福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

那須政隆猊下の「密教が教える変幻自在の生き方」より・・その4

2017-10-04 | 法話
「かって大師は宮中清涼殿で天皇や貴族たちの前で即身成仏してみせられたことがあります。当時、南都六宗と真言天台の八宗の教主が清涼殿で議論したとき、即身成仏の証拠を示せと迫られたとき大師は「三寶を疑うものは永遠に救われぬであろう」とおっしゃり即身成仏の姿をお示しになりました。「全身たちまち紫磨黄金となり、頭には五智の宝冠、全身より五色、遍照の光明を放ち、眉間から白毫相の光を放つ・・」と記録にあります。」

(講元注歸。孔雀経音義には『帰唐之時。欲興眞言宗之間。諸宗皆併集朝庭。共疑即身成佛義。仍大師結智拳印。向於南方。面門俄開。成金色毘盧舍那。放眉間白豪相光。爰一人諸臣。七宗衆徒。驚下
於地。皆悉禮拜。』とあります。また「弘法大師伝」には「清涼殿即身成仏の事、・・弘仁四年三月十五日、・・陛下は仏法帰依の志の篤いかたでありましたから仏法についてお尋ねがあり、かく大徳達は夫々宗旨の肝要を申し上げ、法相宗は唯識中道を、三論宗は八不生観を、天台宗は一念三千の極を尽くし、華厳宗は十玄六相の妙を断じ、我が大師の即身成仏を批判されました。。その後大師は大日経、金剛頂經、菩提心論等の諸経を証拠として即事而真で佛とい衆生とは本来別ではない。煩悩と菩提は同一で、肉体と精神は不二なものであるから身口意の三密行で即身成仏できるのは当然と主張されました。・・天皇は御簾のなかより証拠がみてみたいと仰せになられました。大師は南面して結跏趺坐し印を結び、真言を唱え三摩地の観に住せられますと直ちに五智の宝冠現れ金色の光赫奕として大日如来のお姿となられました。百官諸司は地に伏し、陛下は御簾wだられ玉座をおりて「南無遍照金剛」と拝せられました。・・」とあります。)
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 今日4日は中秋の名月です | トップ | 佛教の大意(鈴木大拙、昭和... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

法話」カテゴリの最新記事