「(十善業道は)常に諸仏菩薩および余の聖衆に親近することを得さしむ。」「仏」には法身、報身、応身と三通りあるから急には説かれませぬが応身というて娑婆世界に出てござる仏様、すなわち過去の迦葉仏、未来の弥勒仏、現在の釈迦牟尼仏、西方の阿弥陀仏、東方の浄瑠璃世界の薬師仏、阿閦仏等の仏様が何ぼもござるから諸仏という。十方に種々の仏様が無量無辺にござる。それから過去にも千仏、未来にも千仏、現在にも千仏ござる . . . 本文を読む
阿字観の功徳
「阿字の子が 阿字のふるさと立ち出でて また立ちかえる阿字のふるさと」・・・我々は阿字から出て阿字に帰るのですが、これを体得するのが阿字観です。
阿字観に通じる霊験談もあります「宇治拾遺物語」です。
「貧しき俗、仏性を観じて富めること」に、「今は昔、唐の辺州に一人の男あり。家貧しくして宝なし。妻子を養ふに力無し。もとむれども得ることなし。・・ある僧にあひて宝を得べき事を問う。 . . . 本文を読む
水原堯栄「弘法大師御影」には様々な大師像が紹介されています。
「其の一、真如様式
真如親王の筆と伝えられる右方斜面向きにして右手に五古杵を非竪非横に持て胸に当て左手に百八果の念珠をお持ちになり胸を開かれて些かの屈託もなきお姿にして 仙洞御所御料椅子に安座されている御影で、余はこれを真如様式とよぶ。(西新井大師の鎌倉時代の重文「弘法大師像」などこれ。)
其の二、八祖様式
其の一の真如様式と同 . . . 本文を読む
華厳経巻二世間浄眼品一の二「如来のお姿は微妙で広大である。十方に拡がって果てがない。智慧の光、救いの手段の力、空の禅定も果てがない。衆生は生老病死の苦に常に悩まされているがこういう衆生の為に、如来は慈悲を起こし、尽きることのない智慧をもって悟りの世界を示しておられる。・・衆生済度の為の無上の佛のお姿はあらゆる世、あらゆる衆生の前に現じてくださる。これを善光勝の境涯という。衆生が一度でも如来のお姿を . . . 本文を読む