覚慶(滝藤賢一)は将軍の器なのか?
「わしは死にとうない。いくさは嫌いじゃ」
およそ武士らしくない言葉だ。
武士の頭領が口にしてはいけない言葉だ。
なぜなら武士は、命を捨てることを怖れず、いくさをする存在だからだ。
では光秀(長谷川博己)はどう思ったか?
以前、「いくさは嫌いです」と言っていたし、共感するものがあったのではないか?
「死にたくない」「いくさは嫌い」
こういう人は無闇にいくさをしないし、人の命を大事にする。
光秀と相通じるものがあったのではないか?
では、なぜ光秀は朝倉義景(ユースケ・サンタマリア)に「(覚慶は)将軍の器ではない」と答えたのだろう?
義景ではダメだ、と考えたからではないか?
自分の国が大事で、内向きの義景に庇護されても、庇護されるだけでそれ以上は何も生まない。
光秀の頭の中には、義景でなく、現在、勢いのある信長(染谷将太)があったのではないか?
この答え合わせは次週。
………………
覚慶の件といい、今回は武士を否定した回だった。
伊呂波太夫(尾野真千子)は関白に「次の将軍は誰がいいか?」と問われて、
「誰が将軍でもいいじゃないか。あたしたちには関係ない」
「(将軍の跡目争いで)いくさが起こり、共倒れで武士などいなくなってしまえばいい」
これは当時の庶民の誰もが思ってたことじゃないのかな?
武士が権力争い、覇権争いで勝手にいくさをして、自分たちはその被害に遭っている。
武士さえいなくなれば、いくさはなくなる。
武士になんか何も期待しない。自分たちの命と生活は自分で守る。
そんなクールでシラケた感じ。
これは現代にも言えて、
自民党総裁選で何か盛り上がってるみたいだけど、総理が、菅・岸田・石破の誰がなってもそんなに変わらない。
野党がなっても変わらない。
政治や政治家には何も期待しない。
政治家は勝手に権力闘争をやってろ。ただし、こちらに迷惑をかけるなよ。
みたいな感じ。
大河ドラマなのに「武士を否定する」せりふが出て来たこの作品、なかなかすごい。
この時代、庶民にしてみれば、武士は迷惑なだけの存在だったんでしょうね。
光秀はそんな武士の現実を見て、何とか将軍の権威を取り戻し、「麒麟がくる」国をつくろうとしている。
武士という存在を光秀はまだ信じている。
「わしは死にとうない。いくさは嫌いじゃ」
およそ武士らしくない言葉だ。
武士の頭領が口にしてはいけない言葉だ。
なぜなら武士は、命を捨てることを怖れず、いくさをする存在だからだ。
では光秀(長谷川博己)はどう思ったか?
以前、「いくさは嫌いです」と言っていたし、共感するものがあったのではないか?
「死にたくない」「いくさは嫌い」
こういう人は無闇にいくさをしないし、人の命を大事にする。
光秀と相通じるものがあったのではないか?
では、なぜ光秀は朝倉義景(ユースケ・サンタマリア)に「(覚慶は)将軍の器ではない」と答えたのだろう?
義景ではダメだ、と考えたからではないか?
自分の国が大事で、内向きの義景に庇護されても、庇護されるだけでそれ以上は何も生まない。
光秀の頭の中には、義景でなく、現在、勢いのある信長(染谷将太)があったのではないか?
この答え合わせは次週。
………………
覚慶の件といい、今回は武士を否定した回だった。
伊呂波太夫(尾野真千子)は関白に「次の将軍は誰がいいか?」と問われて、
「誰が将軍でもいいじゃないか。あたしたちには関係ない」
「(将軍の跡目争いで)いくさが起こり、共倒れで武士などいなくなってしまえばいい」
これは当時の庶民の誰もが思ってたことじゃないのかな?
武士が権力争い、覇権争いで勝手にいくさをして、自分たちはその被害に遭っている。
武士さえいなくなれば、いくさはなくなる。
武士になんか何も期待しない。自分たちの命と生活は自分で守る。
そんなクールでシラケた感じ。
これは現代にも言えて、
自民党総裁選で何か盛り上がってるみたいだけど、総理が、菅・岸田・石破の誰がなってもそんなに変わらない。
野党がなっても変わらない。
政治や政治家には何も期待しない。
政治家は勝手に権力闘争をやってろ。ただし、こちらに迷惑をかけるなよ。
みたいな感じ。
大河ドラマなのに「武士を否定する」せりふが出て来たこの作品、なかなかすごい。
この時代、庶民にしてみれば、武士は迷惑なだけの存在だったんでしょうね。
光秀はそんな武士の現実を見て、何とか将軍の権威を取り戻し、「麒麟がくる」国をつくろうとしている。
武士という存在を光秀はまだ信じている。
「ひょっとして『儂を撃て』とかやるんじゃないの?」
「まさか、そこまで……」
「あっ、本当にやるよ。」
久秀との盟友関係は、おそらく久秀の信長への反逆死まで続く本作の柱だとは思うのですが、それにしてもの「主役特権」。
しかも、久秀経由で朝倉義景から、覚慶の「将軍適性鑑定人」の依頼まで受けていました。
相変わらずの「ラッキーマン」街道ですが、「天地人」の直江兼続のような筋の通らない話ではないので、自然に楽しめます。
「落ち武者狩りによる最期」という通常知られている史実への予感がどうしても払拭できない人物である以上、このくらいの「楽しさ」がなければ見る気になれません。
>義景ではダメだ、と考えたからではないか?
なるほど、「鑑定依頼人」をさらに鑑定していた。
さらに上をゆく「主役特権」解釈です。
しかし、たしかに義景への仕官を望まなかった光秀の姿勢とは一貫していることになりますね。
伊呂波太夫と関白近衛前久との関係は面白い仕掛け。
関白に「上から目線」でものを言う関係とは言え、伊呂波太夫はあくまでも「庶民」。
庶民の代表が朝廷・公家の代表に立場(利害)の共通性を説いています。
公家対武士という図式は「平清盛」とある意味共通しているように思います。
本作は「武士の否定」という「平清盛」の真逆路線までゆくのでしょうか?
当面、伊呂波太夫は前久に代表される公家側と結びついていますが、今後の動きに注目したいところです。
いつもありがとうございます。
光秀を主人公にした以上、浪人中の現在が一番地味な時期なんですよね。
コロナの休止で、この時代を割愛することも出来たのですが、敢えてこの時代を念入りに描いてるのは作家のこだわりでしょうか。
あるいは、この時代は史実にないので、自由に創作できる。
創作としては、義輝、久秀、信長に自由にアクセスできるという設定をつくったこと。
こんなに簡単に会えるわけがないと思いつつ、見ています(笑)
伊呂波太夫・駒パートも作家のこだわりですよね。
敢えて、このパートやせりふを入れている理由は如何に?
従来の大河だと、光秀の家族パートを描くのが定番ですが、それを敢えてしていない。
今作は随所に作家のこだわりが見られますよね。
これがどう展開し、花開くのでしょう?