薬師寺 まほろば塾 東京塾
2015年9月6日
開催日時:2015年9月6日(日)午後1時
開催場所:有楽町よみうりホール
次 第:①法 話「まほろばの国づくり」 薬師寺管長 山田法胤
②講 演「和の心」 裏千家前家元 千 玄室
③対 談「日本のこころ」 文楽・人間国宝 竹本住大夫
薬師寺管長 山田法胤
「薬師寺まほろば塾」について:推進の会会長山口昌紀氏のことばより抜粋
「我が国は、古の時代よりコメ作りを通して国づくりを行って参りました。そこから、お互いが協力しあう和の心が生まれ、自然を愛する生き方が生まれました。
しかしながら、経済中心の社会運営により、物質的には豊な社会となりましたが、我が国の伝統、文化、風習、なにより和の精神に代表される日本人の心を忘れた世になりました。
薬師寺の故高田好胤管主は、「物で栄えて心で滅びる」ことを憂い、「日本まほろばの会」を発足し、日本民族が忘れつつある精神を取り戻す活動をひたすら続けてこられました。
その意志を受け継ぎ、平成16年『薬師寺まほろば塾』が開塾されました。
薬師寺では、日本民族に連綿と継承されてきた精神を大切にし、「まほろば塾」を通し、日本の伝統文化の振興と、日本人の豊かな心を更に高める活動を全国で行っております。」
<講演会>
文化勲章受章者が一度に二人も揃って出演されるのは珍しく、1,800人の応募者の中から抽選で1,100人が選ばれ出席し会場は満席であった。
会場中央には薬師寺金堂の「薬師三尊像」の等身大の写真が掲げられ講演の始めと終わりには講師と共に会場の全員が起立して手を合わせお祈りを捧げた。
① 山田法胤管長:
般若心経について話され、保育園の保育士面接ではまず最初にニワトリの絵を書いてもらう事にしているが、足が4本のニワトリを描く人が多かった。
それでは、と次にハトはどうかと描いてもらったところ、やはり半数近くが4本足のハトを描く。心の教育が重要と感じた。
それに続いて薬師寺建立にまつわる歴史や古事記・日本書紀編纂の話のあと、これからの生き方としては「意地を張らぬよう!」とおっしゃっておられた。
また、どの家庭にも是非「仏壇」と「神棚」を備えて下さい。との事。
② 千 玄室:
戦時中には海軍航空隊の特攻隊で死を覚悟しながら鹿児島の鹿屋基地で訓練を受けたことを振り返りながら、「今の時代は生きるか死ぬかの敏感さを忘れていないか・・・」。
「当時自分は毎日、『利休様・・・』と祈った。感謝して祈る、そして生かされている有り難さ」を感じた。
配属された徳島航空隊からは多くの同期の特攻隊員が家族の事を思いながら出撃して行った。
今の時代のような「自分だけは」という風潮はなかった。
昔のような家族の形に戻したい。
現在ユネスコ親善大使、日本・国連親善大使を勤めており「世界中の皆さんともお茶を通じ交流を深めているが、茶の湯の心のように、一つのものを分け合う気持ちで平和を作っていかなければいけない」。
茶室は平和への部屋。お茶の一碗から「茶の道とは、良い人間になるように努力すること」。
最後に、世界に向って「ALL TOGETHER!!」とおっしゃられて締め括られた。
③ 竹本住大夫師と山田法胤管長の対談。聞き手は大谷徹奘師
竹本住大夫:
「なほになほなほ」。これは私の生涯の師であり、生涯の友でありました
前管長高田好胤さんからいただいた言葉です。私が人間国宝の認定を受けたとき涙を流して喜んで下さり、管長さんから「奥深き語りの技を ただただに磨ききたりて 今日の功(いさおし) なほになほなほ」と記された色紙が届けられました。
「これを励みに慢心することなく、なほ一層精進しいや」。そういうてくれはったんや、と私なりに受け止めました。
