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第二十一 往生浄土章
(大日如来の密厳浄土はすべての仏の浄土を包含する浄土であり即ち真言行者の生ずべき浄土である。真言行者が如何にしてこの密厳浄土に往生することを得るかといえば、真言行者が最初灌頂壇に入り阿闍梨の開示を蒙り信心を得る時に無漏の種子を第八識心に植つけられたことになり、如来五智の体性を成就する故に往生の業を決定することになる。その後三密の妙行を修すれば上根上智の人は一生の間に三密相応 . . . 本文を読む
「秘密念仏鈔(うち臨終用心の事)」 (道範阿闍梨)
それ臨終用心とは仏法の本懐、生死の折角なり。之に由りて有心の行者は皆深く尋ね習ふて心蔵に納む。何ぞ紙筆に染めてこれを露わにすべけんや。然りと雖も初心の人に至要を問はしめんが為に唯通相に就き略して大義を注す。行者若し多日病患に纏はれ上堂行法すること能はざる時は、手を洗ひ口を漱ぎて護身結界して帰命懺悔すべし。その詞に曰く
南無帰命頂礼 両部界会 . . . 本文を読む
・今日延暦五年768一月二十一日は滋賀に梵釈寺が建立された日です。(続日本紀「延暦五年一月壬子,於近江國滋賀郡,始造梵釋寺矣」)ウキぺデアには「近江国大津にあった寺。寺址は確定していないが,崇福寺址(大津市滋賀里(しがさと))南方の大形(おおがた)とする説が有力である。786年(延暦5)桓武天皇の草創で,長岡京遷都にあたって四天王の加護を願い,曾祖父天智天皇の故地に建立した。当初は四天王寺と称した . . . 本文を読む
(三大實録・(清和天皇)貞観三年一月二十一日に大仏修理開眼供養の詔勅がありました。斉衡二年(855)五月に地震で大仏様の頭部が落下したが、真如法親王(高丘親王)を検校として貞観三年(861)三月十四日に修理が完成し、盛大な開眼供養会が営まれました。これはその年の一月に開眼供養にむけて用意するように述べたもの。)
「是の日、山城・河内・和泉・摂津及び七道諸国司に宣詔す。近来東大寺大毘盧遮那佛を修理 . . . 本文を読む
今日21日は行基菩薩に大僧正位が贈られた日です。続日本紀巻十六に「天平十七年(745)正月己卯【廿一】》○己卯。詔、以行基法師為大僧正」とあります。行基菩薩は740年(天平12年)聖武天皇に依頼され大仏建立に協力してきましたが天平15年(743年)東大寺の大仏像造営勧進に起用されています。大仏造営がはかどったため大僧正が贈られたのでしょう。 . . . 本文を読む
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三代実録 / 貞観五年(863)正月廿一日甲申条
「廿一日甲申 停内宴 以天下患咳逆病也」
(廿一日、内宴を停止した。世の人々が咳逆病を患っているからである。
天皇は清和天皇。内宴(ないえん)とは、平安時代に1月下旬に内裏にて行 . . . 本文を読む
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三代実録 / 貞観五年(863)正月廿一日甲申条
「廿一日甲申 停内宴 以天下患咳逆病也」
(廿一日、内宴を停止した。世の人々が咳逆病を患っているからである。
天皇は清和天皇。内宴(ないえん)とは、平安時代に1月下旬に内裏にて行 . . . 本文を読む