福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

釈宗演老師の100周年御遠忌が行われたとの記事がありました。

2018-11-14 | 法話
釈宗演老師の100周年御遠忌が行われたとの記事がありました。
http://www.chugainippoh.co.jp/religion/news/20181109-002.html
円覚寺ホームページには以下のように書いています。
「若狭国高浜(現福井県大飯郡高浜町)に生まれ、明治3年(1870)に妙心僧堂越渓について得度。ただちに妙心寺天授院に越渓に侍し、東山の群玉林(建仁寺山内)や三井寺の大宝律師について学を積み、同11年(1878)秋に円覚寺洪川のもとに掛錫するやたちまちに頭角を現し、洪川曰く「宗演禅士は観音の再来」と。同16年(1883)には嗣法。時に数え年の26歳であった。
同18年(1885)に慶応大学に入って西洋の学を学び、さらにセイロンに渡って梵学を修め、南方仏教を体得して帰国するや、永田の宝林寺住持を経て、明治25年(1892)には洪川遷化のあとを推されて円覚寺派管長に就任。時に34歳は比類ない若さであった。
翌26年(1893)、米国シカゴで万国宗教会議が催されると招かれて渡米、「仏教の要旨並びに因果法」と題して講演したのは、欧米人に禅を講じた最初である。
哲学者ポール・ケーラスは宗演の講説に刺激され『ブッダの福音』を上梓、鈴木大拙はこれを邦訳したことを縁に渡米、英語を駆使しての活躍が、後の「ZEN」の源流となった。また宗演も参禅の信徒ラッセル夫妻の招に応じて明治38年(1905)に再度渡米して、各地に講演、接化。さらに英、仏、伊からセイロン、インドを巡錫して、同39年(1906)に帰国。前後に建長寺の管長兼任(明治36年~)、臨済宗大学、花園学院学長(大正3年~)、加えて円覚寺派管長再任(大正5年~)など多忙極まりなき中にも国内各地を巡錫、接化し、さらに大正6年(1917)9月には中国に渡り、当地在住邦人のみならず中華民国の大官とも交流を深めて11月に帰国した。その後体調芳しからず、大正8年(1919)11月1日遷化。世寿61歳。『楞伽漫録』『宗演禅師書簡集』など著書多数。」
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