高田管長さんの法話を聞いて、自分もあのように浄瑠璃を語りたいと思った。浄瑠璃も情を出そうと思ったらあかん。ええ格好したらダメですわ。
山田管長:
法話と免疫についても話され、「多くの患者さんが法話を聴きに来られ生きる意欲を持つようになられる」との事。
師匠の高田管長はもっと聞きたい法話を求めた。法話の内容が大事だと。
自分が小僧の時、当時の橋本凝胤管長からは「30年経ったら修行の入り口に立てる」と云われた。それほど修行は厳しかった。戒律にも大変厳しい管長でした。
住大夫師:
若い浄瑠璃語りに対しては、根性・精神力を持って欲しい。身も心も打ち込んで研究してもらいたい。研究心が無かったらダメ。
またお客さんも演ずる人間に厳しく当たって指導して欲しい。
文楽は演劇なのでお客様を楽しませなければダメ。肩の凝らんように。
そのためには兎に角、勉強・勉強。
お二人から:
お二人の師匠は共に大変厳しい方であったが、弟子に対する愛情があったので辛坊してここまで来る事が出来た。
人を教える事は本当に難しい。教える事は自分の良い勉強にもなる。
親の辛坊強さが大切。辛坊こそが人生の宝。
親の愛情が子を育てるのに大事である。
「一つの道をずっと歩くのが日本人の心」。これからも大切にしたい。
④ 最後に司会をされた大谷徹奘師から閉会の挨拶時に、
「般若心経のこころ」と「仏法の教え」と題する以下の言葉を参加者全員で大きな声で唱和した。
<般若心経のこころ>
かたよらない こころ
こだわらない こころ
とらわれない こころ
ひろく ひろく もっとひろく
これが 般若心経 空のこころなり
<仏法の教え>
仏法はまるいこころの教えなり
仏法は明るいこころの教えなり
仏法は清らかなるこころの教えなり
仏法は静かなるこころの教えなり
仏法はおかげさまなる教えなり
仏法は無我なるこころの教えなり
仏法は大慈悲なるこころの教えなり
仏法は安らかなる身とこころの教えなり
⑤ <感 想>
参加者のほとんどは中高年以上で占められていたが、思っていた以上に
皆さんが熱心に聞いておられた。
兎に角何かご縁を感じる大変有意義な会であった。
まず、今回招待状をお送り下さった竹本住大夫師匠とは20年くらい前から親しくお付き合いさせて頂いていており、東京公演・大阪国立文楽劇場での公演、あるいは京都南座での公演などでは家内と一緒に楽屋を訪れてはよくお喋りさせて頂いた。
昨年5月に90歳で引退されて以降今回初めてであったがお元気そうで
安心した。会場で奥様にもご挨拶出来て嬉しかった。
「弟子が語っているのを聞くと焦れったくて自分が替わりに語りたくなる」。とおっしゃっておられたが住大夫さんらしく気持ちが未だお若いので頼もしく感じた。
また千 玄室大宗匠は自分が京都支店勤務時代の京都ロータリーのトップでおられたので毎月「京都ロータリー」でお姿を拝見すると共に、当社の
元社長とは海軍航空隊で一緒だった関係で、当社大阪支店に茶室を創る時には宗匠自ら開所式にもお出まし下さった。
(社長は『東の美術館』、『西の茶室』と文化を尊ぶ社風を心掛けていた)
茶室・茶道具始め全て裏千家が見繕って下さって素晴らしい場所でお客様をご招待する事も出来、お客様にもとても好評で有り難い事です。
最後に薬師寺との関係は、金堂再建の際に奈良を訪れ新しく建てられる金堂の屋根の瓦に自分の住所名前を書いてお金を寄付したところ、思いがけず落慶式に招待された上、帰りにお土産として「江戸時代に葺かれた古い金堂の瓦に『和』と書いた薬師寺のお坊さんの署名と薬師寺の印を押した瓦を頂き、今も自宅の床の間に家宝として飾っている。
とにかく色んな関係のある「まほろば塾」であったのは不思議な御縁としか言いようがない。
これからもご縁を大切にしたいと思う。
