福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

覚れば一切が自分の姿

2020-06-14 | 法話
「覚れば一切が自分の姿」

世の人々は、この世を沙婆世界といいこれは相対的世界であり、これに対して絶対的覚りの世界があるように思っているがこれは妄念である。

絶対世界と相対世界が対峙してあるわけではない。絶対=相対、妄念=覚り、世の様々な違い=実は同じ、である。金剛界と胎蔵界が表裏一体であるといわれるように、また「色即是空、空即是色」といわれるように差別界=平等界である。

このように考えて無我の境地に立つとき、自分を取り巻く一切のものは自分のすがたである。満員電車で押しくらまんじゅうするサラリーマンも、路地にいる猫も、葉の散った桜もすべてはじぶんである。夜空を見上げて感じる無限の宇宙は即ち自分である。じぶんの心は宇宙をも覆うものでしかも永遠である。


そうであるから更に他人の不幸は自分の不幸である。東日本大震災の被災者の悲惨さは自分の悲惨さである。差別に泣く人々、飢餓に苦しむアフリカの難民、圧政に苦しむチベットの人々すべて自分の姿である。コロナの犠牲者・被害者もそうである。日々人類の犠牲になる動植物も自己の姿である。

そして自分そのものが自他の区別を撤した大いなるものであることを覚ったものは、このおおいなるものを祈願するのでその願いは回りまわって必ず達せられるのである。


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