剣で黒船に勝てるかどうかは問題じゃない。坂本龍馬という人間の問題だ。
そうなんですね、戦うのは<人間>なんですね。
剣は戦うための武器であり、手段でしかない。
蘭学もそう。オランダ語を話せれば外国人と交渉できるし、オランダの書物を読んで大砲や蒸気船を作ることも出来る。
要はその人間が何を考え、どう行動するか。
たとえば、剣を磨いて外国人を斬る攘夷のために使う人間もいるだろう。
だが、一方で剣を磨いて人格を高め、外国人と理解し合おうとする人間もいる。
要は<自分>。
そのことを龍馬(福山雅治)は吉田松陰(生瀬勝久)から学んだ。
松陰は「剣で黒船に勝てるか」なんてことに悩まない。剣などというものにとらわれていない。
あくまで<自分>の思いとして<黒船>に向き合っている。
松陰は今まで生きてきた自分の経験、知識から「黒船に乗ってアメリカに行きたい」という結論を出したのだろう。
そこに<武士だから><長州藩士だから>というとらわれはない。
松陰は龍馬に「考えるな。自分の心を見ろ」と言ったが、考えてしまうと「武士だから」「長州藩士だから」「家族がいるから」「友人が非難するから」「罪人になってしまうから」といった言い訳がついてまわってしまう。
松陰が「自分には何の言い訳もない」と言ったのは、そのためだ。
純粋にアメリカに行きたいと思ったから松陰はそうしているだけ。
そして、剣や学問を学ぶことは、判断し結論を出す<自分>、とらわれのない<自分>を作るためにある。
人間、最終的には、こういう境地に行きたいですね。凡人にはなかなか難しいですが。
「震えるほどの歓びを感じる」と松陰は言ったが、何のとらわれのなく、自分の心のおもむくままに歩んでいく。
判断基準はワクワク、ドキドキするかどうか。
そう行動することで、自分の心が歓ぶかどうか。
松陰はそんな子供のような人物だったのでしょう。
そして龍馬も。
こういう人達を世の常識人は<おバカさん>と呼びますが。(実際、劇中でも松陰は笑われていた)
一方、それと対照的なのが半平太(大森南朋)。
あくまで土佐藩にこだわり、とらわれている。
武士の生き様や仲間に一目置かれることにとらわれている。
こういう人は出世すれば、栄達を極め尊敬され、<おバカさん>とは正反対の人物になりますが、もし挫折すれば……。
あるいは既に半平太がそうであるように<怒り>や<憎しみ>の中で生きていくことになる。
さて、このふたつの生き方を見て、われわれはどう生きるか?
そうなんですね、戦うのは<人間>なんですね。
剣は戦うための武器であり、手段でしかない。
蘭学もそう。オランダ語を話せれば外国人と交渉できるし、オランダの書物を読んで大砲や蒸気船を作ることも出来る。
要はその人間が何を考え、どう行動するか。
たとえば、剣を磨いて外国人を斬る攘夷のために使う人間もいるだろう。
だが、一方で剣を磨いて人格を高め、外国人と理解し合おうとする人間もいる。
要は<自分>。
そのことを龍馬(福山雅治)は吉田松陰(生瀬勝久)から学んだ。
松陰は「剣で黒船に勝てるか」なんてことに悩まない。剣などというものにとらわれていない。
あくまで<自分>の思いとして<黒船>に向き合っている。
松陰は今まで生きてきた自分の経験、知識から「黒船に乗ってアメリカに行きたい」という結論を出したのだろう。
そこに<武士だから><長州藩士だから>というとらわれはない。
松陰は龍馬に「考えるな。自分の心を見ろ」と言ったが、考えてしまうと「武士だから」「長州藩士だから」「家族がいるから」「友人が非難するから」「罪人になってしまうから」といった言い訳がついてまわってしまう。
松陰が「自分には何の言い訳もない」と言ったのは、そのためだ。
純粋にアメリカに行きたいと思ったから松陰はそうしているだけ。
そして、剣や学問を学ぶことは、判断し結論を出す<自分>、とらわれのない<自分>を作るためにある。
人間、最終的には、こういう境地に行きたいですね。凡人にはなかなか難しいですが。
「震えるほどの歓びを感じる」と松陰は言ったが、何のとらわれのなく、自分の心のおもむくままに歩んでいく。
判断基準はワクワク、ドキドキするかどうか。
そう行動することで、自分の心が歓ぶかどうか。
松陰はそんな子供のような人物だったのでしょう。
そして龍馬も。
こういう人達を世の常識人は<おバカさん>と呼びますが。(実際、劇中でも松陰は笑われていた)
一方、それと対照的なのが半平太(大森南朋)。
あくまで土佐藩にこだわり、とらわれている。
武士の生き様や仲間に一目置かれることにとらわれている。
こういう人は出世すれば、栄達を極め尊敬され、<おバカさん>とは正反対の人物になりますが、もし挫折すれば……。
あるいは既に半平太がそうであるように<怒り>や<憎しみ>の中で生きていくことになる。
さて、このふたつの生き方を見て、われわれはどう生きるか?
