菩薩は是心を發するが故に、則ち少分に法身を見ることを得。法身を見るを以ての故に
其願力に随って能く八種に衆生に利益することを現ず。所謂、退兜率天・入胎・住胎・出胎・出家・成道・轉法輪・入涅槃なり。然るに是の菩薩をも未だ法身と名ずけざるは、其の過去無量世來の有漏の業未だ決斷すること能わざるを以てなり。其の所生に随って微苦と相應するも亦た非業繋なり。大願自在力あるをもっての故なり。修多羅の中にて或は「 . . . 本文を読む
史料綜覧 巻七 / 永享三年(1431)八月廿二日条
「廿二日 変異ニ依リ 一字金輪法ヲ三宝院ニ修シ 之ヲ祈禳ス 幕府 亦愛染法ヲ同寺ニ修ス」
天皇は後花園天皇。室町幕府は足利義教。
このころは、醍醐寺三宝院門跡満済が将軍護持僧。
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今日からは本来「戸津説法」が行われる予定でしたが、中止となっています。
関連のホームページ等から「戸津説法」について引用します。「戸津説法とは、比叡山を仰ぐ下阪本の琵琶湖畔、明智光秀ゆかりの坂本城跡の一角にある東南寺で、毎年八月二十一日から二十五目まで行な われる法華経についての説法のことを指し、説法が琵琶湖畔の東南寺(大津市下阪本)で行なわれるところから「東南寺説法」とも呼ばれています。 戸 . . . 本文を読む
史料綜覧 巻五 / 建治二年(1276)八月廿一日
「廿一日 讃岐善通寺ニ於テ 五壇法 仁王経 尊勝陀羅尼経ヲ修シテ 外寇ヲ祈禳ス」天皇は後宇多天皇。鎌倉幕府将軍は惟康親王、執権は北条時宗。
建治元年には服属を求める元の使者が到着。時宗は龍ノ口において処刑す。蒙古襲来に備え鎮西探題を設置。弘安二年1279五月二十一日には蒙古が来襲し対馬に上陸。
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・日本紀略 / 寛平八年(896)八月廿一日条
「廿一日 依霖雨奉幣鴨下社 依御卜也」
・日本紀略 / 康保三年(966)閏八月廿一日壬午条
「廿一日壬午 為止雨奉幣十六社」
・日本紀略 / 寛平八年896八月廿一日条
「廿一日 依霖雨奉幣鴨下社 依御卜也」
・日本紀略 / 正暦五年(994)八月廿一日庚子条
「廿一日庚子 奉幣諸社 依天変怪異霖雨疾病事等也」
・史料綜覧 巻六 / 正平十一年/ . . . 本文を読む
遣唐使船最後の寄港地五島列島でお大師様信仰が盛んな様が報じられていました。
「仏教と民俗・五來重」では「・・一般に「八十八所巡り」と称する弘法大師信仰は四国八十八所巡礼と同じく、一村または数か村、あるいは一郡くらいを単位に弘法大師像を安置する寺と堂を巡礼するのが普通である。美作地方のお大師巡りもこの形式の巡礼であるが巡礼団の奉持する大旗は弘法大師の旅行の姿(修行大師)を描いたもので信者はこれに随 . . . 本文を読む
「衆生に仏性があるならなぜ殺・盜・婬・妄等があるのか、災悪に遇うのか・・」
という質問に涅槃経では「善知識に近ずくことがない故に仏性有りといえども衆生は自分の仏性に気が付くことが出来ない。而も貪婬瞋恚愚癡に覆われている故に自ら地獄・畜生・餓鬼・阿修羅に堕す」とあります。
涅槃経・如来性品・・・
迦葉菩薩白佛言。『世尊。實に我(以下『我』とあるのは仏性のことか)あることなし。何以故。嬰兒生ずる時知 . . . 本文を読む
「真言宗義章」(真言宗各派聯合法務所編纂局 1916))に
「第六 顕密対弁章
(真言陀羅尼の法門に依る時はいかなる罪人も助かり成仏を得ることができる。)
真言密教はいかなる重罪の者も助からぬといふことなし。この故に六波羅蜜経に「或は又、有情、諸の悪業・四重八重五逆無間罪謗法等経一闡提等種々の重罪を造れるを消滅する事を得しめ速疾に解脱し頓悟涅槃すべきものには而も彼が為に諸陀羅尼蔵を説く」(大 . . . 本文を読む