高橋 正敏
2015年9月6日
開催日時:2015年9月6日(日)午後1時
開催場所:有楽町よみうりホール
次 第:①法 話「まほろばの国づくり」 薬師寺管長 山田法胤
②講 演「和の心」 裏千家前家元 千 玄室
③対 談「日本のこころ」 文楽・人間国宝 竹本住大夫
薬師寺管長 山田法胤
「薬師寺まほろば塾」について:推進の会会長山口昌紀氏のことばより抜粋
「我が国は、古の時代よりコメ作りを通して国づくりを行って参りました。そこから、お互いが協力しあう和の心が生まれ、自然を愛する生き方が生まれました。
しかしながら、経済中心の社会運営により、物質的には豊な社会となりましたが、我が国の伝統、文化、風習、なにより和の精神に代表される日本人の心を忘れた世になりました。
薬師寺の故高田好胤管主は、「物で栄えて心で滅びる」ことを憂い、「日本まほろばの会」を発足し、日本民族が忘れつつある精神を取り戻す活動をひたすら続けてこられました。
その意志を受け継ぎ、平成16年『薬師寺まほろば塾』が開塾されました。
薬師寺では、日本民族に連綿と継承されてきた精神を大切にし、「まほろば塾」を通し、日本の伝統文化の振興と、日本人の豊かな心を更に高める活動を全国で行っております。」
<講演会>
文化勲章受章者が一度に二人も揃って出演されるのは珍しく、1,800人の応募者の中から抽選で1,100人が選ばれ出席し会場は満席であった。
会場中央には薬師寺金堂の「薬師三尊像」の等身大の写真が掲げられ講演の始めと終わりには講師と共に会場の全員が起立して手を合わせお祈りを捧げた。
① 山田法胤管長:
般若心経について話され、保育園の保育士面接ではまず最初にニワトリの絵を書いてもらう事にしているが、足が4本のニワトリを描く人が多かった。
それでは、と次にハトはどうかと描いてもらったところ、やはり半数近くが4本足のハトを描く。心の教育が重要と感じた。
それに続いて薬師寺建立にまつわる歴史や古事記・日本書紀編纂の話のあと、これからの生き方としては「意地を張らぬよう!」とおっしゃっておられた。
また、どの家庭にも是非「仏壇」と「神棚」を備えて下さい。との事。
② 千 玄室:
戦時中には海軍航空隊の特攻隊で死を覚悟しながら鹿児島の鹿屋基地で訓練を受けたことを振り返りながら、「今の時代は生きるか死ぬかの敏感さを忘れていないか・・・」。
「当時自分は毎日、『利休様・・・』と祈った。感謝して祈る、そして生かされている有り難さ」を感じた。
配属された徳島航空隊からは多くの同期の特攻隊員が家族の事を思いながら出撃して行った。
今の時代のような「自分だけは」という風潮はなかった。
昔のような家族の形に戻したい。
現在ユネスコ親善大使、日本・国連親善大使を勤めており「世界中の皆さんともお茶を通じ交流を深めているが、茶の湯の心のように、一つのものを分け合う気持ちで平和を作っていかなければいけない」。
茶室は平和への部屋。お茶の一碗から「茶の道とは、良い人間になるように努力すること」。
最後に、世界に向って「ALL TOGETHER!!」とおっしゃられて締め括られた。
③ 竹本住大夫師と山田法胤管長の対談。聞き手は大谷徹奘師
竹本住大夫:
「なほになほなほ」。これは私の生涯の師であり、生涯の友でありました
前管長高田好胤さんからいただいた言葉です。私が人間国宝の認定を受けたとき涙を流して喜んで下さり、管長さんから「奥深き語りの技を ただただに磨ききたりて 今日の功(いさおし) なほになほなほ」と記された色紙が届けられました。
「これを励みに慢心することなく、なほ一層精進しいや」。そういうてくれはったんや、と私なりに受け止めました。
