平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

野田元総理の「尖閣の国有化の評価は歴史に委ねる」発言を考える

2013年09月12日 | 事件・出来事
尖閣国有化「評価は歴史に委ねる」 野田前首相、HPに(朝日新聞) - goo ニュース

民主党の野田佳彦前首相は11日、「国有化は国家戦略上の政治決断だった。その評価は歴史に委ねる」とブログでコメント。
これって無責任じゃないかな?
野党とはいえ、野田氏は今でも国会議員であるわけだから、こじれた日中関係回復に尽力すべき。
国有化の件を中国側に国際会議の立ち話でしたという拙劣さにも反省がないし。

もし戦争が起こったら、野田さん、あなたは戦争のきっかけをつくった<愚かな総理大臣>として歴史の評価を受けることになりますよ。
今からでも関係回復の努力して下さい。

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Woman 最終回~人生は思い出の積み重ね

2013年09月12日 | ホームドラマ
 ストーリーはオーソドックスなんですが、語り口が上手いんですよね。
 たとえば、栞(二階堂ふみ)が骨髄移植のドナーとして適合したシーン。
 せりふはなくて映像だけで描かれる。
 栞が崩れ落ちて公衆電話の受話器を落としたり、自転車を倒したりするから、視聴者は一瞬「適合しなかったんだ」と思ってしまう。
 しかし、医師・澤村(高橋一生)が背中から倒れ込んで喜ぶシーンがあって適合したことがわかる。
 上手いですね。

 小春(満島ひかり)の手術のシーンも、望海(鈴木梨央)の<絵日記>で描かれた。
 普通の作品だと、小春が手術室に運ばれるシーンがあって、手術室の前で家族が成功を祈るシーンがあって……とお決まりのシーンが続くのだが、それをしない。
 あるいは小春の手術後の経過が、絵日記で描かれないので、もしかしたら手術は失敗したんじゃないかとも思ってしまう。
 これも上手いと思いました。

 全編を通してのテーマとしては、〈人生は思い出の積み重ね〉ということでしょうか?
 人は、いくつもの思い出を他人と共有して生きていく。
 他人と共有できる思い出がたくさんある人は幸せ。
 その人の人生の評価は、思い出を共有した他人がそれぞれに決めるもの。
 また思い出は、たとえ哀しくつらいことであっても、時間が経てば笑い話になる。

 ぼくなんかは、恥ずかしくて穴に入りたくなってしまうような思い出や、つらい思い出ばかりで、他人と積極的に関わって<思い出づくり>をすることに躊躇してしまうのですが、小春は強いですね。
 今後は小春を見習い、<つらいことも恥ずかしいことも後では笑える思い出になる>という言葉を信じてがんばっていきたいと思っています。

 あと印象に残ったのは、少し前の回で、信さん(小栗旬)が語った『思いを込めて生きる』ということ。
 つまり一瞬一瞬を大切に味わいながら生きていくという姿勢。

 この作品には、生きていく上で大切なことが詰まっていますね。
『一度犯した罪は決して解消されることなく、十字架として一生背負っていかなければならない』という栞のテーマもシビアですが、真実。

 最後に満島ひかりさん、田中裕子さんたちがすごいのは知っていましたが、二階堂ふみさんもすごい。 
 迫力のある演劇空間でした。


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八重の桜 第36回「同志の誓い」~会津の者はおとなしく恭順しねえのです!

2013年09月09日 | 大河ドラマ・時代劇
「これからも信じたままに生きてみせ」
 婚礼の前に母・佐久(風吹ジュン)が八重(綾瀬はるか)に語った言葉。
 おそらくこれが今作のテーマだろう。
<信じたままに生きる>
 鉄砲、城でのいくさ、キリスト教入信……、どんな逆風が吹いても、八重はすべて自分の心に従って生きてきた。
 それは会津の人たちも同じ。
 愚直に朝廷を守り、容保を信じ、会津を愛した。
 この愚直に物事を信じる態度は、時として悲劇をもたらすのだが、これが会津人の生き様なのだろう。
 だから女紅場をやめた時、八重はこんなことを言う。
「会津の者はおとなしく恭順しねえのです!」←かっけー!
 一方で、ぼくは槇村(高嶋政宏)の建前で飄々と世を渡っていくやり方も好きですが。

 襄(オダギリジョー)との関係もいい感じ。
「あなたの行く道は私の行く道。あなたと同じ志をもって生きたい」
「あなたの苦しみも私の苦しみです。すべて私に打ち明けて下さい」
「どんな時も私といっしょに歩いて下さい。私と同じ志を持つ者として」
 キリスト教の発想ですね。
 人生を共に歩く同行者。

