平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

平清盛 第34回「白河院の伝言」~私はあなた様を追い越してみせまする。

2012年09月03日 | 大河ドラマ・時代劇
 病に倒れた清盛(松山ケンイチ)。
 そこで見たのは、自分の出生時の情景。
 自分を生かすために、母・舞子(吹石一恵)は命を捨てた。
 清盛のために流された血は舞子だけではない。
 叔父・忠正、親友・義朝、盟友・信西……。
 死んでいった者たちのために生きなければならないと考えた清盛は立ち上がる。再び上を目指す。
 そして、自分が上を目指すのは<この身に浴びてきた血>がそうさせるのであって、<もののけの血>がさせるのではないと、白河院(伊東四朗)に語る。
 <脱・もののけの血>宣言だ。
 <この身に浴びてきた血>とは、舞子、忠正、義朝、信西らの思い。
 彼らの思いに応えるために清盛は上を目指す。
 清盛は、死んでいった義朝や信西たちに<理想の世>を築くことを託された。

 しかし、<脱・もののけの血>宣言をした清盛に白河院は言う。
「のぼりきったその果ての風景を見ろ」
 その風景を見た時、清盛は自分に流れる<もののけの血>を認識するだろうというのだ。
 さて、清盛は最後に何を見るのか?
 今まで自分がしてきたことを完全に否定する無惨な光景かもしれない。

 一方、後白河上皇(松田翔太)。
 彼は言う。
「あの挑む目を見ておると、わしは安堵するのじゃ。この世にはわしの務めがある、生きることを許されておる、そう思えるのじゃ」
 後白河上皇は虚無の人物ですね。
 清盛と権力闘争=すごろく遊びをしている時だけ、生きている実感を味わえる。
 その他のことは、すべて無で、意味がない。

 最後の後白河上皇の<吹き出物>から出た<さいころ>は何を意味するのだろう?
 ゲームの再開?
「もう一度、すごろく遊びをしようよ」という後白河から清盛に対する誘い?
 後白河は白河院の分身で、白河院の代わりにすごろく遊びをするための存在?
 ちょっと暗示・仕掛けがやり過ぎのような気もする。
 作家さんの思い入れは強いのだけれど、空振りで、視聴者には伝わってこない感じ。
 悪い言葉で言うと、作家さんのひとりよがり?
 それは、<加茂川の水・山法師・すごろくの賽(さい)>についても同じで、いずれ謎解き・種明かしがなされるのだろうか?


コメント (4)
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