[百練抄]「建永元年九月二十六日(土御門院)一代一度の仏舎利使を立てらる」 天皇は土御門天皇。後鳥羽上皇の院政。鎌倉幕府は源実朝、執権は北条義時。
元久三年四月二十七日(1206年) 改元して建永となる。赤斑瘡を原因とする説(『百錬抄』)と摂政九条良経の急死を原因とする説(『一代要記』)がある。いずれにせよ即位されてすぐに一代一度の仏舎利使(注1)を立てらています。
(注1)一代一度の仏舎利使 . . . 本文を読む
「後二條師通記」(注1)「(寛治七年1093)九月二十六日、庚子、天晴、被修孔雀教法云々、阿闍梨勝覚醍醐座主也。」
(注1)後二条師通記(ごにじょうもろみちき)は、平安時代後期に活躍した藤原師通の記した日記。永保三年(1083年)から康和元年(1099年)まで。原本は一条家に伝来し陽明文庫に。国宝。
天皇は堀河天皇。勝覚・・・父は源俊房。立川流の祖仁寛の兄。醍醐寺座主定賢から灌頂を受け、また義 . . . 本文を読む
地蔵菩薩三国霊験記 9/14巻の2/13
二、地蔵三昧に通力を得たる事
中比北陸道に蔵好房と云ふ僧あり。元より鈍根にして一文不通なり。人品沙汰の限りたりといへども信心深厚にして地蔵を信じ奉る。終日名号を唱へて怠る時なし。當時の人呼びて地蔵小法師とぞ申しける。他の誉を受けても喜ぶことなく亦毀りを得れども怒ることなく一切以て地蔵修行より外他なし。されば積功累徳して功験益妙を得たり。口に誦する所は偏 . . . 本文を読む
小泉 八雲は1904年(明治37年)9月26日に54歳で亡くなっています。古き良き日本をよく理解して西洋諸国に紹介しました。「日本の面影」では「・・・ここの村の人たちも、私にじつに親切にしてくれた。これほどの親切や好意は想像もできないし、言葉にもできないほどである。それは、ほかの国ではまず味わえないだろうし、日本国内でも、奥地でしか味わえないものである。彼らの素朴な礼儀正しさは、けっしてわざとらし . . . 本文を読む