グラバーを説得するために<利>を説く龍馬(福山雅治)。
まず長州が購入のために15万両用意していること。
薩摩と長州が手を組めば、日本の勢力図が変わること。勝ち組が長州・薩摩になること。
「のるかのらないかはグラバーさん、あんた次第ぜよ!」
見事な交渉手腕。
そうそう、龍馬にはこのくらい賢くなってもらわないと。
今までの龍馬は時代の流れに乗り切れていなかった。
<尊皇攘夷>に違和感を感じ時代の主流から外れる。
そこで<幕府>寄りの勝海舟のもとに身を投じたが、幕府の権力闘争の中で勝が破れて、これまた時代の舞台に上り損ねる。
主流から外れてばかりの人生。
そして今回の薩摩と長州。
両者を組ませることでやっと<勝ち馬>の乗ることが出来た。
クールに見てしまうと、時代の寵児になるためにはどの勝ち馬に乗るかということなんですね。
それは<個人><非組織>の人、龍馬でも免れない。
だから勝ちたいと思っている人は、時代の流れ、変わり目をよく見ていないと。
こうして龍馬は臥龍から昇り龍になった。
また今回、<雌伏>ということを考えた。
グラバーと長州・伊藤らとの交渉で、長次郎(大泉洋)が軍艦の知識で存在感を示せたのは、海軍繰練所で学んだ日々があったから。
その知識がなかったら、交渉はグラバーと長州の間で進み、亀山社中は仲介しただけのあまり機能しない存在になっていただろう。
だから<雌伏>の時も疎かに出来ない。
しっかり実力を蓄えておけば、チャンスが来た時、輝くことが出来る。
もっとも予告編を見る限り、長次郎の輝きの時は短い間である様だけれど。
あと思ったのは龍馬の子供っぽさ。
「みんなが笑って暮らせる国を作りたい」とお元(蒼井優)に語って笑われていたが、確かに小学生でも言える様な言葉。
きっと脚本・福田靖さんの描く龍馬はこういう子供っぽさを残した龍馬なんでしょうね。
亀山社中の仲間とはしゃぎまわるのもその子供っぽさを描きたいから。
そして亀山社中は<みんなが笑って暮らせる>組織。
龍馬の理想が実現された組織なのでしょう。
最後に<私心>ということ。
グラバーに「仲介手数料はいらない。自分達には私心がないから」と語る龍馬。
史実では龍馬は亀山社中を貿易の仲介をしてお金を稼ぐ<総合商社>にしたいと構想していたと思うが、それはさておき、この作品で<侍>と<商人>を分けるのは、この<私心>の有無ということなのだろう。
国のために働く侍だから、仲介料も取らず、私心を持たない。
グラバーとのやりとりで<私心>という言葉を入れたことに作家のテーマというか、こだわりを感じます。
そう言えば先週、武市に関しても「私心がない人だった」と評価していたな。
<理想>と<私心がないこと>、この辺が「龍馬伝」を読み解くキイワードである様な気がしている。
まず長州が購入のために15万両用意していること。
薩摩と長州が手を組めば、日本の勢力図が変わること。勝ち組が長州・薩摩になること。
「のるかのらないかはグラバーさん、あんた次第ぜよ!」
見事な交渉手腕。
そうそう、龍馬にはこのくらい賢くなってもらわないと。
今までの龍馬は時代の流れに乗り切れていなかった。
<尊皇攘夷>に違和感を感じ時代の主流から外れる。
そこで<幕府>寄りの勝海舟のもとに身を投じたが、幕府の権力闘争の中で勝が破れて、これまた時代の舞台に上り損ねる。
主流から外れてばかりの人生。
そして今回の薩摩と長州。
両者を組ませることでやっと<勝ち馬>の乗ることが出来た。
クールに見てしまうと、時代の寵児になるためにはどの勝ち馬に乗るかということなんですね。
それは<個人><非組織>の人、龍馬でも免れない。
だから勝ちたいと思っている人は、時代の流れ、変わり目をよく見ていないと。
こうして龍馬は臥龍から昇り龍になった。
また今回、<雌伏>ということを考えた。
グラバーと長州・伊藤らとの交渉で、長次郎(大泉洋)が軍艦の知識で存在感を示せたのは、海軍繰練所で学んだ日々があったから。
その知識がなかったら、交渉はグラバーと長州の間で進み、亀山社中は仲介しただけのあまり機能しない存在になっていただろう。
だから<雌伏>の時も疎かに出来ない。
しっかり実力を蓄えておけば、チャンスが来た時、輝くことが出来る。
もっとも予告編を見る限り、長次郎の輝きの時は短い間である様だけれど。
あと思ったのは龍馬の子供っぽさ。
「みんなが笑って暮らせる国を作りたい」とお元(蒼井優)に語って笑われていたが、確かに小学生でも言える様な言葉。
きっと脚本・福田靖さんの描く龍馬はこういう子供っぽさを残した龍馬なんでしょうね。
亀山社中の仲間とはしゃぎまわるのもその子供っぽさを描きたいから。
そして亀山社中は<みんなが笑って暮らせる>組織。
龍馬の理想が実現された組織なのでしょう。
最後に<私心>ということ。
グラバーに「仲介手数料はいらない。自分達には私心がないから」と語る龍馬。
史実では龍馬は亀山社中を貿易の仲介をしてお金を稼ぐ<総合商社>にしたいと構想していたと思うが、それはさておき、この作品で<侍>と<商人>を分けるのは、この<私心>の有無ということなのだろう。
国のために働く侍だから、仲介料も取らず、私心を持たない。
グラバーとのやりとりで<私心>という言葉を入れたことに作家のテーマというか、こだわりを感じます。
そう言えば先週、武市に関しても「私心がない人だった」と評価していたな。
<理想>と<私心がないこと>、この辺が「龍馬伝」を読み解くキイワードである様な気がしている。