四国遍路のおかげで歩行不能だった子供が歩けたこと。(先達Y・T)
「四国遍路同行Oさんは土佐清水の人ですが、長男が交通事故により歩行不能となり大阪で病院に入院していました。その日は遍路二日目で四十六番浄瑠璃寺から順打ちすることとなりました。九月二十九日の朝でした。浄瑠璃寺には本堂前に仏足石があります。この仏足石はお薬師様のご真言をお唱えしながら立つとご利益があると言われているものです。Oさんもこの . . . 本文を読む
・「仏陀の教法は最清浄法界等流の教であり道であって、‥決して一の宗教などと跼蹐せらるべきものでないといへるのである。即ち天下の公道で何人も之を信じるとか信じないとか、遵奉するとかしないとかいふべきものでなく、苟も人として生活している以上は凡てこの教法に規って居るといはねばならぬものである。(「仏教汎論」・宇井伯壽)」 . . . 本文を読む
一切如來心祕密全身舍利寶篋印陀羅尼經
開府儀同三司特進試鴻臚卿肅國公食邑三千戸賜紫贈司空謚大鑒正號 大廣智大興善寺三藏沙門不空奉詔譯
如是我聞。一時薄伽梵、摩伽陀國・無垢園寶光明池中に在して。大菩薩衆及び大聲聞僧・天龍・藥叉・健闥婆・阿蘇羅・迦樓羅・緊那羅・摩睺羅伽
・人等と與なりき。無量百千衆倶前後に圍繞せり。
爾時、衆中に一大婆羅門あり。名て無垢妙光という。多聞・聰慧にして人の樂見する . . . 本文を読む
以下森銑三「人物逸話辞典」に依ります。「貝原益軒。儒家。また博物学者。名は篤信、字は子誠、久兵衛と称す。初め損軒と号し、晩年に至って益軒と改めた。福岡県黒田候の
臣。正徳四年1714、八月二十七日没す。年八十五。・・一生の著述極めて多く、著述を通しての偉大な社会教育家であった・・」
養生訓の最初は以下のようになっています。
「人の身は父母を本とし天地を初とす。天地父母のめぐみをうけて生まれ、又養は . . . 本文を読む