福聚講定例護国寺参拝記録 2020-2-17
福聚講(高原耕曻講元)は、2月15日(火)午後3時、東京・文京の大本山・護国寺で、定例参拝を行いました。この日、空模様は、雨を含んだ、重い雲に覆われていましたが、殊の外、気温は温かく、凌ぎやすく有り難い天気でした。
2月15日は、言わずと知れた、お釈迦様が、涅槃に入られた日です。護国寺本殿には、お釈迦様の教えに感謝し、入滅の様子を知らしめるべく、入滅の模様を描がいた、「釈迦涅槃図」を掲げられ、法要も行われます。また、桂昌殿にも、同様の、涅槃図が掲げられ、午前11時から法要が行われました。護国寺の涅槃図は、図柄の彩色が鮮やかなので、華やかな雰囲気が醸し出されています。本堂の中も夕方の薄明の中に涅槃図が幻想的に美しく映えました。高原講元様が、「涅槃図」の解説をして頂きました。涅槃図の元になっている涅槃経には「我実は涅槃に入らず」とか「仏性を見てよく煩悩を断ずれば名けて大涅槃と為す・・不滅の義・不覆の義・不去不来の義・不取の義・・を涅槃と名く」等と説かれているようです。
この日は講が始まる直前に突然講員Bさんの訃報を知らされました。76歳で癌だったとのことです。皆一様に話す言葉を失い、一同を沈黙が覆いました。しかし読経が始まると高原講元様の、力強い拍子木の敲きで講員Bさんの霊を慰めるお勤めになりました。
この日、詠唱する御詠歌は、「釈迦牟尼如来涅槃和讃」の予定でした。が御詠歌も急遽、曲を「追弔和讃」(注1)に変え奉詠しました。
講員Bさんは、背が高く、大柄の体形で、太っ腹の人でした。豪放磊落な性格、、酒は滅法強く、私たちも、Bさんの後について、酒を飲んだものです。そして、この講で行った、これまでの各種の巡礼が終わった後の一杯は、講員B さんにとっての、醍醐味だったようです。福聚講結成の発起人メンバーの一人で、享年76歳。まだ、まだ、これからという、矢先、だったと思います。しかしご子息ご令嬢も超一流大学卒で超一流企業にお勤めでお孫さんも大きくてなんら後顧の憂いはない大往生だったかもしれません。この日はB さんがなくなって丁度二七日目にあたり十三佛ではお釈迦様が導いてくださる日にあたっていました。ちょうどお涅槃の日にこうして二七日忌をみなさんで営めるのも不思議な仏様のお導きとしか思えませんでした。講元が以前高野山でつけたというBさんの戒名の院大居士号をよみあげて皆でお釈迦様のご真言もあげ供養でき故人もさぞお喜びであったろうと思います。読経を終えた後、薬師堂、一言地蔵様、大師堂も回り、ここでもBさんのご冥福をお祈りしました。
合掌
(注1)「追弔和讃」
人のこの世は永くして かわらぬ春と思いしに
はかなき夢となりにけり あアつき涙の真心を
みたまの前にささげつつ 面影しのぶも悲しけれ
されども大悲のみ仏に 救われ行くべき身にあれば
思いわずろうこともなく 永(とこしえ)かアけて安からん
如来大悲の恩徳を 謹み唱うる御詠歌に
極楽の 鐘のひびきに 夢冷めて
五色の雲に いるぞとうとき
(通釈)
人の一生というものは、永遠にいつまでも変わることなく、春のように穏やかなものだと思っていたのに、今となっては、あなたに逢うことは儚い夢となってしまった。こうして、み霊の前に涙ながらの真心を捧げて、面影を偲んでいても、ただただ悲しみは募るばかりである。
しかしながら、あなたは、仏さまの世界である密厳浄土へ導かれ、永遠に安らかなる身となるのだから、何も不安に思うことはない。仏さまの徳に報い、謹んでこの御詠歌をお唱えする。
佛さまの世界から響いてくる鐘の音を聞いて、煩悩の眠りの夢から目が覚めると、五色の雲が立ち込める心安らかな佛さまの世界に行くことができた。 これはなんと尊いことだろう。
(密厳流詠歌和讃 解説書)
お涅槃に際して予定しておいた御詠歌を挙げておきます。
「釈迦牟尼如来涅槃和讃」
拘尸那野杜に夕日落ち 希連の河水瀬を止(とどむ)む
天地静かに声なくて 婆羅樹の花ぞ乱れ布く
時しも如月十五の夜に 月もみ空にかかるとき
如来は涅槃の床に坐し 最後の法門説き給う
我今涅槃に入りぬとも 汝等嘆くこと勿れ
戒定智慧を修学せば 在世に異なることあらじ
静かに林の夜は更けて 光流るる月の影
八万四千の法の灯に 道の明りを示されて
今は早や あらゆる法 説き尽くし
涅槃の雲に 入り給う 南無大聖釈迦如来
(通釈)
二月十五日、クシナガラという寒村の森は、夕闇のとばりが下り
希漣河の水は瀬を止めて動こうともしない。沙羅樹の花も至ると
ころに散り落ちて、クシナガラを取り巻く大自然は、静まり帰っていた。
お釈迦さまは、入涅槃のときを迎えていた。満月が夜空の真上にさし
かかる頃、お釈迦さまは、涅槃の座につかれて最後の説法をされた。
『わたしは、済度すべきものはすべて済度し、この世にとどまる必要
はなくなった。今を、一期として涅槃に入るだろうが、弟子たちよ、歎いてはいけない。 (前掲書より)
