「光る君へ」第29回を見ていたら、まひろが娘・賢子にこんな読み聞かせをしていた。
「王戎簡要。裴楷清通。孔明臥龍。呂望非熊……」
これを『蒙求(もうぎゅう)』と言うらしい。
ウィキペディアに拠れば、
『蒙求は、伝統的な中国の初学者向け教科書である。
古人の逸話を集めて韻文で並べた故事集。
日本でも平安時代以来長きにわたり読まれた。
現在でも広く知られる「蛍雪の功」や「漱石枕流」などの故事は
蒙求によって学ばれることが多い』
なるほど、こうやって歴史と人物を学んでいくのか。
「王戎簡要」→王戎は物事の本質をよくつかむ人。
「裴楷清通」→裴楷は清々しく物事に精通している人。
これでワンセットになっている。
王戎も裴楷も「部下にするのにふさわしい人物像」というわけだ。
「孔明臥龍」「呂望非熊」
これらは日本人にも馴染みのある人物だ。
孔明は「三国志」の諸葛孔明。
呂望は太公望。
これの意味する所は──
「孔明臥龍」→孔明は雌伏している龍である。
「呂望非熊」→あなたがこれから会う人物(呂望)は熊ではないが、優れた人物である。
「蒙求」ではこのような形で、百人以上の人物が紹介されている。
………………………………………………
やっぱり漢文はいいな。
音読して実に心地いい。
硬質で完結で背筋がピンと伸びる。
ひらがなの和文だと、やわらかくてヘナヘナする←個人的感想。
『声に出して読みたい日本語』などの著者・明治大学の齋藤孝さんは、
日本の教育から「朗読」「暗記」がなくなったことのマイナスを主張しているが、確かに。
「音読して暗記して言葉を体の中に叩き込む」
これって大切なことだと思う。
叩き込まれた言葉は自分の芯になる。
折にふれて漢詩や詩をそらんじるのは風趣である。
※追記
「蒙求」の四文字は人物紹介の入口だ。
この後に詳細な人物紹介が続く仕掛けになっている。
たとえば「呂望非熊」の太公望の場合は──
『六韜曰。
文王将㆑田。
史編布㆑卜曰。
田㆓於渭陽㆒。將㆓大得㆒焉。
非㆑龍非㆑彲。非㆑虎非㆑羆。兆得㆓公侯㆒。
天遺㆓汝師㆒。以㆑之佐㆑昌。施及㆓三王㆒』
まだ紹介文は続くが、ここでカットして和訳すると──
『六韜にいう。
文王が狩猟に出かけようとした。
史編が占って言った。
渭陽(いよう)の地に狩をすれば、大いに得るものがありましょう。
それは龍でも彲(みずち)でもなく、虎でも羆でもなく、占いには公侯たるに相応しい人物を得るとあります。
天があなたに師たる人物をおくり、これを以てあなたを補佐し、その恩恵は三代に及ぶでしょう、と』
まず四文字で覚えさせて、後に詳細な人物像を紹介する。
すぐれた教育システムだと思う。
「王戎簡要。裴楷清通。孔明臥龍。呂望非熊……」
これを『蒙求(もうぎゅう)』と言うらしい。
ウィキペディアに拠れば、
『蒙求は、伝統的な中国の初学者向け教科書である。
古人の逸話を集めて韻文で並べた故事集。
日本でも平安時代以来長きにわたり読まれた。
現在でも広く知られる「蛍雪の功」や「漱石枕流」などの故事は
蒙求によって学ばれることが多い』
なるほど、こうやって歴史と人物を学んでいくのか。
「王戎簡要」→王戎は物事の本質をよくつかむ人。
「裴楷清通」→裴楷は清々しく物事に精通している人。
これでワンセットになっている。
王戎も裴楷も「部下にするのにふさわしい人物像」というわけだ。
「孔明臥龍」「呂望非熊」
これらは日本人にも馴染みのある人物だ。
孔明は「三国志」の諸葛孔明。
呂望は太公望。
これの意味する所は──
「孔明臥龍」→孔明は雌伏している龍である。
「呂望非熊」→あなたがこれから会う人物(呂望)は熊ではないが、優れた人物である。
「蒙求」ではこのような形で、百人以上の人物が紹介されている。
………………………………………………
やっぱり漢文はいいな。
音読して実に心地いい。
