「この世の怒りと呪いを抱えて私は地獄へ行きます。
私の名が汚れる分だけ北条の泰時の名が輝く」
頼朝(大泉洋)亡き後の義時(小栗旬)の思いはこれだった。
すべては強固な板東武者の世をつくるため。
そのために非道なことに手を染め、血を流して来た。
汚れるのは自分だけで十分。
泰時(坂口健太郎)には自分と同じような政治をさせたくなかった。
他にもやり方があったかもしれないが、不器用な義時には血を流す方法しかなかった。
そんな義時を理解している政子(小池栄子)。
頼家(金子大地)が殺害されたことを知っても許した。
生きて、なお帝殺害という罪を重ねようとする弟を見かねて
政子は解毒剤を与えなかった。
それでも生きようとして床の解毒剤を啜ろうとする義時。
うめき声をあげて床を這う。
もうこれで十分だ、これ以上罪を重ねなくていいという思いで床の解毒剤を拭う政子。
それでも啜ろうとする義時。
そして力尽きて「姉上……」
この「姉上……」は政子への恨みや怒りの「姉上……」ではない。
弟が姉に甘えるような感じ。
義時は昔の小四郎に戻った。
そんな義時に政子は「ご苦労様でした。小四郎……」
本当に「ご苦労様でした」の生涯だった。
その姿は運慶(相島一之)が彫った仏像のように「化け物」になってしまったが……。
人は罪を重ねれば、こうした醜悪な姿になってしまうのである。
だが、そんな義時には政子という理解者がいた。
泰時という希望も残すことができた。
泰時は言う。
「新しい世を作るのは私です」
これに対して義時。
「きれいごとでは世は治まらぬというのに。いちいち腹の立つ息子だ」
以前も書いたが、歴史にはブルドーザーのように荒々しく道を切り拓く者がいて、その後に整地する者が現われる。
司馬遼太郎の言葉だ。
そして今作の場合、ブルドーザーが義時であり、整地する者が泰時である。
泰時は武家のルール『御成敗式目』を作成した。
希望はトウ(山本千尋)も。
トウはいくさで親を亡くした子供たちに武術を教えることに。
もはやトウがその手を血で染めることはない。
平盛綱・鶴丸(きづき)は生きていた。
自分は何かに守られていると言っていたが、それは八重(新垣結衣)?
三浦義村(山本耕史)とはこんなやりとり。
「おなごは皆、キノコを好むと言ったのは嘘だ」
「早く言ってほしかった~」
りく(宮沢りえ)は時政(板東彌十郎)がサツキ(磯山さやか)の世話を受けて亡くなったと知って、「あの人はおなごにもてるのです」と呆れながら涙。
実はなかなかいい夫婦だった。
いい夫婦と言えば、泰時と初(福地桃子)も。
初にとって『真面目』は『偉い』の意味らしい。
彼らは良い顔になりましたね。
トウや義村は憑き物が落ちたよう。
義時も死によって解放された。
義時は「報いを受けて地獄へ行く」と言ったが、おそらく義時が行ったのは穏やかな世界だろう。
私の名が汚れる分だけ北条の泰時の名が輝く」
頼朝(大泉洋)亡き後の義時(小栗旬)の思いはこれだった。
すべては強固な板東武者の世をつくるため。
そのために非道なことに手を染め、血を流して来た。
汚れるのは自分だけで十分。
泰時(坂口健太郎)には自分と同じような政治をさせたくなかった。
他にもやり方があったかもしれないが、不器用な義時には血を流す方法しかなかった。
そんな義時を理解している政子(小池栄子)。
頼家(金子大地)が殺害されたことを知っても許した。
生きて、なお帝殺害という罪を重ねようとする弟を見かねて
政子は解毒剤を与えなかった。
それでも生きようとして床の解毒剤を啜ろうとする義時。
うめき声をあげて床を這う。
もうこれで十分だ、これ以上罪を重ねなくていいという思いで床の解毒剤を拭う政子。
それでも啜ろうとする義時。
そして力尽きて「姉上……」
この「姉上……」は政子への恨みや怒りの「姉上……」ではない。
弟が姉に甘えるような感じ。
義時は昔の小四郎に戻った。
そんな義時に政子は「ご苦労様でした。小四郎……」
本当に「ご苦労様でした」の生涯だった。
その姿は運慶(相島一之)が彫った仏像のように「化け物」になってしまったが……。
人は罪を重ねれば、こうした醜悪な姿になってしまうのである。
だが、そんな義時には政子という理解者がいた。
泰時という希望も残すことができた。
泰時は言う。
「新しい世を作るのは私です」
これに対して義時。
「きれいごとでは世は治まらぬというのに。いちいち腹の立つ息子だ」
以前も書いたが、歴史にはブルドーザーのように荒々しく道を切り拓く者がいて、その後に整地する者が現われる。
司馬遼太郎の言葉だ。
そして今作の場合、ブルドーザーが義時であり、整地する者が泰時である。
泰時は武家のルール『御成敗式目』を作成した。
希望はトウ(山本千尋)も。
トウはいくさで親を亡くした子供たちに武術を教えることに。
もはやトウがその手を血で染めることはない。
平盛綱・鶴丸(きづき)は生きていた。
自分は何かに守られていると言っていたが、それは八重(新垣結衣)?
