強力なライバルというのは主人公を引き立たせる。
遅まきながら「DEATH NOTE」の第三弾「L CHANGE THE WORLD」を見た。
さてL。
頭脳明晰。
しかし肉体を使うことには長けていない。
でもソファには猫の様にピョンと飛び乗る。
猫背で歩く。背筋を伸ばそうとするとゴキゴキと骨が鳴る。
甘いものが好き。甘いものは脳のエネルギー源だから。
そんな甘いものを「おそ松くん」のチビ太のおでんの様に串に刺して食べる。
子供は苦手。子供はお菓子を与えれば喜ぶというくらいの認識しかない。でも優しい。
執事のWATARIにはファザコン?
実に見事なキャラクター造型である。
主人公のライバルというと誰もが<頭脳明晰>は思いつく。
<体を使うのは苦手><運動能力ゼロ>も少し考えれば思いつく。
だが、<お菓子をおでんの様に刺して食べること>は思いつかない。
おそらく作家の思考の過程は次の様なものだったのだろう。
L→<頭脳明晰>→<脳のエネルギー源となるブドウ糖を常に取っている>→<お菓子好き>→<お菓子をおでんの様に刺して食べる>。
この様に<頭脳明晰>という設定をどんどん掘り下げていった結果、<おでんの様に刺して食べる>というアイデアが浮かんだわけだ。
これはキャラクター造型のノウハウとして役に立つ。
そう言えば、この作品でLが逃走用に使った専用車は、クレープ屋の車を改造したワゴンだった。
そして、その中は<お菓子の家>のよう。
ここまで徹底されるともう脱帽!
そして、Lというキャラクターの根底にあるもの。
<悪を憎む心>
<正義を信じる心>
<人間を、世界を信じる心>
Lは死神からどんなに誘惑されても揺るがない。
また夜神月との闘いも、決して<頭脳ゲーム>にしていない。
彼はゲームを楽しむのでなく、悪を憎んでいる。
第1作なんかを見ると、Lがキラと頭脳ゲームをしているのではないかと思わせるが、実はこの点を見逃してはいけない。
子供たちに未来を託して歩いていくラストの後ろ姿にはすがすがしいものがある。
遅まきながら「DEATH NOTE」の第三弾「L CHANGE THE WORLD」を見た。
さてL。
頭脳明晰。
しかし肉体を使うことには長けていない。
でもソファには猫の様にピョンと飛び乗る。
猫背で歩く。背筋を伸ばそうとするとゴキゴキと骨が鳴る。
甘いものが好き。甘いものは脳のエネルギー源だから。
そんな甘いものを「おそ松くん」のチビ太のおでんの様に串に刺して食べる。
子供は苦手。子供はお菓子を与えれば喜ぶというくらいの認識しかない。でも優しい。
執事のWATARIにはファザコン?
実に見事なキャラクター造型である。
主人公のライバルというと誰もが<頭脳明晰>は思いつく。
<体を使うのは苦手><運動能力ゼロ>も少し考えれば思いつく。
だが、<お菓子をおでんの様に刺して食べること>は思いつかない。
おそらく作家の思考の過程は次の様なものだったのだろう。
L→<頭脳明晰>→<脳のエネルギー源となるブドウ糖を常に取っている>→<お菓子好き>→<お菓子をおでんの様に刺して食べる>。
この様に<頭脳明晰>という設定をどんどん掘り下げていった結果、<おでんの様に刺して食べる>というアイデアが浮かんだわけだ。
これはキャラクター造型のノウハウとして役に立つ。
そう言えば、この作品でLが逃走用に使った専用車は、クレープ屋の車を改造したワゴンだった。
そして、その中は<お菓子の家>のよう。
ここまで徹底されるともう脱帽!
そして、Lというキャラクターの根底にあるもの。
<悪を憎む心>
<正義を信じる心>
<人間を、世界を信じる心>
Lは死神からどんなに誘惑されても揺るがない。
また夜神月との闘いも、決して<頭脳ゲーム>にしていない。
彼はゲームを楽しむのでなく、悪を憎んでいる。
第1作なんかを見ると、Lがキラと頭脳ゲームをしているのではないかと思わせるが、実はこの点を見逃してはいけない。
子供たちに未来を託して歩いていくラストの後ろ姿にはすがすがしいものがある。