・「維摩経」には、維摩居士がなぜ病気になったのか、との問いに対し、「一切衆生病むをもっての故に我れ病む。もし一切衆生の病滅せば、則ち我が病も滅せん。…またこの疾、何の所因より起こるやと言わば、菩薩の病は大悲をもって起こるなり」とあり、
・「請観世音菩薩消伏毒陀羅尼経』に「(観世音菩薩は)地獄に遊戯し代わりて苦を受く」とあり、そしてこの代受苦の観音様を拝むことによって疫病が退散するとしています。
・悲華経に「(お釈迦様は)諸々の衆生もし業報未だ尽きずんば我、まさに壽を捨てて阿鼻地獄に入り代わりて苦業を受くるべし・・」とあり、
・「仏説延命地蔵菩薩経」では、「(地蔵菩薩曰く)我當に六道衆生を抜済すべし。若し重苦あらば 我れ代りて苦を受けん」とあり、そしてお地蔵さまを供養すると先祖の成仏等様々の功徳をいただけるとあります。
・大方廣佛華嚴經卷第五十五・入法界品第三十四之十二には「(釈尊の前世の善伏太子曰く)『我代りて獄に囚れ諸楚毒を受けん。願くは我を苦治せよ。我彼を救んが為に不惜身命、罪囚をして悉く得解脱せしめんと欲す。所以は如何。若し我、此の衆生を救ざれば、云何が能く三界の牢獄を濟ん。諸の生死の牢獄にある衆生は悉く貪愛の為に纒縛され愚癡の所蔽となり種種の苦を受け、身形鄙陋に心常に放逸にして而も出要の道を知ること能わず。智慧の光無く諸の法界に著し、福慧有ることなくして實智を遠離し、結垢に染縛せられて苦獄に幽閉し、惡魔に隨順して生老病死し、常に憂惱の逼迫する所となる。我當に云何んが彼をして解脱せしむべき。我今應當に自の身命を捨てて之を救拔せん。』」『華厳経』「離世間品」第三十三に、菩薩摩訶薩の特性として 10 種類の普賢心が備わっているという紹介がある。普賢心の筆頭が一切の衆生を救護する大慈心で、第 2 番目が大悲心である。
「大方廣佛華嚴經卷第三十七離世間品第三十三之二」「大悲心を発す。一切衆生に代わりて一切の苦毒を受くるが故に」
「大方廣佛華嚴經・金剛幢菩薩迴向品第二十一之一」
「此菩薩摩訶薩、復た是念を作さく、一切衆生は無量の諸不善業を造作す。是の業に因るが故に無量の苦を受け如來を見ず、正法を聞かず、淨僧を識らず。此諸衆生は、具さに無量大惡罪業有りて、應に無量無邊の楚毒を受くべし。我當に彼の三惡道中に於いて悉く代りて苦を受け解脱を得しむべし。我當に代りて無量苦惱を受くるも、苦の故を以て其の心退轉し恐怖懈怠して衆生を捨離せず。」
・「佛説文殊師利般涅槃經」に「此の文殊師利法王子。若し人ありて念じ、若し供養し福業を修せんと欲すれば即ち化身して貧窮孤獨苦惱衆生となり、行者の前に至る」。
・「大般涅槃経・迦葉菩薩品」「如来は苦を受けて苦を覚えず、衆生の苦を己の苦の如くに見る。…… 一切衆生は種々の異苦を受くるも、悉く如来一人の苦となす」
・「瑜伽師地論卷第四十九・本地分中菩薩地第十五第三持究竟瑜伽處地品第三」
「是の誓を作して言く『我若し唯だ如是の處所に住して能く無上正等菩提を證すること亦た能く忍受せん。一切有情の苦を除かんが為の故に、一切有情の諸惡趣業において淨き意樂を以て悉く願くは自身、彼に代りて苦の異熟果を領受せん』と」
・「摩訶般若波羅蜜經卷第六發趣品第二十」「いかんが菩薩、大悲心に入る。もし、菩薩、かくの如く念ず。我れ一一の衆生のための故に、恒河沙にも等しい劫の如く、地獄の中で懃苦を受く。そのように是の人、佛道を得て涅槃に入るならば、かくの如きを名づけて
一切の十方の衆生のために忍苦をなすと。是れを大悲心に入ると名く」
・「大智度論釋摩訶薩品第十三卷四十五」「大悲心に入るとは、先に説いた如く。此の中で佛自ら説く。大心を本願するは衆生のための故なり。所謂、一一の人のため故に、無量劫において地獄の苦を代わりて受ける。乃至、是の人に功徳を行じ、集め、佛と作しめて無餘涅槃に入らしむ」
・「大智度論釋發趣品第二十卷四十九」「菩薩摩訶薩は三地中に住して五法を行ず。何等五。一は多學問無厭足。二は淨法施亦不自高。三は莊嚴佛國土亦不自高。四は世間無量勤苦を受け以って厭と為さず。五は慚愧處に住む」。