福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

御大師様の先祖供養についてのお考え・・2

2019-06-02 | 先祖供養
御大師様の先祖供養についてのお考え・・2
御大師様はあの世の迷える霊魂を救うことを相当深く考えておられたことが以下の一般的な記述からもわかります。
・「生まれ生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死に死んで死の終わりに冥し(秘蔵宝鑰)」とか「吾はこれ無始よりこのかた四生六道の中に父たり子たり(性霊集)」とおっしゃった上で、
三教指帰下では「いやしくもその道に合はば何ぞ近局に拘らん。羅卜が母の苦を抜き、那舎が父の憂いを済ふ、寧ろ大孝にあらずや。・・・(羅卜(らぼく、目連尊者)は母を餓鬼道から救い、那舎(なしゃ)は父を天上界に生き返らせている。羅卜尊者の話は盂蘭盆経にあり、那舎の話は灌頂経によると、羅閲祇園の那舎長者は餓鬼道におちている父母をどうすれば救うことができるかを仏に質問した。仏は 『夏安居の終ったときに衆僧を家に招待して、百味の飲食・ 美しい衣服 ・華香 ・金銀雑宝を供養せよ。そうすればその福徳によつて父母は救われ、再び餓鬼となることはないだろう』とさとした。これを聞いた那舎は家に帰 つてその通りに衆僧に供養した。この因縁によつて父母は天に生まれることができた。」)とあの世の父母を救うことの大切さを述べておられます。
・また、古来高野山には20万基ともいわれるお墓がつくられてきました。この高野山納骨のいわれは塵添壒嚢鈔(室町時代の百科事典)に次のように紹介されています。要約すれば、御大師様が加持力により遺骨を安養浄土に導いてくださり56億7千万年後に大師のお導きで弥勒菩薩降臨の説法の場に侍ることができる、というものです。「『大師御記(高野山旧宝性院経蔵)』に『舎那の秘印を結んで先の身を秘し、身を樹下に留むといえども、意は兎率の内院にあり、然りと雖も遺跡を加持して日々の影嚮を欠かさず、有信の者に至ってはその身に幸を授かり、不信の者は先業を恨むべし、ただし我山に送り置るる亡者の舎利を、我は毎日三密の加持力によってまず安養の寶刹に送り当来には我山の慈尊説法の聴衆菩薩と為るべし』とあり(塵添壒嚢鈔)」。

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