平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

いだてん 第23回 「いだてん」~倒壊する浅草・凌雲閣。浅草の町がたった2日で姿を消した……

2019年06月17日 | 大河ドラマ・時代劇
 大正12年9月1日 関東大震災。
 浅草・凌雲閣は倒壊。
 その夜には浅草~日本橋~芝が延焼。
 吉原の弁天池で溺死する人たち。
 飛び交うデマ。
 浅草の町がたった2日で姿を消した……。

 この体験、僕たちは3・11東日本大震災を思い出す。
 津波にのみ込まれる町。
 渦を巻く海。
 建物の倒壊、液状化現象。
 燃える石油コンビナート。
 孝蔵(森山未來)の見た風景や呆然とした姿はまさに3・11の僕たちだった。

『あまちゃん』では東日本大震災が描かれたが、震災で消失した町と呆然とした感じを宮藤官九郎さんが描き続けるのはどうしてだろう?
 3・11は確実に僕たちに影響を与えているわけで、心の中のものを突きとめたいからなのかもしれない。

 一方、危機は人と人を結びつける。
 村田富江の父(板尾創路)は敵視していた四三(中村勘九郎)を守って「この人は娘の学校の先生だ!」
 清さん(峯田和伸)は傷心の増野(柄本佑)の力になると言いつつ「悪いな。喜びは喜びで思いっきり声に出さねえと。明るいニュースが少ねえからよ」
 清さんや富江の父の人間性が表れましたね。
 そして、こういう言葉や気持ちが皆を勇気づけ、力を与える。
 孝蔵と妻・おりん(夏帆)は「何で俺の着てるんだよ?」「だって寒いんだもん」
 こういう時はふたりで肌を寄せ合うのがいい。
 
 さて、シマ(杉咲花)。
 おそらく亡くなってしまったんだろうけど、あっけなかったな……。
 通常の作劇では、死にゆくシマを見せて、夫や子供のこと、女子スポーツへの思い、何も成し遂げなかったことなどを描くものだが、何の感傷もない。あっという間の出来事。
 でも、それが災害で命を落とすということなのだろう。

 圧倒的な自然の力の前では人間は無力。
 でも、大地の上で這いつくばりながら、うれしさ、かなしさ、希望、怒り、落胆、不安、絶望など、さまざまな感情を抱いて生きている。
 四三はシマを探して走り、孝蔵は酒を求めて走り、富江の父は医者として救護し、清さんは無料で日本橋まで人力車を走らせる。
 人間はちっぽけな存在だが、立ち上がって走ることはできる。


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2 コメント

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五りんという伏線 (コウジ)
2019-06-18 10:33:34
TEPOさん

いつもありがとうございます。

すっかりシマ推しになられたようですね。
今後は、五りんの物語を通してシマのことが語られていくんでしょうね。
僕も落語パートや五りんパートは要らないと考えていましたが、何かとんでもない伏線が張られていそうですね。

富江のお父さんも立派。
こういう二面性で描かれると、人物は魅力的になっていきますよね。
それと、富江に負けても何度も走り続けた理由は何でしょうね?
単に父親の威厳を保ちたかったから?
何か引っ掛かっていて、掘り下げてみたい部分です。

さて次回は四三編のクライマックスということで、最後の明るいエピソードが見られそうですね。
今後は戦争の時代になるので暗いエピソードが続きそう。
その際の明るいパートは孝蔵?
戦争時に志ん生師匠がどのように振る舞ったか、調べてみます。
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真のヒロインと落語パートの意味 (TEPO)
2019-06-17 19:19:46
先週のコメント、タイトルをつけ忘れましたが「ダブルヒロイン」とする予定でした。
しかし、今回を見てシマこそが「金栗四三編」の真のヒロインだったのでは、と感じます。
ここ数回、すっかり私はファンとなり、シマちゃん(「ちゃん」づけします)見たさに視聴する感じでした。
個人的に気に入っている彼女の台詞は
今回、四三の食欲作戦で生徒たちが軟化しかけた時に村田父が現れた際の「あとちょっとだったのに!」
前回、二階堂トクヨの髪がカツラであることを四三に話した際の「しーっ!誰にも……けっして誰にも言わないでくださいね」
これらは、物語の進行にはほとんど関係なく、彼女の人となり(愛らしさ)を示すための台詞だったと思います。

今回冒頭、親子競争にもっていったのは、彼女の(最後の)GJ。
今日でこそ、自身が運動しているのででもない限り、年齢差からしてスポーツで鍛えた娘に勝てる父親などいないのは常識ですが、当時は違ったのですね。
ところで
>村田富江の父は敵視していた四三を守って「この人は娘の学校の先生だ!」
朝鮮の人たちは無論のこと、日本人でも訛りのある地方出身者や発音に障害のある人たちまで実際に「自警団」の蛮行の犠牲となったそうです。
単なる仇役ではなく、流言飛語を看破する知性をもち、被災者たちのために尽力する医師としての顔をも見せているところが「父の日」なのでしょうね。

シマに戻りますが、退場のあっけなさは却って彼女の存在感を強めたように思います。
特に、最後になって五りんがシマの孫だったことが判明したこと。
たしかに、高座ではシマの話は五りんの担当でしたし、「理解ある」増野氏について「いたんですねえ」と語った時には涙ぐんでいました。
おそらく自分の祖父母のことであることを承知していたのでしょう。

正直、これまで私は落語パート、特に五りんと知恵は不要だと思っていました。
しかし、五りんについては伏線回収してきましたね。
また、平成に多数の方々が二回の「大震災」を経験しておられる中で、大正の大震災をいかに描くのかは微妙な配慮もいることと思います。
これを「孝蔵が語る噺」という形で描くというのが戦略だったのでしょう。
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