三浦義村(山本耕史)とはこんなやりとり。
「おなごは皆、キノコを好むと言ったのは嘘だ」
「早く言ってほしかった~」
りく(宮沢りえ)は時政(板東彌十郎)がサツキ(磯山さやか)の世話を受けて亡くなったと知って、「あの人はおなごにもてるのです」と呆れながら涙。
実はなかなかいい夫婦だった。
いい夫婦と言えば、泰時と初(福地桃子)も。
初にとって『真面目』は『偉い』の意味らしい。
彼らは良い顔になりましたね。
トウや義村は憑き物が落ちたよう。
義時も死によって解放された。
義時は「報いを受けて地獄へ行く」と言ったが、おそらく義時が行ったのは穏やかな世界だろう。
>政子が産んだ子供すべてを亡くしたことに想いが行ってしまったかもしれません。
そうなんですよね。
誰に感情移入するかで作品は変って来るんですよね。
僕は義時に感情移入していました。
そして、それがドラマなどのフィクションのいい所。
作品を通して視聴者や読者がそれぞれに楽しんだり、いろいろなことを考えたりすればいいんですよね。
フィクションは自由です!
こちらこそ、楽しませていただきました。
訳の分らないことを言い募ったときも
老婆目線と許していただき、ありがとうございました。
>「作品に一般的な道徳を持ち込むのは否定する派」
そうですよね。
ドラマですから、何でも有りですよね。
昔、一連のコロンボ作品を見ながら、気持ちが犯人の立場になってしまい
粘着質に纏わり付くコロンボ刑事を鬱陶しいと思うことが、たびたび有りました。
今回は、政子が産んだ子供すべてを亡くしたことに想いが行ってしまったかもしれません。
「どうする家康」は
主演と築山殿を演じる2人が超が付くほど苦手なのです。
役者に好き嫌いがあると、損をしますよね。(笑)
いつもありがとうございます。
TEPOさんの所でも書きましたが、megumiさんの解釈の理解が間違っていたら、すみません。
>義時の息の根を止める行為は立派な殺人です。
>美談にしてはいけないと思います。
僕は「作品に一般的な道徳を持ち込むのは否定する派」なのですんなり受け入れましたが、振り返ると、義時がすすろうとした床の出毒剤を政子が拭ったのには驚きました。
ここで自分のしてしまったことにおののき、義時にすすらせるが、間に合わず死んでしまった、という形もあったと思いますが、あそこで拭ったのは政子の強い意思のあらわれなんでしょうね。
その後の「ご苦労様」のせりふもすすり泣きも活きてきますし。
この点、僕は政子に完全にシンクロしていなかったと思います。
>強請や脅しに屈すれば、際限が無い
これは人間社会の真実ですよね。
ひとつ要求を飲めば、もっともっとと要求して来る。
堤防に開いた穴は放っておくと大きくなり、堤防はやがて決壊する。
義時のやって来たことはまさに堤防の穴をふさぐ行為だったわけですが、こうしなければ生きていけない人の世は厄介ですね。
最後にmegumiさん、たくさんのコメントありがとうございました。
次回の『どうする家康』。
『リーガルハイ』の古沢良太さんの脚本ですので、僕は期待しています。
いつもありがとうございます。
三谷幸喜さんは「最後の政子の気持ちは自分でもわからない」と発言したようですね。
判断は視聴者に委ねられたようです。
僕は「愛情ある慈悲殺」説
TEPOさんは「愛情ある慈悲殺」説+若干の「愛憎入り交じった思い」
megumiさんは「慈悲心も否定はしませんが」、動機として「愛憎の方が強い」?
