「私は長年お大師様を信仰しておりますが、いまだ大師の温顔を直に拝することはできぬけれども何となくお大師様が懐かしく慕わしくいつもお大師様の温かい慈悲の懐に抱かれているような気持ちがいたしております。
私は以前は何ものにも頼るものはありませんでした。しかるに最近は慈悲深きお大師様の懐に抱かれていると想えるようになりました。百万の味方を得たよりも力強き感じがします。
淋しい時にも、心配事の起こったときにもお大師様を念ずればやがて明かりをみせて下さる。
不平の起こった時も不満の生じた時も御大師様のお慈悲に縋ればみな消して下さる。
心に叶わぬことがあっても身に困難なことが振りかぶってきても大師の光明中に生活しておる私だと思えばこれも前世の因縁か、またはお大師様が私の心を磨くための試練としてお与えくださっていると思えば却って有難く感じられます。身も心もすべてお大師様任せの身であれば、お大師様は決して決して私のために悪しくは取り謀っては下さらぬと信じておるからであります。
老人の私は世の中に何も望みはありません。ただただ、この無限の悦びを一人にても多くの人にわかち与えて、共に共に大師の光明中に安く楽しく暮らさして頂きたいと思います。これより外に私の望みはありません。これが私の望みであります。」