南溪和尚(小林薫)、いはく、
「こっちの道が行きどまりであれば、あっちの道を行けばいい」
「すべては諸行無常じゃ」
すると、梅雀さんのナレーションがとぼけた声で、
「南溪和尚の策はことごとく失敗したのであった」(笑)
今回はこれかなぁ。
囚われのない、自由自在な南溪和尚。
「すべては諸行無常じゃ」というのも便利な言葉で、これであらゆる悩みが解決してしまう。
つまり、
〝明日は何が起こるかわからないのだから、くよくよ考えてみても仕方がない〟
仏教してますなぁ。
もちろん南溪和尚の策は〝井伊を三河攻めの主力にしたい〟という今川の思惑や利害、人間関係を読んでのもの。
物事にはすべて裏があり、裏では、さまざまな交渉や駆け引きがおこなわれている。
しかし、これだけでは不十分で、おとわ(新井美羽)の奮闘=蹴鞠対決が必要だった。
今回は、南溪和尚の裏の鼓動とおとわの表の行動で、事が動いたと言えよう。
これに説得力があるかどうかは別の問題として。
直平(前田吟)が鶴丸をさらう理由もよくわからなかった。
子供が主人公の大河ドラマ。
女性が主人公の大河ドラマ。
子供や女性の大河ドラマだと、どうしても、ふわふわしてしまうんだよなぁ。
子供が今川義元に対峙するなんてことも、あり得ないだろう。
………………
今川義元(春風亭昇太)はしゃべらないんですね。
最後にすこししゃべったが、すべて側近が通訳。
噺家の昇太師匠としては、真逆の役まわり(笑)
これまで今川義元といえば、貴族趣味で、武人とは程遠いイメージで描かれてきたが、今回は違う様子。
これらのことがうまくドラマに昇華してくれればいいのだが、果たしてどう繋がるのか?
セットはお金をかけてますね。
駿府城だけでなく、駿府の街や佐名(花總まり)の屋敷まで造ってしまった。
さすが予算が潤沢なNHK。
見ていて楽しいけど、こだわりポイントが少し違う気がする。
リアリズムはドラマで追究してほしい。
これらのセットは今後も登場するのだろうか? などと、どうでもいい心配をしてしまった。
「こっちの道が行きどまりであれば、あっちの道を行けばいい」
「すべては諸行無常じゃ」
すると、梅雀さんのナレーションがとぼけた声で、
「南溪和尚の策はことごとく失敗したのであった」(笑)
今回はこれかなぁ。
囚われのない、自由自在な南溪和尚。
「すべては諸行無常じゃ」というのも便利な言葉で、これであらゆる悩みが解決してしまう。
つまり、
〝明日は何が起こるかわからないのだから、くよくよ考えてみても仕方がない〟
仏教してますなぁ。
もちろん南溪和尚の策は〝井伊を三河攻めの主力にしたい〟という今川の思惑や利害、人間関係を読んでのもの。
物事にはすべて裏があり、裏では、さまざまな交渉や駆け引きがおこなわれている。
しかし、これだけでは不十分で、おとわ(新井美羽)の奮闘=蹴鞠対決が必要だった。
今回は、南溪和尚の裏の鼓動とおとわの表の行動で、事が動いたと言えよう。
これに説得力があるかどうかは別の問題として。
直平(前田吟)が鶴丸をさらう理由もよくわからなかった。
子供が主人公の大河ドラマ。
女性が主人公の大河ドラマ。
子供や女性の大河ドラマだと、どうしても、ふわふわしてしまうんだよなぁ。
子供が今川義元に対峙するなんてことも、あり得ないだろう。
………………
今川義元(春風亭昇太)はしゃべらないんですね。
最後にすこししゃべったが、すべて側近が通訳。
噺家の昇太師匠としては、真逆の役まわり(笑)
これまで今川義元といえば、貴族趣味で、武人とは程遠いイメージで描かれてきたが、今回は違う様子。
これらのことがうまくドラマに昇華してくれればいいのだが、果たしてどう繋がるのか?
セットはお金をかけてますね。
駿府城だけでなく、駿府の街や佐名(花總まり)の屋敷まで造ってしまった。
さすが予算が潤沢なNHK。
見ていて楽しいけど、こだわりポイントが少し違う気がする。
リアリズムはドラマで追究してほしい。
これらのセットは今後も登場するのだろうか? などと、どうでもいい心配をしてしまった。