福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

観音経の解説14/28

2016-02-14 | 諸経
14、無尽意。是観世音菩薩。成就如是功徳。以種種形。遊諸国土。度脱衆生。
是故汝等。応当一心供養観世音菩薩。是観世音菩薩摩訶薩。於怖畏急難之中。能施無畏。是故此娑婆世界。皆号之為施無畏者。
「無尽意よ。是の観世音菩薩は(以上のように三十三身・十九説をもって)是の如き功徳を成就し、種種の形を以て諸の国土に遊び、衆生を度脱したもう」
「是の故に汝等(なんだち)、応当(まさ)に一心に観世音菩薩を供養すべし。是の観世音菩薩・摩訶薩は、怖畏急難(ふいきゅうなん)の中に於て能く無畏を施す。是の故に此娑婆世界において、皆な之を号して施無畏者と為す。」(ここで観世音菩薩を施無畏者と申し上げるのは、観世音菩薩が衆生をして安穏ならしめるためである。(那須政隆師「観音経講話」。
・「二宮大先生伝記」(岡田良一郎)には、「寛政10年、先生年12の時、金次郎の父、病にかかる。床にあること3年、金次郎14歳の時没す。享年48。よって弟富次郎を他家に乳す。母悲嘆はなはだしきをもって、幾日ならずして乞うて家に帰す。先生慈恩の深きを感じ、孝心いよいよ切なり。この年10月飯泉村観音堂に参詣し、旅僧の観音経を訓読するのを聴いて大いに感発し、救世の志を起こす。善栄寺和尚これをもって観音の再来となす。」とあります。
・沢木興道師の「観音経講和」に「明治時代に釈元恭という坊さんがあった。山岡鉄舟の玄関番をしていた頃、鉄舟に対して剣道の極意を問うたところ、鉄舟は『浅草の観音さんの<施無畏>という額がある。あれが剣道の極意だ』と答えた」とあります。


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