対照的なのは吉田東洋の冷たさ。「我が国の船では西洋には行けんけんど向こうは当たり前のようにやってきおる。それだけで力の差は歴然」。こうした現実認識を持つ東洋と単なる攘夷論者でしかなかった武市との見識の優劣は歴然としています。しかし「その程度の男じゃったか」「もう良い、下がれ」とは「切れ者」にありがちな凡愚に対する冷酷な侮蔑。下士なるがゆえに殿様が捨てた武市を折角拾い上げようとしたのであれば、せめて攘夷論を批判してもう少し議論してやるべきだったのではと思います。そうすれば、説得は出来なくとも、少なくとも見識の相違であって下士なるがゆえの侮蔑ではないことは武市も理解した筈。東洋の見識は優れていても、この冷たさゆえに恨みを買って結局武市一派に殺されてしまうわけです。
武市は攘夷論への侮蔑を下士ゆえの侮蔑と誤解しました。否、彼の屈折したプライドゆえの自我防衛機制としてそう思い込もうとしたとも言えます。
いずれにせよ、今後武市は益々攘夷に凝り固まり、遂には東洋暗殺にまで突っ走る伏線だと思います。武市の転落への第一歩なのでしょう。
他方、弥太郎は江戸遊学のチャンスを得て上昇への第一歩を掴んだようです。チャンスをもたらしてくれた加尾への求婚は調子に乗りすぎだったとしても。
いつもありがとうございます。
龍馬と定吉先生、武市と吉田東洋。
この違いは人間の下地の違いなんでしょうね。
要は<人間を好きかどうか>。
武市と吉田東洋は、きっと自分は大好きですが、他の人間は嫌いなのでしょう。
自分が好きだから、自分と違う考えの人間は否定しようとする。
一方、龍馬と定吉先生は、考えは違っていてもまず相手を理解しようとしますよね。
たとえば定吉先生は龍馬が剣に疑問を持った時、なぜ龍馬がそんなことを考えたかを理解しようとし、答えが出るまで待つことが出来る。
答えが出るまで待つことが出来ず、「それだけの男か」と否定する東洋とは大きな違いです。
TEPOさんのご意見で、定吉先生と東洋が対比されていることがわかりました。
それにしても松陰もそうですが、龍馬は出会った人物がよかったですね。
いい影響を受けている。
次回は父親が亡くなるようですが、また、ひとつ何かを学ぶんでしょうね。
今回は、松陰や定吉先生と出会った龍馬と、東洋に対面した武市がたしかに対照的でしたが、やはり土佐の中で自分をとらえるか、広い世界で自分をとらえるかも、違いますね。
こちらのブログにはそぐわないコメントになりますが、今回の最大のヤマ場は佐那とのゆびきりげんまんに尽きます。ラブシーンですよあれは。思いだすだけで幸せになります。
いつもありがとうございます。
>8年後の勝海舟を待たずして、松陰先生で開眼していましたね。
この作品は龍馬のビルディングス・ロマンになっていますね。
いろいろな人に会い、少しずつ成長している。
今後も誰と出会い、何を学んでいくのかが楽しみになりました。
来週はお父さん? ジョン万次郎?
>広い世界で自分をとらえるかも、違いますね。
おっしゃるとおりで、だから人は旅をしなくてはならないんでしょうね。
佐那さんとの指切りはシーンとしてはよかったのですが、加尾同様、あれでは「坂本さんはいずれ私の所に戻って来て……」と期待しちゃいますよね。
本当に龍馬は罪な男です。
今後の女性関係にも注目ですね!
「ゆびきりげんまん」は確かに「ヤマ場」だと思いますが、私には「兄上のバカ!」が何とも可愛らしく思いました。
北大路龍馬の記憶も薄く「龍馬がゆく」の原作も読んでいないので、本作については「白紙の視点からのコメント」が私のスタンスだと思っています。
しかしながらこの時点でここまで一途な佐那を見ていると、以前Nolly Changさんがおっしゃったとおり、私も第4話をもう少し描き込んでもよかったのではないかと感じます。
史実の彼女は生涯「龍馬の妻」を自認して独身を貫いた、とのことですし。
佐那さんについてのコメントありがとうございます。
今回の佐那さんはいい感じですよね。
せっかく彼女が魅力的になったのに、ここで江戸編を終わらせてしまうのはもったいない。
龍馬はふたたび江戸に戻ってきますが、その時、佐那はどんな顔を見せるか。
そして、こういう恋愛話が出来るのは、福山雅治さんの龍馬だからですよね。
「JIN」の内野さんの龍馬では無理。野風にフラれて三枚目キャラでしたし。
いろいろな龍馬がいて、龍馬ご本人も当惑されていることでしょう。
自分が後世の人間にこんなに親しまれていることも。
全国のツンデレ好きが佐那ファンになった瞬間だったかも?!
比べて加尾さんは、同じく妹で、兄上が龍馬と友人なのに違いますね。
武家の娘と、町娘の違い?土佐の娘と江戸の娘の違い?気になるところです。
おりょうさんは、司馬遼太郎の本では長女でしたね。
龍馬をめぐる女たち、楽しみですね。
女性もそうかもしれませんが、男はやはり<ツンデレ>ですね。
加尾さんに弁当を渡されて「好きだから」と言われても、何とも思っていなかったら負担に感じてしまう。
でも佐那さんのように最初はキビキビして拒絶するような女性が、「指切りを」と言ってきたら、そんなに好きでなくてもグッと来てしまう。
やはり恋愛はギャップですよね。
そして、本日からは再び加尾さんが登場。
弥太郎も絡んで、どんな恋愛模様を繰り広げるか楽しみです。
ずっと先になりますが、おりょうさんの登場の仕方も。