「わが墓前に頼朝が首を供えよ!」
これが清盛(松山ケンイチ)の最期の言葉。
この言葉の後にバタリと倒れ、絶命する。
何という最期だろう。
これまでの大河ドラマの主人公の最期って、枯れて眠るように死んでいくものが多かった。
自分の人生に満足し、穏やかに訪れる死。
ところが『清盛』が違う。
最後の最後まで権力に執着する。
心の中に激しい炎が燃えている。
前回までの、力尽きて人生から退場した清盛の描かれ方と矛盾している気もするが、そんな矛盾も力でねじ伏せてしまうような感じがこの最期にはあった。
作家は、きれいにまとめるよりも、最後の最後まで権力と勝ち続けることにこだわった清盛の<激しい業>を描きたかったに違いない。
<激しい業>こそが、平清盛であるからだ。
その<激しい業>は、死んでからも燃え尽きることがない。
霊として、西行(藤木直人)に取り憑き、平家一門に語りかけ、頼朝(岡田将生)と対峙する。
海の底の都にも行く。
清盛の<生のエネルギー>は凄まじく、おとなしく消滅することを許さないのだ。
坊主がお経をあげたぐらいでは決して浄化されないのだ。
平成の時代。
この閉塞の時代にあって、われわれは生きるパワーをなくしている。
諦め、そこそこでいいと考え、心の中の炎はチョロチョロとしか燃えていない。
そのことがいいか悪いかは別として、作家は現代人に清盛というとてつもない<生のエネルギー>もった人間をぶつけて挑発しているのかもしれない。
西行は清盛のことを「命尽きるまで存分に生きた人」と評したが、現代人にも「あなたは存分に生きているのか?」と問いかけているのかもしれない。
さて、清盛の人生の総括だが、
ひとつは<武士の世の礎>を作った人物として位置づけられる。
この清盛の志は、頼朝に受け継がれる。
清盛は「されば頼朝、まことの武士とはいかなるものか見せてみよ!」と迫り、頼朝は<武士の世>を作ってそれに応える。
見事な政権交代だ。
弟子は師を乗りこえていく。
そして、もうひとつの清盛の人生。
それは<平家一門>。
重盛、知盛、宗盛、頼盛、時忠、忠度、経盛、教盛、重衡、維盛、資盛。
盛国、忠清、貞能。
時子、徳子。
彼らは「一蓮托生」という言葉のもとに、繋がっている。
三種の神器の鏡を手土産に最後までしぶとく生きた時忠のような人物でさえも、「まあ、あいつなら仕方ないか」と許してしまえるような固い絆。
だからラスト、海の都で、清盛と一門が再会するシーンは感動的だ。
こうした一門を作れただけでも清盛の生涯には意味がある。
おそらく清盛と平家一門は海の都で楽しく宴をしたことであろう。
「時忠、おまえは本当にどうしようもないやつだな」
「これが私の生き方でございます」
みたいな会話をして笑いながら。
一蓮托生の平家の絆は強く楽しく、つねに笑いにあふれているのだ。
最後に、毎回熱演を見せて下さった松山ケンイチさんを始めとするキャストの皆様、大河史上最低の視聴率と非難されながらも自分を貫き通した脚本の藤本さん、スタッフの皆様、ありがとうございました。
本当に見事な大河ドラマでした。
※追記
清盛が作り上げた一蓮托生の平家一門。
一方、頼朝は一門を作ることには失敗したようだ。
義経を死に追いやった頼朝。これは清盛と頼盛の兄弟関係とは対照的だ。
その後の鎌倉幕府の権力抗争→鎌倉幕府の崩壊。
頼朝が清盛のような<一蓮托生の一門>を作れなかった背景には、血の繋がりがなかったこともあろうが、清盛から遠く離れて暮らしていたため、清盛の一門づくりを学べなかったこともあろう。
これが清盛(松山ケンイチ)の最期の言葉。
この言葉の後にバタリと倒れ、絶命する。
何という最期だろう。
これまでの大河ドラマの主人公の最期って、枯れて眠るように死んでいくものが多かった。
自分の人生に満足し、穏やかに訪れる死。
