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安倍流拉致問題<本澤二郎の「日本の風景」

2020-06-07 16:02:30 | 日本の風景

安倍流拉致問題<本澤二郎の「日本の風景」(3707)
<改憲軍拡向けの北朝鮮外交の自業自得>
 拉致問題のシンボルとして活動してきた、というよりも、安倍内閣に強いられてきた横田滋さんが、娘のめぐみさんと再会することなく亡くなった。悲劇の背景を、言論界も明かそうとしていない。それは、稚拙で米国服従外交と、安倍の改憲軍拡一辺倒のための、残酷無残な北朝鮮外交による。
 安倍流の国家主義的外交によるもので、自業自得といってよい。安倍内閣の下では、決着することはほぼ不可能である。この機会に、思いつくままにおさらいしようと思う。
 
 60兆円を海外に花咲じじいよろしくばらまいた安倍の外交成果は、ロシアの北方領土問題を含めて皆無だ。歴史を正当化しようとした韓国外交も、再び破綻するという瀬戸際に追い込まれている。
 
 戦前もそうだったが、国家主義には大局観が欠落している。他人の家に土足で入り込んで、狼藉三昧の挙句の破局を、21世紀に繰り返そうとしているのだろうか。日本国憲法は、国家主義を否定していることを忘れてはならない。
 
 
<日本ナショナリズム化に利用してきた日本会議外交>
 国家主義は、財閥主導による軍国主義によって具体化する。明治の政商が、国家と一体化して財閥へと急成長、莫大な資金力で、軍や官僚・政治屋を操って、その先に外国を侵し、無数の人々を凌辱・殺害して、資源を根こそぎ略奪する侵略戦争へと突進した。因果応報、とどのつまりは2個の原爆投下で無条件降伏した。
 
 侵略戦争へと国民を引きずる手段が、大日本帝国憲法と宗教と教育だった。人々を国家神道と教育勅語で、徹底した民族主義・ナショナリズムに追い込んでゆく。安倍・日本会議の内外政を総攬すると、これの復活野望を、容易に理解することが出来るだろう。
 
 その最初の手段が3分の2議席確保のための、公明党創価学会を配下にすることだった。ただし、もとは平和主義の信濃町だ。覚醒するのかどうか、2013年の戦争三法強行以来、創価学会内部に深い亀裂が走っている。これが、どう推移してゆくのか。当面の注目点である。
 
 言及するまでもなく、岸信介の孫と国家神道を継承する日本会議の面々は、戦前の国家主義体制の構築に必死である。それゆえに、偏狭なナショナリズ化による、平和憲法解体への野望を執拗に抱いて、現在も突き進んでいる、と分析できるだろう。
 拉致問題を契機に、以上の事実をしかと認識して欲しいものだ。二度と過ちを繰り返さないために。
 
 
<北の恐怖・脅威をまき散らす役割を担わされてきた横田夫妻>
 拉致という蛮行は、戦争状態を想定しないと、まず考えられないだろう。日本は、韓国と1965年に、中国とは1972年に国交を正常化した。平和構築に成功して、国際社会に復帰したのだが、北朝鮮とは田中内閣が実現しようとしたが、国内の派閥抗争に敗れて失敗した。戦争状態の継続の線上にある。
 
 その後に、窮鼠猫を噛むという状況下で拉致が発生したようだ。日本警察の無能を象徴する事件である。これに国民は驚愕、日朝関係が依然として冷戦の継続下にあることを、思い知らされることになる。
 
 即座に日本外交が主導する場面だったが、清和会の小泉内閣は、拉致被害者の全員を返還するという使命を放棄した。1週間の約束で、一部の被害者を一時帰国させたが、政府が約束を破ってしまった。北の日本政府不信をかってしまい、元の木阿弥となった。「返すな」と強く主張したのが、当時官房副長官の安倍晋三だった。
 
 せっかく開いた日朝扉を破壊した日本政府の外交責任は重い。
 安倍内閣になると、あろうことか、硬化した相手国をこれ幸いとばかりに、拉致被害者を利用して、和解外交をを放棄して、北の脅威・恐怖の宣伝に駆り立てていく。そのシンボルが、哀れ横田夫妻である。彼らを、国民を改憲軍拡思想に染め上げる格好の使徒に仕立て上げたのである。
 
 拉致被害者家族会挙げて動員、国連などに宣伝攻勢をさせることによって、歴史に無知な日本国民を、北朝鮮嫌いから、改憲軍拡派へと追い込んでいく。民族主義・ナショナリズム化だ。ここが安倍・日本会議の真骨頂でもある。
 このころ、教育勅語教育の森友学園事件が表面化する。
 
