福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

霊魂の話(折口信夫)・・・その6

2017-02-25 | 法話
 おほくにぬしとおほものぬしと
おほなむちとすくなひこなとが一つものに考へられたには、理由がある。すくなひこなが他界から来た神である事は前に述べたが、おほくにぬしの命が、此すくなひこなを失うて、海岸に立つて愁へて居ると、海原を光テラして、依り来る神があつた。「何者だ」と問ふと、「俺はお前だ。お前の荒魂アラミタマ・和魂ニギミタマ・奇魂クシミタマだ」と答へたとある。大和の三輪山に祀つたおほものぬしの命であるが、此三つの魂が、おほなむちについて居たのである。たまには、形はないが、少くとも此話では、光りをもつて居た事が考へられる。
日本の神々に、いろ/\な名があるのは、一の体に、いろ/\な魂が這入ると考へたからで、其魂に、其々の名があるからだと思ふ。元は、体はたまの容れ物だと考へた。三輪山のおほものぬしの命は、此神自身は、人格を具へて居ない、即、眼に見えない精霊で、おほものぬしのもの其ものが示して居るやうに、純化した神ではないのである。其で、おほくにぬし自身ではないが、又、おほくにぬしでもある事になるのである。
       漂著石――石移動の信仰
かやうにたまだけがやつて来る事もあり、其が体にくつつく場合もあり、更に此たまが、石に這入る事もあり、石に這入つてやつて来ることもあると考へたので、一夜の中に、常世の波にうち寄せられて、忽然と石が現れ、見る/\中に、大きくなつたといふ信仰譚が、其処から発生した。石が流れ寄るなどゝは考へられない事だが、たまが依り来る一つの手段として、こんな方法を考へたのだと見ればよい。其所に石移動の信仰も生れた。柳田先生の生石の話が其である。
石が大きくなつたと言ふ話に、石と旅行をした話が附随して居るものがある。後世では、熊野へ行つたとき、或は伊勢へ参つたとき、淡路へ行つたときに、拾うて来た石といふ事になつて居るが、此は、巫女の類が、従来あつた石成長の話を、諸国に持つて歩いた印象が、残つたのだと見られる。
私は、恐らく其前に、石其ものがあちこち移動をし、歩くものだといふ話が、必出来て居たのだと思ふ。それがさうした話に、不審を懐く時代になつて、次の携帯して歩く人の話が出来たのではなかつたらうか。
       石こづみの風習
此は、石の中にたまが這入る、と考へた事から生じた、一つの風習と考へられるが、石の中に人をつみ込む風習が、古く日本にあつた様だ。男子が若者になる為には、成年戒を受けねばならなかつた。彼等は、先達に伴はれて山に登り、或期間、山籠りをして来るのであるが、其間に、此風習が行はれた様だ。修験道の行者仲間には、かなり後々まで、此風習が残つて居た様で、謡曲の谷行タニカウを、あゝした読み方をするのにも、何か訣があるのだと思はれる。彼等の仲間では、死んだものがあると、谷に落して、石をふりかける。悪い事をした者は、石こづみにする。こづむとは、積み上げる事である。此が、後に石こづめと言はれる様になつて、奈良の猿沢の池の石こづめ塚の様な伝説も出来たのであるが、元は、山伏し仲間の風習であつた。其が、後には、山伏し以外の者にも、刑法として行はれる様になつた。
併し、山伏し仲間では、此が刑罰としてゞはなく、復活の儀式として行はれた時代があつたに相違ない。前に述べた、衣類や蒲団にくるまつて、魂が完全に、体にくつゝく時期を待つた、と同じ信仰のもので、石の中には、這入る事が出来ない為に、石を積んだのである。さうすると、生れ変ると信じたのである。
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