ところが『清盛』が違う。
最後の最後まで権力に執着する。
心の中に激しい炎が燃えている。
前回までの、力尽きて人生から退場した清盛の描かれ方と矛盾している気もするが、そんな矛盾も力でねじ伏せてしまうような感じがこの最期にはあった。
作家は、きれいにまとめるよりも、最後の最後まで権力と勝ち続けることにこだわった清盛の<激しい業>を描きたかったに違いない。
<激しい業>こそが、平清盛であるからだ。
その<激しい業>は、死んでからも燃え尽きることがない。
霊として、西行(藤木直人)に取り憑き、平家一門に語りかけ、頼朝(岡田将生)と対峙する。
海の底の都にも行く。
清盛の<生のエネルギー>は凄まじく、おとなしく消滅することを許さないのだ。
坊主がお経をあげたぐらいでは決して浄化されないのだ。
平成の時代。
この閉塞の時代にあって、われわれは生きるパワーをなくしている。
諦め、そこそこでいいと考え、心の中の炎はチョロチョロとしか燃えていない。
そのことがいいか悪いかは別として、作家は現代人に清盛というとてつもない<生のエネルギー>もった人間をぶつけて挑発しているのかもしれない。
西行は清盛のことを「命尽きるまで存分に生きた人」と評したが、現代人にも「あなたは存分に生きているのか?」と問いかけているのかもしれない。
さて、清盛の人生の総括だが、
ひとつは<武士の世の礎>を作った人物として位置づけられる。
この清盛の志は、頼朝に受け継がれる。
清盛は「されば頼朝、まことの武士とはいかなるものか見せてみよ!」と迫り、頼朝は<武士の世>を作ってそれに応える。
見事な政権交代だ。
弟子は師を乗りこえていく。
そして、もうひとつの清盛の人生。
それは<平家一門>。
重盛、知盛、宗盛、頼盛、時忠、忠度、経盛、教盛、重衡、維盛、資盛。
盛国、忠清、貞能。
時子、徳子。
彼らは「一蓮托生」という言葉のもとに、繋がっている。
三種の神器の鏡を手土産に最後までしぶとく生きた時忠のような人物でさえも、「まあ、あいつなら仕方ないか」と許してしまえるような固い絆。
だからラスト、海の都で、清盛と一門が再会するシーンは感動的だ。
こうした一門を作れただけでも清盛の生涯には意味がある。
おそらく清盛と平家一門は海の都で楽しく宴をしたことであろう。
「時忠、おまえは本当にどうしようもないやつだな」
「これが私の生き方でございます」
みたいな会話をして笑いながら。
一蓮托生の平家の絆は強く楽しく、つねに笑いにあふれているのだ。
最後に、毎回熱演を見せて下さった松山ケンイチさんを始めとするキャストの皆様、大河史上最低の視聴率と非難されながらも自分を貫き通した脚本の藤本さん、スタッフの皆様、ありがとうございました。
本当に見事な大河ドラマでした。
※追記
清盛が作り上げた一蓮托生の平家一門。
一方、頼朝は一門を作ることには失敗したようだ。
義経を死に追いやった頼朝。これは清盛と頼盛の兄弟関係とは対照的だ。
その後の鎌倉幕府の権力抗争→鎌倉幕府の崩壊。
頼朝が清盛のような<一蓮托生の一門>を作れなかった背景には、血の繋がりがなかったこともあろうが、清盛から遠く離れて暮らしていたため、清盛の一門づくりを学べなかったこともあろう。
><激しい業>こそが、平清盛であるからだ。その<激しい業>は、死んでからも燃え尽きることがない。
いかにもコウジさんらしい解釈だと思いました。
>霊として、西行(藤木直人)に取り憑き、平家一門に語りかけ、頼朝(岡田将生)と対峙する。
東奔西走大活躍の西行を「イタコ」扱いして揶揄する声もあるようですが、「非神話化」した解釈も一応成り立つように思います。
彼が研ぎ澄まされた感性と言語感覚をもつ超一流の歌人であることを忘れてはなりません。