 
<金正恩・トランプ会談であわてて軌道修正したが間に合わなかった!>
 北朝鮮が日朝国交正常化に前向きになったのは、金丸訪朝の時点である。筆者は金丸側近の石井一団長が超党派の大型訪朝団を編成した時、大学の先輩の愛野與一郎が「代わりに行ってほしい」という有難い要請を受けて平壌を訪問した。ハマコウの天敵で有名だった大石千八も一緒だった。金日成の「我々は地球と共に歩む」という発言に明るい希望をもって帰国した。直後にボールが、筆者に向かって投げてきたのに驚いたものだが、それは「総理大臣・宮澤喜一」(ぴいぷる社)を書いてそう長くはなかったせいだろう。
 さっそく宮澤事務所に、平壌の意図を書簡にして届けた。内容は「首相と直接のパイプを構築したい」というものだった。金日正最後の大勝負に出たものだった。間もなく宮澤から「直接電話で話したい」との伝言を受けた。結果は、官僚出身の弱点をさらけだしたものだった。外務省任せ、火中の栗は拾わない、という回答だった。
 
 いま思うと、もう少し根回しをすべきだったと思う。せめて鈴木善幸元首相や宮澤の叔父の小川平二元文相らを動かすべきだったろう。外交音痴ゆえ、極秘ボールに振り回されたものだ。キッシンジャーにはなれなかった。
 
 後継者の金正日は、日本相手にせずに外交方針を変えた。ワシントンとの直接外交である。そのための核兵器開発に突進することになる。日本に対しては、拉致外交で目を向けさせる作戦だったのか。
 
 トランプが金正恩に手を差し伸べて、安倍は腰を抜かした。あわてて軌道修正したが、平壌は取り合おうとしない。
 
 
<安倍・自公内閣をとことん信用していない平壌>
 息子の相次ぐ医療事故と続く妻の死で、自民党政治にもすっかり興味を失ってしまった。身内の不幸は、人生を変える、人生観を変えるものである。
 
 もう都落ちして何年になるか。
 いま断言できることは、北朝鮮は安倍を全く信用していないということだ。間違いのない事実である。それでも安倍に寄り添うだけの拉致被害者家族会。安倍の操り人形に対して、反省もないらしい。
 すでに横田めぐみさんは、亡くなっていない。日本政府は承知している。生きているといって「返せ」と叫び続けるしかない家族会である。当事者は、真相をぶちまける時ではないのか。
 
<ポスト安倍になって仕切り直しか>
 拉致問題の解決は、安倍が退陣した後になって動き出すだろう。
 
 仕切り直しの交渉が、国交正常化と同時に始まるはずである。戦後外交の、最後のお土産は、安倍の後継者か、それとも野党政権なのか。
 ワシントンの足かせがどうなのか、とも関係する日本外交である。自立・自首の外交を決断できる政権であれば、1日で片付く外交なのだ。
 
<田中内閣が数年継続していれば日朝正常化で拉致は起きなかった!>
 顧みれば、田中角栄内閣が、数年長引けば、むろん、日朝国交は正常化していたわけだから、拉致問題もなかった。政治に「もしも」はないのだが、清和・福田派との攻防戦に敗れて退陣した、田中の不運と日本国民を嘆くほかない。
 
 田中―大平体制は、ワシントンとは自主・自立を旨とした、ほぼまともな日本外交を貫いた事実は大事な点である。ワシントンに全面的に服従している安倍外交と比較すると、天地の開きがある。戦後外交史上、初めての自主外交だった。
 
 戦後最大の外交課題は、いうまでもなく中国との戦争状態を解消することだった。当時はワシントンの横やりで、台湾が中国を代表するという、幻想を受け入れてきた。
 田中は中国との関係を正常化すると、すぐさま北朝鮮との関係正常化に舵を切った。そのために、佐藤栄作元首相側近として、沖縄返還交渉に関与した木村俊夫を、大平外相の後継に起用した。
 木村外相に対して、日中・日朝の最大の功労者の宇都宮徳馬も満足していたことを、記憶している。晩年、木村との単独インタビューで日朝関係正常化実現に向けた努力を確認した。彼は,宇都宮と同じくリベラリストで知られた。
 
 当時、田中首相に繰り返し、日朝正常化交渉開始を進言していた久野忠治のことも忘れられない。
 
 福田派清和会による金脈問題追及で田中が退陣したことで、日朝関係のその後は日本政局とワシントンの野望が絡んで、拉致問題まで起きてしまった。歴史の歯車は、左右に揺れ動くものだとしても、拉致被害者家族のことを思うと、政治責任は実に重いものがある。清和会は歴代、強固な反共主義がこびりついて離れない。その極端が安倍晋三である。
 第二の田中―大平、田中―木村のコンビが生まれることを祈られずにはいられない。歴史は重要である。そこから教訓を学ぶ政治でありたい。
2020年6月7日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)
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