megumiさん、間違って理解していたらすみません。
僕が「愛情ある慈悲殺」説にこだわるのは、政子にまで憎まれて死んでしまったら義時が浮かばれないだろうな、と思うからです。
まあ、地獄に行くことを覚悟していた義時ですから、政子の憎しみもやむなしと思って死んでいったのかもしれませんが。
あとは暗転した後の政子のすすり泣き。
憎しみだと、すすり泣きの意味がなくなってしまう。
これを考える上で、一番のポイントは政子の「ご苦労様でした。小四郎……」のせりふの言い方。
僕には「慈悲」しか感じられませんでした。
怖く表現することはできますが、小池栄子さんはそれをしなかった。
トウはよかったですね。
人は憎しみや怒りの中では解放されない。
指摘されていた殺気もいずれ消えることでしょう。
平盛綱・鶴丸にもスポットが当ったのもよかった。
時房も毒を飲んでうがい。相変わらずのコメディリリーフ。
りくも最後に魅せました。
のえも悪女っぷりが披露されて、演じた菊地凛子さんとしては楽しかったでしょうね。
主役以外にも見せ場をつくる三谷幸喜さんの姿勢好きです。
最後にTEPOさん、一年間ありがとうございました。
承久の乱は、決着を知っているためか
視聴者の関心は「誰が義時を殺すのか?」に集まっていました。
マスコミも役者も煽るような記事や発言をしてしていましたから。
結局のところ
伊賀の方(のえ)の毒殺説、政子説、脚気衝心説などの諸説を
上手く取り入れた形に纏めましたね。
(そこに義村が1枚噛んでいるのは意外でした)
政子が捨てた薬は、狭心症(不安定型)のニトロのように見えました。
義時は、心臓を患っていたかのような死に様でしたね。
政子は、頼家の死の真相を知らされた時に、殺意が生れたと思います。
母親ですよ、「あ、そう」で済むわけは無いです。
弟・小四郎に修羅の道を、これ以上歩ませたくないという慈悲心も否定はしませんが
間接的とは言え、実朝も義時が見殺しにしたと察しはついていたでしょう。
実家・北条のために、我が子2人が殺されたのです。
あれほど「生に執着」して、零れた薬まで舐めようとする義時の息の根を止める行為は立派な殺人です。
美談にしてはいけないと思います。
前回の彼女の演説は、義時を救いたい思いの裏に
西の言いなりになってはいけない、鎌倉を守り抜きたいという意思が有りました。
上皇との関係は義時の首を差し出しても解決しない。
強請や脅しに屈すれば、際限が無いと考えました。
(サスペンスものでは、強請る人は必ず報いを受けますから)
コウジさんが一貫して、またmegumiさんが一時予想されていた線の複合で、私が予想したような大きな「捻り」はありませんでした。
しかしながら、義時が三人の「犯人」それぞれと対話してゆく中で「真実」が露わになってゆくという形で、ストーリー展開は極めて緻密に構築されていました。
ただし、その「真実」には深さの差がありましたが。
公式HPに紹介されていた俳優さんたちのインタビュー動画には目を通しました。
義時(小栗旬さん)、政子(小池栄子さん)、義村(山本耕史さん)のように、本作の最初から登場していた人物の場合、俳優さんの内部にいわばキャラの人格が形成されていて、そのキャラが語らせるままに語り、また演じるような具合だったようです。
のえの「真実」は、「自分の方を見てくれなかった」ことへの恨み言と共に、毒を盛ったことを認め、ついでに義村が共犯であることを告知して去って行っただけ。
のえは「悪女」としても「品がない」可哀想なキャラでしたが、義時の三番目の妻として遅い時期に登場してきただけに、キャラとしての「厚み」という点で政子や義村とは比較にならず、その「真実」も深みに欠けるのは致し方のないところ。
義村の場合、義時には「小四郎と平六」以来の絆がありました。
「お前は今、一度死んだ」
だから、義村が毒入りと思い込んでいた酒を飲み干した時点で、改めて彼に信頼を示すことができました。
「キノコ」の話はここまで来てもの滑稽ネタですが、のえは「キノコ好き」を装っていましたね。
>SP座談会でも、小池栄子さんが最も反応していましたし・・・(第45話megumiさん)
ご自身内部の「キャラ・政子」の思いが、座談会時点でも小池さんの心の中で整理され切れていなかったのかもしれません。
とにかく、最終的に義時を死にいたらしめたのは政子だったのですから。
たしかに、コウジさんが書いておられるように、それは「愛情に満ちた」殺害だったとは思います。
もっともこの点、解釈に幅を持たせる可能性を残した描き方でした。
>頼家が殺害されたことを知っても許した
とコウジさんは解釈されていますが、この直前まで頼家殺害の真相は政子に隠されていたことを重視して、政子の心に中に復讐心を読み込む―その場合、政子は「愛憎入り交じった思いだった」ということになる―解釈もあり得るかもしれません。
私自身はコウジさんの「愛情ある慈悲殺」説に賛成ですが。
他のキャラたちについては、コウジさんが枚挙していらっしゃるとおり、基本的にハッピーエンドでした―上皇方を除いては。
特に印象的だったのはトウです。
これまでいつも厳しい表情でいた彼女が、子どもたちに武術を指導する中で初めて「笑顔」を見せていました。
山本千尋さんのインタビュー動画によれば、「刺客」という役柄上、トウが幸せになれるとは思っていなかったそうで、希望のある最終回を喜んでいました。
おそらく、「父母の仇」でありながら「恩人」でもあった善児を討った時点で、トウは「昇華」されていたということなのでしょうか。