西行が積年の親友の思いを「あたかも本人がそこにいるかのように」語り得たとしても不思議はありません。
しかし、やはり清盛の霊が実際にそこに現れたと解した方がハッピーエンドとして納得がゆきます。
>ラスト、海の都で、清盛と一門が再会するシーンは感動的だ。
私もまったくその通りだと思いました。
本最終回の基本は西行を介して清盛自身が一門の一人一人に愛情に満ちた言葉をかけ、「海の都」で清盛が彼ら愛する人々と再会するという大団円に尽きると思います。
海の都では重盛も笑顔-生前は殆ど見ることの無かった-で清盛を迎えていたのが印象的でした。
一門の人々の現世での最期は頼朝のナレーションで軽く流したのは予想通りで適切だったと思います。
本作は「源平合戦物語」<ではない>のですから。
てっきり義経の死後だと思っていた清盛の霊と頼朝との会談の時期は予想外でしたが良かったと思います。
<武士の世>に関して「清盛は先駆者で頼朝が完成者」ということだとやはり「頼朝こそが勝者だ」というイメージだけが残ります。
しかし、清盛が必要な義経追討を逡巡する頼朝の背中を押した形になり、<武士の世>の完成は清盛と頼朝との共同作業ということになります。
さらには、頼朝が自らの死後、足利幕府にまで言及するという「掟破り」のナレーションも同様の効果があったと思います。
まず、「日中貿易」という単なる武家政権成立を越えた清盛の構想が示唆されました。
そして頼朝自身の手になる鎌倉幕府が相対化され、先ははるか戦国から江戸幕府にまで連なる<武士の世>の連続性が暗示され、清盛がその端緒として印象づけられました。
追記
鎌倉で盛国の霊を弔っていた琵琶法師は「羅刹」という名の禿のリーダーでした。演じていたのはてっきり女優さんかと思いきや吉武怜朗さんという若い男優だそうです。
彼は時忠に盛られた毒で失明しながらも生きながらえ、大人になり、自分なりに物事の意味を見通すようになったのだろうか、などと想像をたくましくしました。
緻密に伏線を張り巡らす構成力と安易な美化・正当化を排するリアリズムなど、本作は玄人好みの名作として高く評価できることは改めて言うまでもありません。
特に思い起こしたいのは本作のすさまじい人物造形力です。
悪逆非道の白河院、心のない「生ける人形」待賢門院璋子、無頼帝・上皇後白河など、宮中では唖然とさせられるような人物が目白押しでした。
通常の舞台でならばかなりアクの強いキャラとなる筈の美福門院得子すらも、魑魅魍魎の跋扈するこの世界の中では翻弄されるばかりでした。
こうした宮中の物語を無用の脱線と見る向きもあるようですが、こうした魑魅魍魎を生む宮中・公家社会における「何か」こそが清盛が生涯かけて闘った相手だったと思います。
ですから本作において義朝や頼朝など源氏の人々には終始「盟友」としての側面があったわけですが、「源平合戦物語」の先入観で見るとその点が分かりづらかったかもしれません。
では宮中に魑魅魍魎を跋扈させた諸悪の根源とは何か。
人物としては「物の怪」白河院ですが、その白河院をして「物の怪」たらしめていたのは結局権力の頂を極めた者を包む「闇」でした。
実は清盛の敵(「物の怪の血」)は清盛自身の内にも潜んでおり、本作の終わり近くでは清盛がこれに呑まれかけていました。
清盛の夢枕に立った白河院の「そなたはその景色を知らない」という言葉は実は警告だったわけであり、実父としての愛情と言えなくもないと思います。
そして実際に闇に呑まれかけた清盛を救ったのが「宿敵にして盟友」である頼朝だったわけです。
>「わが墓前に頼朝が首を供えよ!」
この言葉、私は頼朝によって「武士の魂」を取り戻した清盛が「最後の最後まで<武士>として生きた」ことを示す言葉として理解しました。
50話中 49話は見ました。
(ほぼ完走できたかな?)
