後白河天皇(松田翔太)は戦いにあたり宣言する。
「すべては白河院の御代より始まりしこと。白河院の北殿を攻めるは新しき世の始まりである!」
鳥羽院と崇徳上皇の確執から生まれた保元の乱。
その確執の原因をたどれば、白河院。
なるほど、この戦いは<白河院の呪縛>を清算する戦いであったわけですね。
死してなお災いをもたらす白河院。実に恐るべし!
そして絡まった糸は、戦いでしか解きほぐすことが出来ない。
矛盾を解消するのは戦争。
これが歴史。
それにしても今回は何と豊かな内容だったのだろう。
★清盛(松山ケンイチ)と叔父・忠正(豊原功補)
剣を交えながら、忠正は挑発的な言葉を吐き、迷う清盛を本気にさせようとしているようにも見える。
清盛もそのことがわかっているから、つらい。
★義朝(玉木宏)と為義(小日向文世)
このふたりもついに剣を交えてしまった。為義の剣を受け止めるのは<友切>。何という皮肉。
そう言えば、清盛の剣も父・忠盛譲りの宋の剣だった。
★信西(阿部サダヲ)と頼長(山本耕史)
『孫子』の解釈が違っていて、戦いの明暗を分ける。
もし崇徳上皇側も夜討ち出ていて、市街戦になっていたら戦いは一進一退で長引き、援軍や寝返る者が出てきたりして、戦いはどうなっていたかわからない。
★圧倒的な強さの鎮西八郎・為朝(橋本さとし)
こいつ、強すぎる。
集団戦でないこの時代は、ひとりの豪傑の力が戦況に影響するんですね。
★鎌田通清(金田明夫)と鎌田正清(趙和)
父子の物語。
主従関係か父子関係かで迷い、葛藤する通清の気持ちが泣ける。
★兎丸(加藤浩次)と鬼若(青木崇高)
出番は少ないが、門を破り、為義を助け、おいしい役まわり。
兄弟対決もある。
★清盛と頼盛(西島隆弘)
★義朝と頼賢(永岡佑)
女の戦いもある。
★由良御前(田中麗奈)常盤御前(武井咲)
由良が義朝も武運を祈るのに対し、常磐は無事を祈る。
こんなに多元的に、様々な感情が交錯する形で、いくさのシーンが描かれたのは、実にめずらしい。
過去の大河ドラマでは、<家康と三成>とか、<真田幸村と徳川秀忠>とかシンプルなものが多かった。
そこで描かれていた感情や葛藤も、<権力の奪回のために敵を倒す>という単純なもの。
これでは大味で、コクも苦みもあったものではない。
後白河天皇の次のひと言も興味深い。
義朝に昇殿を許すように乞われて、ひと言「面白い」。
そして昇殿を許し、軍議に参加させる。
この人の判断基準は<面白いか面白くないか>なんですね。
何という無頼の天皇なのだろう。
忠盛と対峙した清盛は、ふたたび迷いが生じて、後半は存在感が薄れてしまった。
しかし、主人公として決める所は決めている。
信西に源氏と比較されて<都武士>とバカにされた時は
「われら平氏は都武士なれど、強者ぞろい。働きを見ていただきたい」
いくさの前、配下の武将たちには
「武士にとって千載一遇の好機! 存分に戦え!」
忠正と剣を交えながら
「勝ってみせまする、このいくさにも、もののけの血にも! わしは平清盛ぞ!」
頼長(山本耕史)は哀しくおかしい。
為義には「いくさをわからない者は黙っていろ」と言われ、崇徳上皇には「そなたを信じた朕が愚かであった」と言われてしまう。
そしてオウムにも皮肉。
「頼長様の才は比類なきもの」
もちろんオウムに悪意はないのだが、こう言われて頼長は何を思ったのだろう。
逆にここまで貶められると、共感してしまう。
「すべては白河院の御代より始まりしこと。白河院の北殿を攻めるは新しき世の始まりである!」
鳥羽院と崇徳上皇の確執から生まれた保元の乱。
その確執の原因をたどれば、白河院。
なるほど、この戦いは<白河院の呪縛>を清算する戦いであったわけですね。
死してなお災いをもたらす白河院。実に恐るべし!