 これは前夫・尚之助(長谷川博己)の態度とは違う。
 尚之助は、自分の味わう苦しみを八重に味合わせたくなくて離縁した。
「あなたは私の前を歩く人だ」とも言ってたし、尚之助には問題を共有し、いっしょに乗りこえていくという姿勢がない。何でも自分で勝手に決めてしまう。
 この姿勢は、八重には少し物足りなかったし、寂しかっただろう。

 というわけで、襄と尚之助、ふたりの愛し方は対照的ですね。
 苦しみを共有して生きていくのか、相手の苦しみを自分だけが引き受けて生きていくのか。

 器の発想も面白い。
 京都は大きな器、これに何を入れるか。
 といったことを覚馬(西島秀俊)は語ったが、襄も同じ様な発想をしている。
 同志社の仮校舎になる公家の荒屋に行った時のことだ。
「大事なのはどこで学ぶかではない。何を学ぶかです」
 襄にとっては、器=校舎はどうでもいいんですね。
 器に何を入れるかが大事。
 覚馬は京都という器に経済、産業、文化を盛ろうとし、襄は公家の屋敷という器に教育を盛ろうとした。

 こう考えていくと、歴史には<破壊>が必要なんでしょうね。
 京都から帝がいなくなり、公家の屋敷が廃屋になったことで、新しいものを入れる余地が出来た。
 耶蘇教反対という既存秩序を壊すことによって、新しいキリスト教文化が根づいた。
 現在で言えば、既得権者の既得権の破壊。

 現実と闘う八重と同行者としての襄。
 いいドラマになって来ました。


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あまちゃん 第133回~2011 3・11 ②

2013年09月03日 | ホームドラマ
 133話を見ました。
 見事にあの日を描き切りましたね。
 決して津波の映像を見せない。
 物語るのは、観光協会のジオラマ。
 そして大吉(杉本哲太)とユイ(橋本愛)の表情。
 これだけで視聴者には十分に伝わる。心に刻まれた記憶を想起して補完できる。
 描かないことによって、逆に感じられるリアリティ。

 東京も混乱も。
 そう、あの時は、みんな、ただテレビを見ていることしか出来なかった。
 安部小百合(片桐はいり)が豚汁を持って来て、GMTのメンバーが文句を言う。
「何か…今は、まめぶ食べて文句言いたかった」
「甘いとかしょっぱいとかね」
 彼女たちは、まめぶで文句を言っていたかつての日常を取り戻したかったのだ。
 あるいは感情を取り戻したかった。
 宮城出身のアイドル小野寺ちゃんの母親の安否確認のエピソードも上手い。
 ブログのコメント欄にファンが『お母さんは体育館に非難して無事だよ』と書き込んでくれた。
 ぼくも一応ドルヲタをやってるので、よくわかる。
 ファンならきっとこういう行動を取る。
 それからアキ(能年玲奈)がミサンガを探して、机の下に潜り込んだ時に荒巻太一(古田新太)が「何だ、お前の家はそこか?」と言ったのは、古田さんのアドリブだろうか?
 何か気になる。

 わずか15分の時間だったが、あの日を描き切った濃密な内容だった。
 3・11は、現在に生きるすべての日本人が共有する記憶なんだということを改めて感じた。

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八重の桜 第35回「襄のプロポーズ」~「あなたが受け入れなくては心のいくさはなくなりません」

2013年09月02日 | 大河ドラマ・時代劇
「大切な人が亡くなったことをあなたが受け入れなくては心のいくさはなくなりません」

 八重(綾瀬はるか)はまだ戦っていたんですね。
 弟の三郎、父親の権八の死を受け入れていなかった。
 もちろん亡くなっていることは認識しているが、その現実を見ないように目を背けていた。
 だから四年間、京都にいても三郎の戦死した場所を訪れようとしなかった。
 それは尚之助(長谷川博己)の死を知らされた時も同じ。
 八重はその現実から逃げるように、女紅場の仕事に戻った。
 八重にとって、仕事はつらい現実を忘れ、ゴマかすための手段であったのだろう。

 悲しい時は感情をあらわにして思い切り泣けばいいんですけどね。
 気丈な彼女はそれが出来なかった。
「わたしの気持ちなどわかるはずがねえ」と思っていて、悲しみ、苦しみを誰かにぶつけることもしなかった。
 そんな八重に新島襄(オダギリジョー)は語る。

