フォンテーヌの家  わたしのつぶやき

横浜市南区で趣味の会[フォンテーヌの家」 

健康診断で・・・

2011-06-07 22:58:25 | 日記
6月7日 火曜日 曇り

お日様が一度も顔を見せてくれませんでした。でもお洗濯物は気持ちよく乾きました。
梅雨時ですから、これだけでも充分嬉しいです。”儲けもの”と言った感じです。

先日健康診断を受けた友人がいくつか要再検査の通知が届きました。
その時もかなりショックだったようです。更に再検査の結果、手術をした方が良いと言う事に・・・。
何の異常も感じず、普通の生活をしている人ですからその衝撃は大きかったようです。

友人が凄い衝撃を受けたと言うことは、充分理解出来ます。

わたし自身、高校入学して1ヶ月頃、担任と一緒に保健室に呼ばれ、転校して欲しいと言われました。
このときは言葉が出なかったです。
どうしても入学したいと言う気持は無かったのですが、それでも入学後すぐに転校は嫌でした。

「私立なら何処でも推薦状を書くからそうしなさい」と保健室の先生のアドバイスでした。
中3の時もBCGを受けました。
クラスの大半の人は、すでに陽転していましたのに、わたしは陽転していなかったのです。


高校へ入ってすぐの健康診断で始めて陽転し、同時にレントゲンに異常が出ていました。
保健室の先生の言葉に瞬間迷いましたが担任の許可を戴いて、転校をしない、ことにしたのです。
結果、高校時代の3年間、体育はずっと見学でしたし、修学旅行へも参加させて頂けませんでした。

当然、夏休みの勝山寮での夏期学校も、一度も参加させて頂けませんでしたし、
理科系希望をしていました大学進学も、担任から却下され文化系のみの受験になりました。
勉強する意欲も出ませんでした。それに転校しない条件に”頑張らない”とも言われていました。

辛いこともありましたが、”頑張らない”で良いのですからある意味良い高校時代を過ごしました。
もともとガリ勉には縁のないわたしでしたから、たいして気にもなりませんでした。
本を読んだりピアノを弾いたり、中学時代の友人と遊んだり、結構楽しんでいました。

でもどこかで、発散出来ない重たい物を背負った高校時代だったことは確かです。

そして30代の半ば頃、もしかしたら・・・と医師に言われ辛い検査をしました。
検査のあと、当時としては最善の処置をして下さいましたので今のわたしが存在しています。
このときが一番辛かったです。高校時代の辛さとは比べられないほど辛かったです。
娘たちがまだ小学生でしたから・・・。

自分の体の中を見ることは出来ません。医師の診断に従うことしか術は無いのです。
友人も負けないで頑張って欲しいです。わたしも応援します。
処置をきちんとすれば、絶対大丈夫です。気持で負けたらお終い、そう思います。
コメント
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