道元禅師は正治2年1月2日(1200年1月26日)にお生まれになりました。 曹洞宗の開祖。曹洞宗では高祖と尊称され建長5年8月28日(1253年9月22日))に入滅されました。諡号は、承陽大師。「坐禅するときはその時のそのままが仏であり、また修行と悟は同じである」という修証一如、只管打坐の禅を唱えられました。 . . . 本文を読む
第二十六 値遇密教章
(人身受けがたく仏法遇ひがたし。真言密教に遇うのは更に難しい。過去無量劫の間、無量の善根を積み重ねたるもののみが密教に触れることができている。)
夫れ人身は受けがたく仏法は遇ひがたし。真言密教に遇ふは亦更に愈々難し。過去無量劫の間、無量の善根を積み重ねたるものにあらずんばこの名字をも聞くこと能わず。大日経に「秘密主、大乗の宿習なく、未だかって真言乗の行を思惟せざる者は彼れ . . . 本文を読む
明治維新の日本破壊その2滝川政次郎『日本人の歴史』「・・廃仏毀釈は明治政府の犯した最大の罪悪であって日本社会における人心の頽廃、道義心の欠如はここに淵源を発している。仏教と絶縁した神道は原始信仰に戻らざるを得ないが、ドクトリンを持たない原始信仰は民俗学の対象とはなっても文明人の信仰とはなりえない。故に神仏の分離即ち信仰の喪失となって日本人はその人格の骨格を失い、道義心の基盤をなくしてしまった。明治 . . . 本文を読む
扶桑略記「永承七年1052 壬辰正月二十六日 」「千僧を大極殿に屈請し、観音経を転読せしむ。
去冬より、疾疫流行し改年已後も弥いよ以って熾盛なり。仍って其の災を除んが為也」
天皇は後冷泉天皇。永承七年は末法の始まりの年になっています。
疫病がおさまらず永承八年には天喜へ改元しています。
. . . 本文を読む