「あなたのために悲しむことは出来ません。出来るのはあなたのそばにいてあげることです」

 これって、キリスト教が説く<同行者>の思想。
 人間は基本的にひとりで人生を歩まなくてはならないが、傍らには神が同行者として、寄り添っているという思想。
 ぼくは、この<同行者>の思想に魅かれて、キリスト教入信を考えたことがある。
 そして、新島はさらにこんな言葉を。

「あなたが亡くなった人たちに語りかければ、きっと何か聞こえると思うのですが。その声に耳を傾けて下さい」
「亡くなった人たちはあなたの傍にいて支えてくれます。あなたが幸せであるように、強くあるようにと」

 大切な人の死から目を背けていたのでは、いつまで経っても、大切な人は寄り添ってくれない。
 というより、大切な人はすでに寄り添っているのだが、生きている本人は気づかないでいる。
 そこで八重は大切な人の死を受け入れ、その言葉に耳を傾けようとする。
 すると、生前の三郎の顔が、権八の顔がよみがえってきた。
 彼らはいつも自分の傍にいるのだと感じることができる。
 尚之助も現れて、こんなことを語った。
「あなたは新しい時を生きる人だ」
 これで八重は、自分が尚之助たちに見守られていることを知る。
 新しい時代を、幸せに、強く生きろ、と応援されていると感じる。
 実に感動的なシーンだ。

 その後の新島のせりふも興味深い。
「お腹、空きませんか?」
 そう、食べること=生きること。
 生きている人間はお腹が空くのだ。
 サンドウィッチを食べて「美味しい」と感じること、誰かといっしょに食べて楽しいと感じること、これらすべてが生きることなのだ。
 八重は生きることを取り戻した。

 今回は「八重の桜」で一番感動的でいい話だと思った。

 斎藤一(降谷建志)と時尾(貫地谷しほり)のエピソードも、今回の八重のエピソードと絡めて見ると面白い。
 斎藤は官兵衛(中村獅童)に「面つきが穏やかになった」と言われた。
 斎藤も八重と同じ様に、心のいくさを戦っていたのだ。
 それが清算できたから、京都の戦場を懐かしい気持ちで訪れることが出来、新島とも心から笑えた。
 君主・容保(綾野剛)は戦争で死んでいった者たちのために祈り、過去に生きることを決めているようだが、配下の斎藤達くらいは過去を清算して未来に生きてもいい。

 新島のプロポーズを受け入れた八重。
 これから八重と新島は、斎藤と時尾夫婦のように、笑いながら人生を共に歩んでいくことになるのだろう。


※追記
 尚之助の『會津戦記』。
 実在していないドラマオリジナルらしいが、尚之助にとっては、これを書き上げなければ過去を清算できず、未来に進めなかったのだろう。


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あまちゃん 第132回~2011 3・11

2013年09月01日 | ホームドラマ
<2011年3月12日 天野アキ&GMT5 潮騒のメモリー記念コンサート>
 ポスターにはこう書かれている。
 その前日、コンサートに向けて練習するアキ(能年玲奈)たち。
 つまり3月11日だ。

 夏(宮本信子)が調子が悪くてベッドで寝ている。
 家は海岸の近く。
 足立ユイ(橋本愛)は皆に見送られて東京へ。
 乗るのは海沿いを走る北三陸鉄道。
 春子(小泉今日子)も今まで抱えていたわだかまりがすべて消えて、みんなに「ありがとう」を言っている。

 ネット配信のニュースでは今回の放送と予告を見て次のような感想が持たれているという。
「次回予告でなぜか泣いてしまった」
「もう来週ちゃんと見れるか自信ない」
「どうなるのあまちゃん…やだやだ見るのこわい!」
「夏ばっぱが心配や…てか北三陸のみんな全員…」
「ヤバいあまちゃん予告だけでなんか辛い」
「今日はまだ何も起きてないのにずっと不安で次回予告でなぜか泣いてしまった」

 ぼくも昨日8/31の放送を見ていて、胸が苦しくなった。
 何だろう、この感じ?
 あれから2年以上経って震災の記憶を忘れているかに思えるんですけど、実は心の奥底に刻まれているんでしょうね。
 すべてをのみ込む津波の映像などはフラッシュバックで思い出されてくる。
 3・11以降、ぼくは人生観が変わりましたもん。

 3・11をこんなふうに直接的に描いたドラマって『あまちゃん』が初めてだろう。


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