司馬遼太郎の「関ヶ原」を読み返す。
その中で、石田三成とその軍師・島左近の間でこんなやりとりがあった。
大坂城の天守閣にのぼって三成は言う。
「この町の繁昌ぶりを見るがよい。
故太閤殿下の偉大さがわかるではないか。むかし、この日本が百年にわたって乱れていたとき、故太閤殿下出ずるにおよんで、群雄を一手にしずめ、五畿七道を平定し、この大坂に政都をもうけ、天下の民を安んじた。町を見るがよい。町民どもは、日々の暮らしを喜び、あすの日また豊家の保護によってかくあらんと乞い願っているようではないか」
三成は、現在の大坂の繁栄は秀吉によってもたらされたものであり、人々は秀吉に恩義を感じているというのだ。
これに対し、左近は異を唱える。
「町の繁栄が豊家のおかげだと申されるのはあとかたもない嘘じゃ。古来、支配者の都府というものに、人があつまるのは当然で、なにも大坂にかぎったことではござらぬ。利があるから人があつまる。恩を感じてあつまるわけではない」
「大坂が繁昌であると申されるが、それは都心だけのことでござる。郊外二里、三里のそとにいけば、百姓は多年の朝鮮ノ役で難渋し、雨露の漏る家にすみ、ぬかを食い、ぼろをまとい、道路に行き倒れて死ぬ者さえござる。豊家の恩、豊家の恩と殿はいわれるが、そのかけ声だけでは天下は動きませんぞ」
三成は<自分の世界>の中にだけ生きていて、左近は<現実>に生きているんですね。
三成は観念の世界に生きていて、現実に生きる人間が何を考えているかを知らない。
一方、左近は人間や世間というものを熟知している。
だから、この言葉。
「利があるから人があつまる」
「豊家の恩だけでは天下は動かない」
後の離反し、家康側につく豊臣家の家臣を予測しているような言葉だ。
そう言えば、勝海舟も左近と同じようなことを言っていた。
「世間は生きている。理屈は死んでいる」
「時間があったら、市中を散歩して、どんなことでも見て覚えておけ。いつかは必ず役立つ。兵学をするものはもちろん、政治家にもこれは大切なことだ」
…………………………………………………
さて、このような現実主義者の島左近だが、司馬遼太郎に拠れば<詩人>の側面ももっていたようだ。
左近は、現実はすでに家康の方に行っていることはわかっていたのに、三成に殉じる。
いはく、
「牢浪の境涯ならば(この状況を)おもしろしと見物しているのでござるが、主人治部少輔が大の家康ぎらいゆえ、自然、わしも、家康が乱を起こすと同時に立ちあがって槍の鞘をはらい、鉄砲の火蓋をひらいて、かの老人がつかみとろうとしている天下を、その腕を断ち、命を断って阻止する所存でござる」
また、左近は<死ぬこと>についてもこんな考えを漏っている。
「男の最大の娯楽と言っていい。自分が興るかほろびるかという大ばくちをやることは」
左近は、自分の置かれている状況を「おもしろい」「娯楽」「大ばくち」と考えている。
まるで自分の人生を<一篇の詩>にしようとしてるかのようだ
こうした詩人気質の人物は、司馬遼太郎の小説にはよく出てくる。
高杉晋作、河井継之助……。
司馬さんってこういう人、好きなんだよなぁ。
それにしても、石田三成。
左近の忠告を入れて、もう少し世間や人間というものを知ろうとしていたら、歴史や彼の人生は変わっていたかもしれない。
その中で、石田三成とその軍師・島左近の間でこんなやりとりがあった。
大坂城の天守閣にのぼって三成は言う。
「この町の繁昌ぶりを見るがよい。
故太閤殿下の偉大さがわかるではないか。むかし、この日本が百年にわたって乱れていたとき、故太閤殿下出ずるにおよんで、群雄を一手にしずめ、五畿七道を平定し、この大坂に政都をもうけ、天下の民を安んじた。町を見るがよい。町民どもは、日々の暮らしを喜び、あすの日また豊家の保護によってかくあらんと乞い願っているようではないか」
三成は、現在の大坂の繁栄は秀吉によってもたらされたものであり、人々は秀吉に恩義を感じているというのだ。
これに対し、左近は異を唱える。
「町の繁栄が豊家のおかげだと申されるのはあとかたもない嘘じゃ。古来、支配者の都府というものに、人があつまるのは当然で、なにも大坂にかぎったことではござらぬ。利があるから人があつまる。恩を感じてあつまるわけではない」
「大坂が繁昌であると申されるが、それは都心だけのことでござる。郊外二里、三里のそとにいけば、百姓は多年の朝鮮ノ役で難渋し、雨露の漏る家にすみ、ぬかを食い、ぼろをまとい、道路に行き倒れて死ぬ者さえござる。豊家の恩、豊家の恩と殿はいわれるが、そのかけ声だけでは天下は動きませんぞ」
三成は<自分の世界>の中にだけ生きていて、左近は<現実>に生きているんですね。
三成は観念の世界に生きていて、現実に生きる人間が何を考えているかを知らない。
一方、左近は人間や世間というものを熟知している。
だから、この言葉。
「利があるから人があつまる」
「豊家の恩だけでは天下は動かない」
後の離反し、家康側につく豊臣家の家臣を予測しているような言葉だ。
そう言えば、勝海舟も左近と同じようなことを言っていた。
「世間は生きている。理屈は死んでいる」
「時間があったら、市中を散歩して、どんなことでも見て覚えておけ。いつかは必ず役立つ。兵学をするものはもちろん、政治家にもこれは大切なことだ」
…………………………………………………
さて、このような現実主義者の島左近だが、司馬遼太郎に拠れば<詩人>の側面ももっていたようだ。
左近は、現実はすでに家康の方に行っていることはわかっていたのに、三成に殉じる。
いはく、
「牢浪の境涯ならば(この状況を)おもしろしと見物しているのでござるが、主人治部少輔が大の家康ぎらいゆえ、自然、わしも、家康が乱を起こすと同時に立ちあがって槍の鞘をはらい、鉄砲の火蓋をひらいて、かの老人がつかみとろうとしている天下を、その腕を断ち、命を断って阻止する所存でござる」
また、左近は<死ぬこと>についてもこんな考えを漏っている。
「男の最大の娯楽と言っていい。自分が興るかほろびるかという大ばくちをやることは」
左近は、自分の置かれている状況を「おもしろい」「娯楽」「大ばくち」と考えている。
まるで自分の人生を<一篇の詩>にしようとしてるかのようだ
こうした詩人気質の人物は、司馬遼太郎の小説にはよく出てくる。
高杉晋作、河井継之助……。
司馬さんってこういう人、好きなんだよなぁ。
それにしても、石田三成。
左近の忠告を入れて、もう少し世間や人間というものを知ろうとしていたら、歴史や彼の人生は変わっていたかもしれない。
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