そして絡まった糸は、戦いでしか解きほぐすことが出来ない。
矛盾を解消するのは戦争。
これが歴史。
それにしても今回は何と豊かな内容だったのだろう。
★清盛(松山ケンイチ)と叔父・忠正(豊原功補)
剣を交えながら、忠正は挑発的な言葉を吐き、迷う清盛を本気にさせようとしているようにも見える。
清盛もそのことがわかっているから、つらい。
★義朝(玉木宏)と為義(小日向文世)
このふたりもついに剣を交えてしまった。為義の剣を受け止めるのは<友切>。何という皮肉。
そう言えば、清盛の剣も父・忠盛譲りの宋の剣だった。
★信西(阿部サダヲ)と頼長(山本耕史)
『孫子』の解釈が違っていて、戦いの明暗を分ける。
もし崇徳上皇側も夜討ち出ていて、市街戦になっていたら戦いは一進一退で長引き、援軍や寝返る者が出てきたりして、戦いはどうなっていたかわからない。
★圧倒的な強さの鎮西八郎・為朝(橋本さとし)
こいつ、強すぎる。
集団戦でないこの時代は、ひとりの豪傑の力が戦況に影響するんですね。
★鎌田通清(金田明夫)と鎌田正清(趙和)
父子の物語。
主従関係か父子関係かで迷い、葛藤する通清の気持ちが泣ける。
★兎丸(加藤浩次)と鬼若(青木崇高)
出番は少ないが、門を破り、為義を助け、おいしい役まわり。
兄弟対決もある。
★清盛と頼盛(西島隆弘)
★義朝と頼賢(永岡佑)
女の戦いもある。
★由良御前(田中麗奈)常盤御前(武井咲)
由良が義朝も武運を祈るのに対し、常磐は無事を祈る。
こんなに多元的に、様々な感情が交錯する形で、いくさのシーンが描かれたのは、実にめずらしい。
過去の大河ドラマでは、<家康と三成>とか、<真田幸村と徳川秀忠>とかシンプルなものが多かった。
そこで描かれていた感情や葛藤も、<権力の奪回のために敵を倒す>という単純なもの。
これでは大味で、コクも苦みもあったものではない。
後白河天皇の次のひと言も興味深い。
義朝に昇殿を許すように乞われて、ひと言「面白い」。
そして昇殿を許し、軍議に参加させる。
この人の判断基準は<面白いか面白くないか>なんですね。
何という無頼の天皇なのだろう。
忠盛と対峙した清盛は、ふたたび迷いが生じて、後半は存在感が薄れてしまった。
しかし、主人公として決める所は決めている。
信西に源氏と比較されて<都武士>とバカにされた時は
「われら平氏は都武士なれど、強者ぞろい。働きを見ていただきたい」
いくさの前、配下の武将たちには
「武士にとって千載一遇の好機! 存分に戦え!」
忠正と剣を交えながら
「勝ってみせまする、このいくさにも、もののけの血にも! わしは平清盛ぞ!」
頼長(山本耕史)は哀しくおかしい。
為義には「いくさをわからない者は黙っていろ」と言われ、崇徳上皇には「そなたを信じた朕が愚かであった」と言われてしまう。
そしてオウムにも皮肉。
「頼長様の才は比類なきもの」
もちろんオウムに悪意はないのだが、こう言われて頼長は何を思ったのだろう。
逆にここまで貶められると、共感してしまう。
いつもありがとうございます。
>武士の発言力が増すのを恐れたんでしょうね。
なるほど、頼長らしい深謀遠慮ですね。
しかし、それが徒になってしまった。
それは武士の力を軽んじた、自分への過信が生んだことでもあるわけで、このようなことで運命は分かれるんですね。
後白河天皇は傀儡だったんですか。
ということは、この作品の後白河天皇像はかなりの独創ですね。
ロギーさんが書いていらっしゃった<義朝の恩賞が破格なものだったこと>といい、現実は案外、味気ないものなんですね。
少しもドラマチックじゃない。
忠正が頼長に味方したことだって、史実は、もともと頼長に仕えていたかららしいですし。
史実とドラマの関係というのは、大河ドラマの永遠のテーマですね。
頼長が夜襲を反対したのは皇位を賭けた戦にそぐわないといった以外にも、ここで武士の意見を取り入れて、勝ったら武士の発言力が増すのを恐れたんでしょうね。
その為にも、武士は手足に留めなければ成らなかったんだと思います。
逆に信西は武士の実力を見抜き、意見を取り入れて巧みに懐柔したんでしょうね。
義朝が戦後に貰う官位の左馬頭は院の有力な近臣にしかもらえない地位で最近受領になったばかりの義朝には非常に破格です。
最も清盛は播磨守になりますが、これは受領で一番豊かなところで、この地位に付けば公卿は目と鼻の先で、信西が清盛を優遇してますね。