全体的にみて
非常に面白いところもあったのです。
ですが
主人公の若き日の未成熟と
双六 今様 が出てくるたびにゲンナリして
嵌りきれませんでした。
これは個人の好みなので ご容赦ください。
「平清盛」自体は
昨年の「江」に比べて 格段の出来だと思っています。
コウジさんは ドラマを肯定的に捉えられますね。
素晴らしいことだと思います。
私は 突っ込みどころに目がいくタイプのようで
あまり良い傾向ではありません。
それでも
気に入ったドラマには 甘い評価の時もありますよ。
来年は 西島秀俊さんが出るので楽しみです♪
面白く語り合えたら 良いですね。
コウジさんが肯定派で 私が否定派であったら
お邪魔しないようにしますね。
いつもありがとうございます。
西行の「非神話化」した解釈、いいですね。
彼は研ぎ澄まされた言葉の感性を持ち、友であり、清盛の生涯を外から見つめて来た西行だからこそ、ああいうふうに語り得ることが出来たのかもしれませんね。
僕もあの場に笑顔の重盛がいたのは、嬉しかったです。
なんといっても平家のために一番葛藤し、苦しんだ人物ですし。
兎丸が声だけで、あの場にいなかったのは残念ですが、演じていた加藤浩次さんのスケジュールが合わなかったからなどとも邪推してしまいます。
清盛が西行を通して一門に語りかけるシーンもよかったですね。
かけた言葉はすべて<肯定>の言葉。
死んで、清盛も少しは心が浄化されたのでしょう、かける言葉はすべて愛情に満ちており、どんなちっぽけなものであっても、それぞれの人生に意味があったと語っていました。
武家の世の構築ということでは、清盛の遺志は末代まで受け継がれているんですね。
肉体は滅びても、遺志は残る。
ちっぽけなものですが、僕がブログを書いているのも、遺志を残したいからかもしれません。
たくさんの人の遺志が大きな川となって歴史を形作る。
そんなことを考えます。
琵琶法師については、他の方のブログを見ると、過去のエピソードで登場した人物のようですね。覚えていないのですが、作家が彼に込めたものは何だったのだろうと考えてしまいます。
全体のことでは、確かに人物造型が見事でしたね。
TEPOさんが書かれたので思い出しましたが、心のない「生ける人形」待賢門院璋子。
すごい人物像でした。
物語の構造としては、おっしゃるとおり武家社会と貴族社会の対立と読むのが正解ですよね。
決して源氏との対決物語ではない。
後半の清盛と頼朝の対立は、貴族化した清盛とそれに異を唱えた頼朝という対立ですし、ご指摘のとおり、清盛を武士に戻したのは、頼朝の存在だった。
この点でも、作家の視点はブレていないんですよね。
>「わが墓前に頼朝が首を供えよ!」
この言葉、私は頼朝によって「武士の魂」を取り戻した清盛が「最後の最後まで<武士>として生きた」ことを示す言葉として理解しました。
おっしゃるとおりですね。
気がつきませんでした。
ぼくは<人間の業>みたいなことに囚われていて、すっかり見逃していました。
<武士>として死んでいった清盛。
作品中、白河院の<もののけの血>についての言及はありませんでしたが、清盛は完全に<もののけの血>は克服していたんですね。
最後に一年間お疲れ様でした。
来年は、綾瀬はるかさんが主役の物語ですし、明るく楽しいものになりそうですね。
暗い戊辰戦争も前向きなものになりそうです。
ほぼ完走おめでとうございます!
おっしゃるとおり、この作品、若き日の清盛に共感できるかで、その後が違って来ますよね。
血の問題とかは、現代人には馴染みのないものですし、汚い姿のリアリズムを拒否する人もいる。
<肯定><否定>ということでは、ぼくはある時期から否定的なことを書かないようにしたんです。
もちろん『清盛』にも、後白河法皇の人物像など物足りない部分がありますが、それよりはプラスなことを書こうと。
>コウジさんが肯定派で 私が否定派であったらお邪魔しないようにしますね。
いえいえ、否定的な意見も勉強になるので、ぜひお寄せ下さい。
共感しあえて嬉しく思います。
一点だけ補足します。
>作品中、白河院の<もののけの血>についての言及はありませんでしたが、清盛は完全に<もののけの血>は克服していたんですね。
私はこの件は前回の「双六終結宣言」で決着していると理解しています。
34話で熱病から生還した清盛は後白河院に「互いに生まれ出る前より続く長い長い」双六の勝負がまだ終わっていない、と告げています。