高田管長さんの法話を聞いて、自分もあのように浄瑠璃を語りたいと思った。浄瑠璃も情を出そうと思ったらあかん。ええ格好したらダメですわ。
山田管長:
法話と免疫についても話され、「多くの患者さんが法話を聴きに来られ生きる意欲を持つようになられる」との事。
師匠の高田管長はもっと聞きたい法話を求めた。法話の内容が大事だと。
自分が小僧の時、当時の橋本凝胤管長からは「30年経ったら修行の入り口に立てる」と云われた。それほど修行は厳しかった。戒律にも大変厳しい管長でした。
住大夫師:
若い浄瑠璃語りに対しては、根性・精神力を持って欲しい。身も心も打ち込んで研究してもらいたい。研究心が無かったらダメ。
またお客さんも演ずる人間に厳しく当たって指導して欲しい。
文楽は演劇なのでお客様を楽しませなければダメ。肩の凝らんように。
そのためには兎に角、勉強・勉強。
お二人から:
お二人の師匠は共に大変厳しい方であったが、弟子に対する愛情があったので辛坊してここまで来る事が出来た。
人を教える事は本当に難しい。教える事は自分の良い勉強にもなる。
親の辛坊強さが大切。辛坊こそが人生の宝。
親の愛情が子を育てるのに大事である。
「一つの道をずっと歩くのが日本人の心」。これからも大切にしたい。
④ 最後に司会をされた大谷徹奘師から閉会の挨拶時に、
「般若心経のこころ」と「仏法の教え」と題する以下の言葉を参加者全員で大きな声で唱和した。
<般若心経のこころ>
かたよらない こころ
こだわらない こころ
とらわれない こころ
ひろく ひろく もっとひろく
これが 般若心経 空のこころなり
<仏法の教え>
仏法はまるいこころの教えなり
仏法は明るいこころの教えなり
仏法は清らかなるこころの教えなり
仏法は静かなるこころの教えなり
仏法はおかげさまなる教えなり
仏法は無我なるこころの教えなり
仏法は大慈悲なるこころの教えなり
仏法は安らかなる身とこころの教えなり
⑤ <感 想>
参加者のほとんどは中高年以上で占められていたが、思っていた以上に
皆さんが熱心に聞いておられた。
兎に角何かご縁を感じる大変有意義な会であった。
まず、今回招待状をお送り下さった竹本住大夫師匠とは20年くらい前から親しくお付き合いさせて頂いていており、東京公演・大阪国立文楽劇場での公演、あるいは京都南座での公演などでは家内と一緒に楽屋を訪れてはよくお喋りさせて頂いた。
昨年5月に90歳で引退されて以降今回初めてであったがお元気そうで
安心した。会場で奥様にもご挨拶出来て嬉しかった。
「弟子が語っているのを聞くと焦れったくて自分が替わりに語りたくなる」。とおっしゃっておられたが住大夫さんらしく気持ちが未だお若いので頼もしく感じた。
また千 玄室大宗匠は自分が京都支店勤務時代の京都ロータリーのトップでおられたので毎月「京都ロータリー」でお姿を拝見すると共に、当社の
元社長とは海軍航空隊で一緒だった関係で、当社大阪支店に茶室を創る時には宗匠自ら開所式にもお出まし下さった。
(社長は『東の美術館』、『西の茶室』と文化を尊ぶ社風を心掛けていた)
茶室・茶道具始め全て裏千家が見繕って下さって素晴らしい場所でお客様をご招待する事も出来、お客様にもとても好評で有り難い事です。
最後に薬師寺との関係は、金堂再建の際に奈良を訪れ新しく建てられる金堂の屋根の瓦に自分の住所名前を書いてお金を寄付したところ、思いがけず落慶式に招待された上、帰りにお土産として「江戸時代に葺かれた古い金堂の瓦に『和』と書いた薬師寺のお坊さんの署名と薬師寺の印を押した瓦を頂き、今も自宅の床の間に家宝として飾っている。
とにかく色んな関係のある「まほろば塾」であったのは不思議な御縁としか言いようがない。
これからもご縁を大切にしたいと思う。
高橋 正敏