後白河はドラマでは義朝の昇殿を許したり、
清盛に偉そうな事を言ったり、武士達に演説を堂々としたり、帝王らしさをアピールしてますが、実際の彼は中継ぎで信西の傀儡だったんですよ。鳥羽院は自分の後継者は孫の守仁王にすえようとしたんですよ。
でも、それだと、実父の後白河を押しのけますから、中継ぎとして後白河がたてられました。
次回、清盛と義朝には悲劇が起きますが、これは避けられないでしょうね。
いつもありがとうございます。
>「戦闘」よりは「試合」と言うのが相応しいような大将同士の紳士的な-忠正の矢が尽きたら清盛も弓矢を投げ捨てる-打ち合いを、両軍の部下たちは何もせずに観戦しているだけ。
当時の合戦は互いに名乗りあっての悠長なものだったとしても、集団戦の要素は全くなかったのでしょうか。
に関しては、僕は、製作側は<ドラマ>を優先したのだと理解しました。
戦場のリアリティより、描きたかったのは、あくまで清盛と忠正のドラマ。
まあ、視聴者にリアリティがないと感じさせてしまった段階で、作品としては失敗で、脚本または演出に問題があるのですが。
>清盛軍は時間を空費して夜討ちの意義を無にしているように見えます。
に関しては、記事にも書きましたが、清盛側が市街戦でなく、白河院・北殿を攻め込むという有利な状況に持っていけたことで、夜討ちの意義があったのかな、と理解しました。
ただし、この作品に好意的な私でも、不満な部分もあります。
それは、軍議で義朝の意見が採用された時、清盛が黙して何も語らなかったこと。
あの描き方だと、清盛に何か思慮があって黙っていたのか、義朝の迫力に圧倒されて何も言えなかったのかが、はっきりしません。
主人公であれば、思慮があって黙っていたと思いたいですが、視聴者に後者の方にとられてしまう可能性もある。
これは主人公としてはマイナスですよね。
そして、毎回書いてしまう感想ですが、大河ドラマで、45分というフォーマットはやめた方がいいですよね。
45分だとどうしても言葉足らずになってしまう。
民放の1時間ドラマ並みに、あと10分あれば、だいぶ違ってくると思います。
>「殿もお人が悪い。あれでは少しばかり下野守-安芸守ではない!-が気の毒にござります」
に関しては、ご指摘のとおり、平治の乱への伏線ですよね。
義朝に対する恩賞の不満が、平治の乱に繋がる。
この辺はどう描かれるのか楽しみです。
しかしながら気になるのは
>清盛は、後半は存在感が薄れてしまった。
私は清盛vs忠正の闘いの描き方に疑問を感じました。
「戦闘」よりは「試合」と言うのが相応しいような大将同士の紳士的な-忠正の矢が尽きたら清盛も弓矢を投げ捨てる-打ち合いを、両軍の部下たちは何もせずに観戦しているだけ。
当時の合戦は互いに名乗りあっての悠長なものだったとしても、集団戦の要素は全くなかったのでしょうか。
直前には共に孫子の兵法に基づきながら、武士側の進言を入れた信西vs却下した頼長という学者参謀の対比が描かれていたのですが、清盛軍は時間を空費して夜討ちの意義を無にしているように見えます。
別働隊では伊藤忠直が為朝に射殺されただけ。
画面を見る限りでは後白河軍最大の兵力を擁する清盛軍は殆ど-丸太で門を打ち破った兎丸以外は-何の働きもしていない印象しか受けません。
その点、義朝軍の方がはるかに自然で、頼賢との遭遇戦も部下を交えた全面戦闘だし、為義も戦闘中に義朝の前に現れて剣を交えています。
さらには焼き討ちを敢行して勝負を決めたのも義朝軍。
次のステージ「平治の乱」に向けて義朝の存在感を大きくしておこう、ということなのかもしれません。
しかしながら、何度も書いている通り、これまで清盛には未だ「成功」とか「功績」とかのエピソードはないままなのです。
ことによると作家としては清盛を「英雄」としては描かずに「苦悩」だけを描くつもりなのかもしれません。
しかし、最晩年に若干の曇りはあるものの、存命中は栄華を極めてゆく清盛の描写としてはちょっと違和感があります。
*追記
しかしながら意味深長に思えたのは信西が清盛の前で義朝を持ち上げたのを見ていた信西の家臣の
「殿もお人が悪い。あれでは少しばかり下野守-安芸守ではない!-が気の毒にござります」
という台詞。
この伏線の意味するところは今後の楽しみです。