3日は夫の月命日です。
わたしが車を動かしている頃は、月命日には必ず霊園に行きましたが、
10年ほど前の、ドクターストップで運転を辞め、車も手放しました。
それ以来、ガレージは空っぽ。長女が週一でガレージを使っていますが…。
霊園へは路線バスで行かれるのですが、次女も”お参りしたい”とのこと。
嬉しかったです。それでいつもお墓参りは次女と一緒です。
ただ、彼女は週休2日制なのですが、祭日と土曜日は出勤すことがあります。
彼女の休日が優先ですから、霊園行の曜日は常に未定。
そんな時は、家の神道壇に手を合わせながら、夫に報告します。
当然、夫も娘と一緒の方が良いに決まっています。夫に似ている娘です。
次女の家は少し時間がかかりますが、歩ける距離なので、運動方々、
集団登校する孫たちに”行ってらっしゃい”を言いに行ったり…。
孫たちをとても可愛がっていましたね。
夫は亡くなる数日前も、集団登校の孫たちを見送ってきたとか…。
往復1時間はかかりますから、”なんで行くの?”と聞きましたら、
夫は”僕を忘れないようにと思って…”。その言葉が気になっていました。
その言葉に、笑いながら”変な人”と言いながらさほど気にしませんでしたが、
その数日後、夫はベッドで寝た状態で、呼吸が止まっていました。
お昼寝をしているような、静かな寝顔でした。
16年前の12月3日のことです。硬直が始まっていました。
お布団の中の身体は、まださほど冷たくなっていませんでしたが、
顔など出ている部分は冷たかったです。
時々、動けなかったあの日の朝を思い出し、息苦しくなります。
2階から降りてきて、娘たちに電話をしました。
日曜日の朝、7時頃だったと思います。
今でも、12月3日近くなりますとあの日の朝の様子がよぎります。
昨日の偲ぶ会の最中、恩師と夫との会話を思い出していました…。
恩師の、”お酒があるからご主人と来なさい”のお電話がありますと、
勇んでお尋ねしていました。
恩師は”此処ではお酒飲まず、家に戻って彼女の手料理で楽しみなさい”と。
夫が亡くなった時も、とても残念がって下さいました…。
恩師と夫は12才違いの同じ兎年。気が有っていたのでしょうね。
昨日も今日も、いろいろ思い出しながら、一人なんとなく頑張っています…。