・理想と現実
・スポーツと政治
その間で葛藤する田畑政治(阿部サダヲ)。
とは言え、この問題、いろいろ入り組んでいて単純な二元論では語れない。
アジア競技会に参加した場合は、「競技をしたい」というアスリートの思いや「スタジアムと選手村は聖域」という田畑の理想は実現される。
だが反面、大統領スカルノの台湾・イスラエルの排除を認めることになる。
IOCから東京オリンピックを剥奪されるかもしれない。
一方、不参加を選んだ場合は、アスリートの思いは踏みにじられ、1940年の東京オリンピック返上の時のように、スポーツが政治状況に左右され屈したことになる。
いずれにしてもオリンピックやスポーツの政治からの独立など、あり得ないのだ。
政治はオリンピックやスポーツに介入して、政治の道具にする。
大会への参加・不参加が、政治的なメッセージになってしまう。
第3の道はスカルノに
「スポーツと政治は関係ない。台湾とイスラエルの参加を認めろ」
と直談判することだが、状況的に難しいんだろうな。
IOCもオリンピックなら意見することができるだろうが、今回はアジア競技会だ。
川島正次郎(浅野忠信)の意図は何だろう?
・上手く仕切れないことを利用しての田畑と津島(井上順)下ろし?
・スカルノとの関係強化?
さて、田畑はどう動く?
理想と現実の間で、どう折り合いをつける?
現実の壁をどう突破する?
………………
田畑のオリンピックは、さまざまな人が入り乱れて自由だった。
落語家が宣伝部長で、
タクシー運転手が聖火リレーを仕切り、
国旗オタクの早稲田の学生が国旗担当。
平沢和重(星野源)はNHKの解説員だし、
岩田幸彰(松坂桃李)は元商社マン。
ところが2020年のオリンピックは、森喜朗や小池百合子の顔は見えるが、その他の人の顔が見えない。
政治家が仕切り、役人が仕切り、広告代理店が仕切るオリンピック。
脚本執筆の時は意図していなかっただろうが、
「田畑がオリンピックを私物化している」
「オリンピックは暑さを避けた10月10日に決まりました」
なんて、せりふが皮肉っぽく突き刺さってくる。
・スポーツと政治
その間で葛藤する田畑政治(阿部サダヲ)。
とは言え、この問題、いろいろ入り組んでいて単純な二元論では語れない。
アジア競技会に参加した場合は、「競技をしたい」というアスリートの思いや「スタジアムと選手村は聖域」という田畑の理想は実現される。
だが反面、大統領スカルノの台湾・イスラエルの排除を認めることになる。
IOCから東京オリンピックを剥奪されるかもしれない。
一方、不参加を選んだ場合は、アスリートの思いは踏みにじられ、1940年の東京オリンピック返上の時のように、スポーツが政治状況に左右され屈したことになる。
いずれにしてもオリンピックやスポーツの政治からの独立など、あり得ないのだ。
政治はオリンピックやスポーツに介入して、政治の道具にする。
大会への参加・不参加が、政治的なメッセージになってしまう。
第3の道はスカルノに
「スポーツと政治は関係ない。台湾とイスラエルの参加を認めろ」
と直談判することだが、状況的に難しいんだろうな。
IOCもオリンピックなら意見することができるだろうが、今回はアジア競技会だ。
川島正次郎(浅野忠信)の意図は何だろう?
・上手く仕切れないことを利用しての田畑と津島(井上順)下ろし?
・スカルノとの関係強化?
さて、田畑はどう動く?
理想と現実の間で、どう折り合いをつける?
現実の壁をどう突破する?
………………
田畑のオリンピックは、さまざまな人が入り乱れて自由だった。
落語家が宣伝部長で、
タクシー運転手が聖火リレーを仕切り、
国旗オタクの早稲田の学生が国旗担当。
平沢和重(星野源)はNHKの解説員だし、
岩田幸彰(松坂桃李)は元商社マン。
ところが2020年のオリンピックは、森喜朗や小池百合子の顔は見えるが、その他の人の顔が見えない。
政治家が仕切り、役人が仕切り、広告代理店が仕切るオリンピック。
脚本執筆の時は意図していなかっただろうが、
「田畑がオリンピックを私物化している」
「オリンピックは暑さを避けた10月10日に決まりました」
なんて、せりふが皮肉っぽく突き刺さってくる。
いつもありがとうございます。
やはり田畑も挫折するんですか。
「見取り八段」さんのブログを読んで、そうなるんじゃないかと思っていました。
となると、どうやって『救い』に持っていくのか?
確かに『カタルシス』は重要なんですよね。
今作でも盛り上がったのは、人見絹枝や前畑秀子やロサンゼルスオリンピック。
四三、小松、治五郎、田畑の挫折がうまく繋がって「ああ、なるほど」と思えるような最終回を見てみたいです。
いつもありがとうございます。
>人間から夢や信念や誇りを捨てたら、人間は欲望をまき散らすだけの獣と一緒です。
おっしゃるとおりですね。
とは言え、夢や信念や誇りだけでは、たちまち潰されてしまうのが人間社会で、ここに生きる葛藤があるんですよね。
今回の田畑もそうでした。
それにして政治家はどうしてスポーツや文化に政治を持ち込んでくるんでしょうね。
現在も、ラグビーや野球などのスポーツの熱狂の中で、自らに向く不満を逸らしているように思います。
いつもありがとうございます。
僕はデヴィ夫人が出て来るかと思って見ていたのですが、なるほど結婚したのは翌年(1962年)だったんですね。
今回、川島の暗躍の一端が描かれましたけど、大統領スカルノに関しては、デヴィ夫人の結婚といい、日本との間でいろいろ裏がありそうですね。
デヴィ夫人は今ではタレントと化していますけど、案外、化け物で、歴史の裏をいろいろ知っていそうです。
>現実の壁をどう突破する?
川島正次郎の「毒牙」、今回が「前半」で「完結」は次回のようです。
田畑は突破できず、負けるでしょう。
(ネタバレですが、これが田畑政治についての史実であり、人物紹介でも次回予告でも明らかにされているのでご勘弁を。)
宮藤官九郎氏はよほど「敗者のドラマ」が好きなのでしょうか。
金栗四三編も世界記録の後は挫折の連続でしたし。
ちなみに、来年のヒーローは明智光秀。
目一杯光秀に「義があった」と描くのでしょうが、所詮は「敗者のドラマ」。
『真田丸』も然りですが、最近の大河ドラマは「敗者」ばかり取り上げるようで、カタルシスに欠けるところが今ひとつ盛り上がらなくなっている原因ではないかと思います。
さて、本作。
全体で47話ということのようです。
残る45,46,47(最終回)話の三回で、田畑政治に対しても、1964年東京オリンピックそのものに対しても、どのような「救い」を用意しているのかがポイントですね。
それにしても、川島の野郎は本当に腹が立ちますね。
こういう奴がのさばってマーちゃんの想いを踏みにじる様を見てると。
川島みたいな屑は今の日本の腐敗の遠因を象徴する存在ですな。
政治とオリンピックを切り離しは不可能、そうかもしれませんけど。
オリンピック憲章の理念に限らず人間から夢や信念や誇りを捨てたら、人間は欲望をまき散らすだけの獣と一緒です。
今回のいだてんをみて、正しいことをしているマーちゃんが何で、こんな目に遭うんだと思って悔しかったです。