福聚講(高原耕曻講元)は、2月15日(火)午後3時、東京・文京の大本山・護国寺で、定例参拝を行いました。この日、空模様は、雨を含んだ、重い雲に覆われていましたが、殊の外、気温は温かく、凌ぎやすく有り難い天気でした。
2月15日は、言わずと知れた、お釈迦様が、涅槃に入られた日です。護国寺本殿には、お釈迦様の教えに感謝し、入滅の様子を知らしめるべく、入滅の模様を描がいた、「釈迦涅槃図」を掲げられ、法要も行われます。また、桂昌殿にも、同様の、涅槃図が掲げられ、午前11時から法要が行われました。護国寺の涅槃図は、図柄の彩色が鮮やかなので、華やかな雰囲気が醸し出されています。本堂の中も夕方の薄明の中に涅槃図が幻想的に美しく映えました。高原講元様が、「涅槃図」の解説をして頂きました。涅槃図の元になっている涅槃経には「我実は涅槃に入らず」とか「仏性を見てよく煩悩を断ずれば名けて大涅槃と為す・・不滅の義・不覆の義・不去不来の義・不取の義・・を涅槃と名く」等と説かれているようです。
この日は講が始まる直前に突然講員Bさんの訃報を知らされました。76歳で癌だったとのことです。皆一様に話す言葉を失い、一同を沈黙が覆いました。しかし読経が始まると高原講元様の、力強い拍子木の敲きで講員Bさんの霊を慰めるお勤めになりました。
この日、詠唱する御詠歌は、「釈迦牟尼如来涅槃和讃」の予定でした。が御詠歌も急遽、曲を「追弔和讃」(注1)に変え奉詠しました。
講員Bさんは、背が高く、大柄の体形で、太っ腹の人でした。豪放磊落な性格、、酒は滅法強く、私たちも、Bさんの後について、酒を飲んだものです。そして、この講で行った、これまでの各種の巡礼が終わった後の一杯は、講員B さんにとっての、醍醐味だったようです。福聚講結成の発起人メンバーの一人で、享年76歳。まだ、まだ、これからという、矢先、だったと思います。しかしご子息ご令嬢も超一流大学卒で超一流企業にお勤めでお孫さんも大きくてなんら後顧の憂いはない大往生だったかもしれません。この日はB さんがなくなって丁度二七日目にあたり十三佛ではお釈迦様が導いてくださる日にあたっていました。ちょうどお涅槃の日にこうして二七日忌をみなさんで営めるのも不思議な仏様のお導きとしか思えませんでした。講元が以前高野山でつけたというBさんの戒名の院大居士号をよみあげて皆でお釈迦様のご真言もあげ供養でき故人もさぞお喜びであったろうと思います。読経を終えた後、薬師堂、一言地蔵様、大師堂も回り、ここでもBさんのご冥福をお祈りしました。
合掌
(注1)「追弔和讃」
人のこの世は永くして かわらぬ春と思いしに
はかなき夢となりにけり あアつき涙の真心を
みたまの前にささげつつ 面影しのぶも悲しけれ
されども大悲のみ仏に 救われ行くべき身にあれば
思いわずろうこともなく 永(とこしえ)かアけて安からん
如来大悲の恩徳を 謹み唱うる御詠歌に
極楽の 鐘のひびきに 夢冷めて
五色の雲に いるぞとうとき
(通釈)
人の一生というものは、永遠にいつまでも変わることなく、春のように穏やかなものだと思っていたのに、今となっては、あなたに逢うことは儚い夢となってしまった。こうして、み霊の前に涙ながらの真心を捧げて、面影を偲んでいても、ただただ悲しみは募るばかりである。
しかしながら、あなたは、仏さまの世界である密厳浄土へ導かれ、永遠に安らかなる身となるのだから、何も不安に思うことはない。仏さまの徳に報い、謹んでこの御詠歌をお唱えする。
佛さまの世界から響いてくる鐘の音を聞いて、煩悩の眠りの夢から目が覚めると、五色の雲が立ち込める心安らかな佛さまの世界に行くことができた。 これはなんと尊いことだろう。
(密厳流詠歌和讃 解説書)
お涅槃に際して予定しておいた御詠歌を挙げておきます。
「釈迦牟尼如来涅槃和讃」
拘尸那野杜に夕日落ち 希連の河水瀬を止(とどむ)む
天地静かに声なくて 婆羅樹の花ぞ乱れ布く
時しも如月十五の夜に 月もみ空にかかるとき
如来は涅槃の床に坐し 最後の法門説き給う
我今涅槃に入りぬとも 汝等嘆くこと勿れ
戒定智慧を修学せば 在世に異なることあらじ
静かに林の夜は更けて 光流るる月の影
八万四千の法の灯に 道の明りを示されて
今は早や あらゆる法 説き尽くし
涅槃の雲に 入り給う 南無大聖釈迦如来
(通釈)
二月十五日、クシナガラという寒村の森は、夕闇のとばりが下り
希漣河の水は瀬を止めて動こうともしない。沙羅樹の花も至ると
ころに散り落ちて、クシナガラを取り巻く大自然は、静まり帰っていた。
お釈迦さまは、入涅槃のときを迎えていた。満月が夜空の真上にさし
かかる頃、お釈迦さまは、涅槃の座につかれて最後の説法をされた。
『わたしは、済度すべきものはすべて済度し、この世にとどまる必要
はなくなった。今を、一期として涅槃に入るだろうが、弟子たちよ、歎いてはいけない。 (前掲書より)