なのにそれを出来なくさせる。
狂信の弊害である。
今のイスラム原理主義も。