熱病の夢の中で清盛は、母・舞子と継父・忠盛-短い間であったが彼は確かに舞子の「夫」だったのであり後に宗子も舞子のことを「先の奥方」と呼んでいる-、そして実父・白河院とのすべての経緯を見ていました。
双六勝負の一方の対局者は舞子を妻に、清盛を我が子に迎えた忠盛、すなわち「武家社会」陣営であり、他方の対局者は白河院、すなわち「貴族社会」陣営というわけです。
清盛と後白河院とはこの「互いに生まれ出る前より続く」勝負を引き継いでいる、という訳です。
しかし前回清盛は後白河院に語ります。
「これより先は武士同士が覇を争う世となりましょう。武士はもはや王家の犬ではござりません。」
ここで第4話で闇討ちを仕掛けた為義に対する忠盛の「源氏と平氏どちらが強いか、それはまた先にとっておくことはできぬか」という言葉が思い起こされます。
今やその「先」の時がやってきており、これから清盛は頼朝と武士同士覇を争うことになるが、いずれにせよ「私たち」の時代なのだ、と清盛は後白河院に告げているわけです。
清盛の双六終結宣言は「武家社会陣営」の「貴族社会陣営」に対する勝利宣言だったのです。
ですから清盛が熱病の夢の中で白河院に向かって発した「私はあなた様を追い越して見せまする」という言葉も実現し、清盛は実父白河院(つまりは<もののけの血>)にも勝ったのです。
頼朝による義経追討はだめ押しだったと思います。
本作では詳しく展開していないので「史実の知識」で補うならば、官位による義経籠絡は後白河院(貴族社会陣営)最期の悪あがきだったからです。
だから、清盛の霊が頼朝の背中を押すシーンは大きな意味を持っていたと思います。
頼朝と対面した後白河院は性懲りも無く双六盤を持ち出しますが、もはや勝負は終わっていたのです。
さて来年。
私は過去近代を舞台にした大河は脱落率が高かったのですが、「坂の上の雲」は完走したので多分大丈夫でしょう。
何と言っても綾瀬はるかさんということで期待したいと思います。
なるほど、おっしゃるとおりですね。
特に、後白河法皇が義経を取り込もうとしたこと、頼朝とも双六をしたことが、<貴族社会の最後のあがき>だったというTEPOさんの解釈には感心しました。
忠盛が為義に「源氏と平氏どちらが強いか、それはまた先にとっておくことはできぬか」という言葉を言っていたことにも驚きました。
ぼくはすっかり忘れていましたが、こうして思い出してみるとすごい伏線ですね。
しっかり後の世のことが表現されている。
<貴族社会>の終わりという視点で、今回の最終回を見直してみると、新しいことが発見できそうという思いを持ちました。
それにしても、頼朝にも双六遊びを仕掛けようとする後白河法皇って、この人も清盛同様、枯れない人ですね。
『清盛』は複雑な心情やさまざまな伏線が張られていて見応えはあったのですが、同時に疲れる。
来年の大河は、明るく気軽な感じがいいなとも思っています。
深くて壮大な大河が終わってしまいましたね。どろどろとしたあの時代をあの「ちりとてちん」の藤本有紀さんが!と期待が大きすぎただけに、序盤に??と、くじけそうになりましたが、見続けて本当に良かったです。何度涙したことか・・・。
> 一蓮托生の平家の絆は強く楽しく、つねに笑いにあふれているのだ。
ラストシーンも良かったですよね!平太の笑顔での締めくくりも。
人物一人一人が、それぞれドラマを持っているんですよね。ひとりひとりの顔を思い出すと懐かしくなる大河は初めてです。
個人的には、功績をあげた義経が官位を得たことで追討された理由が本当に腑に落ちて積年のもやもやが解消されました。
今度は会津藩!しかも綾瀬はるかさん。楽しみです。そしてこのブログも。佳い年をお迎えください。
おひさしぶりです。
>人物一人一人が、それぞれドラマを持っているんですよね。ひとりひとりの顔を思い出すと懐かしくなる大河は初めてです。
本当にそのとおりですね。
それぞれ人物が何に悩み、葛藤し、何に笑い、喜んだかがしっかり描き込まれていました。
だから、ラストの全員集合が感動的なんですね。
特に重盛の笑顔がよかった。
義経に関しては、どなたかがブログで書いていらっしゃいましたけど、そのまま来年も大河ドラマ『義経』または『頼朝』をやってほしかった感じも。
よいお年を。
健康で充実した年になりますように。