「大切な人が亡くなったことをあなたが受け入れなくては心のいくさはなくなりません」
八重(綾瀬はるか)はまだ戦っていたんですね。
弟の三郎、父親の権八の死を受け入れていなかった。
もちろん亡くなっていることは認識しているが、その現実を見ないように目を背けていた。
だから四年間、京都にいても三郎の戦死した場所を訪れようとしなかった。
それは尚之助(長谷川博己)の死を知らされた時も同じ。
八重はその現実から逃げるように、女紅場の仕事に戻った。
八重にとって、仕事はつらい現実を忘れ、ゴマかすための手段であったのだろう。
悲しい時は感情をあらわにして思い切り泣けばいいんですけどね。
気丈な彼女はそれが出来なかった。
「わたしの気持ちなどわかるはずがねえ」と思っていて、悲しみ、苦しみを誰かにぶつけることもしなかった。
そんな八重に新島襄(オダギリジョー)は語る。
「あなたのために悲しむことは出来ません。出来るのはあなたのそばにいてあげることです」
これって、キリスト教が説く<同行者>の思想。
人間は基本的にひとりで人生を歩まなくてはならないが、傍らには神が同行者として、寄り添っているという思想。
ぼくは、この<同行者>の思想に魅かれて、キリスト教入信を考えたことがある。
そして、新島はさらにこんな言葉を。
「あなたが亡くなった人たちに語りかければ、きっと何か聞こえると思うのですが。その声に耳を傾けて下さい」
「亡くなった人たちはあなたの傍にいて支えてくれます。あなたが幸せであるように、強くあるようにと」
大切な人の死から目を背けていたのでは、いつまで経っても、大切な人は寄り添ってくれない。
というより、大切な人はすでに寄り添っているのだが、生きている本人は気づかないでいる。
そこで八重は大切な人の死を受け入れ、その言葉に耳を傾けようとする。
すると、生前の三郎の顔が、権八の顔がよみがえってきた。
彼らはいつも自分の傍にいるのだと感じることができる。
尚之助も現れて、こんなことを語った。
「あなたは新しい時を生きる人だ」
これで八重は、自分が尚之助たちに見守られていることを知る。
新しい時代を、幸せに、強く生きろ、と応援されていると感じる。
実に感動的なシーンだ。
その後の新島のせりふも興味深い。
「お腹、空きませんか?」
そう、食べること=生きること。
生きている人間はお腹が空くのだ。
サンドウィッチを食べて「美味しい」と感じること、誰かといっしょに食べて楽しいと感じること、これらすべてが生きることなのだ。
八重は生きることを取り戻した。
今回は「八重の桜」で一番感動的でいい話だと思った。
斎藤一(降谷建志)と時尾(貫地谷しほり)のエピソードも、今回の八重のエピソードと絡めて見ると面白い。
斎藤は官兵衛(中村獅童)に「面つきが穏やかになった」と言われた。
斎藤も八重と同じ様に、心のいくさを戦っていたのだ。
それが清算できたから、京都の戦場を懐かしい気持ちで訪れることが出来、新島とも心から笑えた。
君主・容保(綾野剛)は戦争で死んでいった者たちのために祈り、過去に生きることを決めているようだが、配下の斎藤達くらいは過去を清算して未来に生きてもいい。
新島のプロポーズを受け入れた八重。
これから八重と新島は、斎藤と時尾夫婦のように、笑いながら人生を共に歩んでいくことになるのだろう。
※追記
尚之助の『會津戦記』。
実在していないドラマオリジナルらしいが、尚之助にとっては、これを書き上げなければ過去を清算できず、未来に進めなかったのだろう。
八重(綾瀬はるか)はまだ戦っていたんですね。
弟の三郎、父親の権八の死を受け入れていなかった。
もちろん亡くなっていることは認識しているが、その現実を見ないように目を背けていた。
だから四年間、京都にいても三郎の戦死した場所を訪れようとしなかった。
それは尚之助(長谷川博己)の死を知らされた時も同じ。
八重はその現実から逃げるように、女紅場の仕事に戻った。
八重にとって、仕事はつらい現実を忘れ、ゴマかすための手段であったのだろう。
悲しい時は感情をあらわにして思い切り泣けばいいんですけどね。
気丈な彼女はそれが出来なかった。
「わたしの気持ちなどわかるはずがねえ」と思っていて、悲しみ、苦しみを誰かにぶつけることもしなかった。
そんな八重に新島襄(オダギリジョー)は語る。
「あなたのために悲しむことは出来ません。出来るのはあなたのそばにいてあげることです」
これって、キリスト教が説く<同行者>の思想。
人間は基本的にひとりで人生を歩まなくてはならないが、傍らには神が同行者として、寄り添っているという思想。
ぼくは、この<同行者>の思想に魅かれて、キリスト教入信を考えたことがある。
そして、新島はさらにこんな言葉を。
「あなたが亡くなった人たちに語りかければ、きっと何か聞こえると思うのですが。その声に耳を傾けて下さい」
「亡くなった人たちはあなたの傍にいて支えてくれます。あなたが幸せであるように、強くあるようにと」
大切な人の死から目を背けていたのでは、いつまで経っても、大切な人は寄り添ってくれない。
というより、大切な人はすでに寄り添っているのだが、生きている本人は気づかないでいる。
そこで八重は大切な人の死を受け入れ、その言葉に耳を傾けようとする。
すると、生前の三郎の顔が、権八の顔がよみがえってきた。
彼らはいつも自分の傍にいるのだと感じることができる。
尚之助も現れて、こんなことを語った。
「あなたは新しい時を生きる人だ」
これで八重は、自分が尚之助たちに見守られていることを知る。
新しい時代を、幸せに、強く生きろ、と応援されていると感じる。
実に感動的なシーンだ。
その後の新島のせりふも興味深い。
「お腹、空きませんか?」
そう、食べること=生きること。
生きている人間はお腹が空くのだ。
サンドウィッチを食べて「美味しい」と感じること、誰かといっしょに食べて楽しいと感じること、これらすべてが生きることなのだ。
八重は生きることを取り戻した。
今回は「八重の桜」で一番感動的でいい話だと思った。
斎藤一(降谷建志)と時尾(貫地谷しほり)のエピソードも、今回の八重のエピソードと絡めて見ると面白い。
斎藤は官兵衛(中村獅童)に「面つきが穏やかになった」と言われた。
斎藤も八重と同じ様に、心のいくさを戦っていたのだ。
それが清算できたから、京都の戦場を懐かしい気持ちで訪れることが出来、新島とも心から笑えた。
君主・容保(綾野剛)は戦争で死んでいった者たちのために祈り、過去に生きることを決めているようだが、配下の斎藤達くらいは過去を清算して未来に生きてもいい。
新島のプロポーズを受け入れた八重。
これから八重と新島は、斎藤と時尾夫婦のように、笑いながら人生を共に歩んでいくことになるのだろう。
※追記
尚之助の『會津戦記』。
実在していないドラマオリジナルらしいが、尚之助にとっては、これを書き上げなければ過去を清算できず、未来に進めなかったのだろう。