硬質で完結で背筋がピンと伸びる。
ひらがなの和文だと、やわらかくてヘナヘナする←個人的感想。
『声に出して読みたい日本語』などの著者・明治大学の齋藤孝さんは、
日本の教育から「朗読」「暗記」がなくなったことのマイナスを主張しているが、確かに。
「音読して暗記して言葉を体の中に叩き込む」
これって大切なことだと思う。
叩き込まれた言葉は自分の芯になる。
折にふれて漢詩や詩をそらんじるのは風趣である。
※追記
「蒙求」の四文字は人物紹介の入口だ。
この後に詳細な人物紹介が続く仕掛けになっている。
たとえば「呂望非熊」の太公望の場合は──
『六韜曰。
文王将㆑田。
史編布㆑卜曰。
田㆓於渭陽㆒。將㆓大得㆒焉。
非㆑龍非㆑彲。非㆑虎非㆑羆。兆得㆓公侯㆒。
天遺㆓汝師㆒。以㆑之佐㆑昌。施及㆓三王㆒』
まだ紹介文は続くが、ここでカットして和訳すると──
『六韜にいう。
文王が狩猟に出かけようとした。
史編が占って言った。
渭陽(いよう)の地に狩をすれば、大いに得るものがありましょう。
それは龍でも彲(みずち)でもなく、虎でも羆でもなく、占いには公侯たるに相応しい人物を得るとあります。
天があなたに師たる人物をおくり、これを以てあなたを補佐し、その恩恵は三代に及ぶでしょう、と』
まず四文字で覚えさせて、後に詳細な人物像を紹介する。
すぐれた教育システムだと思う。
いつもありがとうございます。
蒙求、学習の窓口として素晴しいですよね。
たとえば「孔明臥龍」。
子供は孔明とはどういう人なんだろう? と調べ始める。
あるいは「三国志」を知っている人なら「孔明臥龍」という四文字を見て、赤壁の戦いを思い浮かべるかもしれません。
漢文の優れている所はここなんですよね。
「孔明臥龍」という四文字を見ただけで、いろいろなイメージが湧いてくる。
…………………………………………
百田尚樹氏は……。
嫌中もここまで来ると害悪ですよね。
日本人を深い思考のできない馬鹿にしてしまいます。
「馬鹿」という言葉を見て、馬と鹿のエピソードを思い浮かべる所がすごいのに。
>誰も古文書を読めなくなって、歴史が分からなくなって大困りになっている
漢文で書かれている「古事記」や「日本書紀」なんかますます読めなくなりますよね。
あるいは平安時代もそうですが、明治の公文書もすべて漢文。
これで「保守」を名乗っているのですから困ってしまいます……。
蒙求は、実はわたしも名前は聞いたことがある程度、ノーマークに近い状態でして、今回の光る君でフムフムなるほどと詳しく知った次第です。
でも、日本ならではの状況も分かるような気がします。今の日本には「子ども向けの漢文」というジャンルがないですし、高校の漢文の授業でも、あの4文字だけでは授業として成り立ちません。しかも歴史順にそろっているわけでもなくバラバラです。すると中国史も関連してやらなくてはならず、面倒なのでますますやらない(笑)、ということなのは、すぐに分かりました。
アレだけではやりにくい、ということは、オトナ向けとしても同じことで、日本ではなかなか蒙求だけを取り上げることはない、ということなんでしょう。
ところで、以前コメントしたかもしれませんが、作家で政治家のHゃく田さんは、漢文は日本人の精神には合わないので子どもに勉強させるべきではない、中国に毒されるとおっしゃっていました。
ただ、英語も、ラテン語系の単語(古代ローマの言葉)が大量に混じっているわけで、だからといって「昔のローマ由来の言葉が英語に混じることで、英国の誇りと文化が損なわれている」と声高に叫ぶ愛国者がいるなんて聞いたことはありません。
一方で、韓国では戦後になって漢字を廃止して、誰も古文書を読めなくなって、歴史が分からなくなって大困りになっているわけです。そういったもろもろを踏まえて冷静に判断したいもんですね。