平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

花咲舞が黙っていない 最終回~理不尽なことに立ち向かう

2014年06月19日 | 職業ドラマ
 クライマックスの舞(杏)と真藤本部長(生瀬勝久)のやりとり。
「真藤本部長にとって一番大切なのは銀行の利益ということですか?」
「ああ、そうだ。では聞くが、君が大事だと思うものは何だ?」
「人だと思います。この銀行で働く人が一番大事であってほしいと思います」

 このやりとりには<組織と個人>という現代の永遠のテーマがある。
 つまり<組織が生き残るためには個人を犠牲にしてもいい>と考える立場と<個人の尊厳は組織に勝る>という立場。

 具体的に言えば、低賃金で働かせ、いつでもクビを切れる非正規雇用制度などは組織の立場。
 このことを経営側はいつも次のように説明する。
 真藤本部長の言葉がそれだ。
 舞が「この銀行で働く人が一番大事であってほしいと思います」と主張すると、真藤は、
「そんなきれいごとの精神論をかざしていたら、この銀行は三日でつぶれる。
 銀行が利益を得るということは、ひいてはここで働くすべての人々の幸せに繋がるんだ」

 このように経営側は「会社が潰れてしまっては元も子もない。だから劣悪な労働条件で働け」と言ってくる。
 だが、これは一部詭弁で、経営側は劣悪な労働で得た利益を自分たちのものにしている。確かに全員を正社員にし、人件費をUPさせたら他社との競争に勝てない部分もあるかもしれないが、その一方で経営側は当たり前のように高給をもらい、ぜいたくな暮らしをしている。
 彼らの生活は、理不尽を受け入れて働く底辺や普通の人たちに拠って支えられている。
 だから舞は言う。
「お言葉を返すようですが、すべての人ではありません。
 理不尽な思いをして苦しんでいる行員もいます。それに翻弄されている家族もいます。
 そういう人たちの存在をなかったことのようにするのはいけないと思います」
「私は銀行経営のことはわかりませんが、この銀行で一生懸命働いている人たちが駒のように動かされるのは間違っているのはわかります」

 真藤は上からの視線で、舞は下からの視線だ。

 そして、僕は下からの視線で物を考えるので、青臭いと言われようが、舞の主張を支持する。

 経営者は言う。
「会社がなくなったら個人の生活も幸せもないでしょう?
 だから会社のために犠牲になりなさい。理不尽も引き受けなさい」

 政治家も言う。
「国がなくなったら個人の生活も幸せもないでしょう?
 だから国のために犠牲になりなさい。戦争に行きなさい」

 でも、果たしてそうなのだろうか?
 世の中には会社から離れて生活している人もいるし、国を捨てて海外で生きている人もいる。
 大切なのは個人。
 少なくとも理不尽なこと、間違っていることがあれば声をあげて訴えるのは当然だ。
 花咲舞のように。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする