弘長元年1261八月二日は常住寺を公卿葉室定嗣が叡尊を招じて中興とし叡尊が浄住寺と名けた日です。感身学正記に「(弘長元年)八月二日彼の寺を浄住寺と号す」。 . . . 本文を読む
今日弘仁八年817八月二日は大師(御年四四歳)が「実相般若経答釈」を書かれた日です。
「実相般若経答釈」は、大師が東大寺の円蔵法師からの『実相般若波羅蜜経』に関する四つの疑問点(「即身成仏」、「殺害三界一切衆生 終不因斯墮於惡道」、「空・無相・無願」「現身中において金剛不空無礙を即得成就す」)に対して、密教の立場からの文字を超えた深い解説が行われている。
「東大寺の圓蔵法師の問尋せる「実相般若 . . . 本文を読む
「頂いた数々の不思議」
(S・T女史。日本巡礼記集成より)
「・・昭和7年、岸和田に天然痘が流行しまして、毎日のように病人が隔離されていきました。巡査も毎日回ってきて『誰も悪い人はいませんか』と尋ねてきます。
その最中に運悪く主人も天然痘に罹ってしましました。
はじめは風邪と思っていたのですが次第に熱が上がってきます。医者に診てもらって天然痘と診断されたら、当該家と向こう三軒両隣は井戸までカルキで . . . 本文を読む
「後拾遺往生集」に不思議な遊女の話がでてきます。遊女として菩薩業をなしていたと思われる記述がありました。華厳経の遊女「婆須密多」や、「尼僧の告白」の多くの遊女たちを思い出させます。
1、「後拾遺往生集」「陸奥に一女あり。若年の時、艶を立て色を好み、夫と定まれる無し。衆人共に来るも敢へて之を厭はず。皆以て許容す。後、更に一人も来る者無し。寡宿、年を経る。親しき人有りて、由緒を問ふ。答えて曰はく「我 . . . 本文を読む